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心臓に響いてしまう…
・「休職」あるあるなのか、それとも?
休職をしてからというもの、
“自分のことではないのに”
人の口論/愚痴を聞くと〈心臓にぐさぐさ〉
その言葉たちが響いてしまい、
パニック発作が起きるような感覚
(動悸、息苦しさやめまいなど)で
しんどくなってしまうことがふえた。
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たとえば、
[ 両親の口喧嘩 について ]
→わたしが実家にしばらく帰ると、
必ずと言っていいほど、
絶妙なタイミングで
“わたしのいない間に溜め込んでいた”
愚痴を互いに言い合う両親。
わたしをまるで仲を取り持ってくれる
“緩衝材”の役割として位置付けている
ように感じてしまうのだ。
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休職をする前はまだよかった。
いや、“耐えられていた”という
表現の方が正しい。
しかし、
休職の要因となった〈パニック障害〉と
もともとのホルモンバランスや
自律神経の乱れが重なると、
今まで、“柔軟に対応できていた”こと
ある意味で、うまく“受け流していた”
ことが、
どうしたものか
〈潜在意識〉で、脳が自動的に拒絶して
対応できなくさせられているような
そんな感覚を抱かされているのだ。
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そんな状況下でも、
最初の頃は“耐える”という選択肢しか
取れなかった。
けれど、
自分に返ってくる〈負の反動〉に
いつしか耐えられなくなった。
※起こった〈負の反動〉を以下に示す。
・パニック発作時の薬を飲まないと
いられない。
・周囲の音(テレビ、会話など)や
環境音(雑踏や工事の音など)が
過剰に不快に感じて耐えられなくなる。
・息苦しさや動悸が激しく、
起き上がるのもしんどいため、
ほぼ寝たきりになる。
・上記の状況が続くと、
気力や集中力がなくなり
人と目を合わせたり、話を聞くこと
コミュニケーションをとること
が難しく、かなりの体力を消耗する。
↑のようなことが度重なり、
わたしがとった行動は、次のことだった。
[ 両親と“適切な距離をとる”ということ ]
“距離をとる”ということ自体は
何も特別なことではない。
他者と関わるとき、人(自分)は
無意識に自分の“心地のよい距離感”を
とろうとする(相手に求める)のだと思う。
それが “うまくいくのか”
うまくいかずに“人間関係”に悩んだり、
ストレスがたまったり…という状況に
なるのか、
結果はさまざまだと思う。
[ “本質的な”こと ]
けれど、両親(家族)に
“関わりたくなければ、近づかなくてよい”
という“他人に通用する割り切った距離感”を
持ち出すのは容易ではない。
永遠に“親と子”という
切っては切り離せない関係性だからこそ
ジレンマに陥る...
自身にとって “本質的な” 課題なのだと
つくづく感じる日々を送っている。
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近ごろは、両親から自ら距離をとり
“依存される”ことから逃れること
(言い方は冷たいですが…)で
心身のバランスが整ってきている。
そして目の前で
“空気が悪くなってきているな…”と
感じるときは
「しんどくなるから、わたしの前で
口論しないでね」と
正直に伝えることで
つらくなる状況を少しでも
“防げるよう”に
先回りしている。
(その分、両親別々に声掛けをして
ガス抜きをしてあげる必要は
出てくるのだけれど…)
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最近になって、両親について
友人などに相談話しをしてみると
かなり対応が大変な人たちなのかも…と
感じることが多くなった。
そんな両親についてのお話しは、また
今度にしますね。