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旅行記:ラファエロの作品 ~穴場の見どころ~
2024年7月にローマやフィレンツェなどを訪れまして、その時のことは何度か投稿しております。
殆どミケランジェロのことばかりだったのですが、今回は、ラファエロ・サンツィオについて。彼の作品や関わることについて私が撮影したものを載せることにしました。
ラファエロはミケランジェロと同じくらい有名だと思いますが、夭逝されてしまって😥、私の創作の中には登場しないこともあり、今まで取り上げることがなかったですね。
でも私は作品(絵画)のタッチはミケランジェロよりラファエロの方が好きだったことを思い出し、せっかくなので今回の旅を機会に取り上げます。
ラファエロについての概要…ですが、noteで他の方々の記事でも沢山取り上げられてますね。それらに比べて勉強不足な私のヘタな文章なんて…と思いまして簡単に検索したところ、色々素晴らしいサイトが出てまいりました。
なので恐縮ながら今回は自分で書くより、その中の一つを抜粋することにいたしました(単に時間短縮?😅)。
ラファエロ・サンティ(サンツィオ)(Raffaello Sanzio/1483-1520)は、盛期ルネサンス期を代表する画家、建築家。レオナルド・ダ・ヴィンチ、ミケランジェロとともに、ルネサンスの三大巨匠と呼ばれる。
ミケランジェロが偉大な改革者であるのに対し、ラファエロはそれまでの芸術手法を統合、洗練して、女性的で優雅な様式を確立した。総合芸術の天才として彼の死後も賞賛され、模倣された。
上記のようにラファエロはルネサンスの三大巨匠のひとり。作品に関して言えば、私は3人の中で一番好きです。
でも今はミケランジェロの創作のことがあるので、7月に現地を訪れても、ミケランジェロのことばかりに気を取られ、そのことをほぼ忘れてました💦
時間も限られてましたので、フィレンツェでは私が一番好きな絵画「椅子の聖母」(パラティーナ美術館在)などを目にすることが出来ませんでした😢(過去に何度も見ましたが)
またローマには何日も滞在したのに、傍を通りながらラファエロのお墓があるパンテオンの中に入ることも忘れておりました。
特にパンテオンは…ミケランジェロの彫刻を見に、傍のS.M.ソプラ・ミネルヴァ教会には行ったのですよね。ラファエロのお墓を撮るだけなのだから、足を運べば良かったと、振り返れば後悔です(猛暑の中何万歩も歩き、迷ったりもして、他の目的地にたどり着くだけで精一杯だったのもありますが😅)
昔はカメラの性能も悪かったし、室内の作品を撮るだけなら安物のフィルム写真よりも絵葉書を買った方が良かったけど、今は安物のスマホでもフラッシュ無しで室内でも撮れるし、データは劣化しないし、こうやって投稿して皆さんに見ていただくこともできますからね…。
今回はミケランジェロに関するものと比べたら、枚数も訪問場所も少ないし、年代順にするほどでもないので単純に私の訪問順にしようかと思いましたが、それじゃあまりにも考えなさすぎ⁉と思い、これも単純ですが絵のスケールなどで下記の順に載せました。
よろしければ写真だけでもお楽しみください。
美術館にて(肖像画など)
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フィレンツェ、ウフィツィ美術館 左)グイドバルド・ダ・モンテフェルトの肖像画 1504年?
右)エリザベータ・ゴンザーガの肖像画 1504年?
上の写真、一見同じようなお顔だなと思ってしまったのですが、ラファエロ集の書籍の写真だと、全然違う顔でした。やはりただの古いスマホの写真と専門家の方のものとは違いますね💦
これまで何度かウフィツィ美術館に訪れているのですが、これらの写真を見たのは初めてで、解説を見ないとラファエロ作ともわかりませんでした。
過去未公開だったのか、私が素通りしていただけだったのか…ですが。
当初「椅子の聖母」があるパラティーナ美術館(ピッティ宮)に行くつもりでしたが、考えた挙句ウフィツィにしてしまいました。
ミケランジェロの「トンド・ドーニ」という有名な絵画もあるのですが、彼に関わる他の人たちの肖像画や、作品がたくさんあるからです。
行ってみたら上のラファエルの作品だけでなく、今まで目に出来なかった他の作品も目にすることが出来たので、結果的に変更して良かったですね。
これが最後の訪問のつもりなので、椅子の聖母を生で目にすることは、もう出来ないと思うと残念ですが。
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左)ユニコーンを持つ貴婦人の肖像画 1506-1506年 右)ラ・フォルナリーナ 1518-19年
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やっぱりこれらの中で、一番欲しいのはこの絵です!💛
「Googleフォト」をチェックしていたら、上の絵もラファエロ作だったことが分かり、追加しました。
この絵すごく好きだったのに、ラファエロの作品かどうかをすっかり忘れてしまい(;^_^)改めて検索して調べました。
始めに載せた初期の頃の肖像画から15年程経ってますが、随分変化が見られますね。
身体つきがミケランジェロの作品を彷彿とさせられますが、「ラ・フォルナリーナ」と比べると、体型の違いを男女で描き分けているのがよくわかります。
(ミケランジェロはラファエロのような女性的なタッチが苦手だったと言われています)
晩年(夭逝だったので…)の絵はバロック時代さながら、背景を暗くしてますね。
「砂漠の洗礼者聖ヨハネ」を見てると、バロックのカラヴァッジオ(ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジオ 1571-1610)も彷彿とさせられます。
ローマ ファルネジーナ・キージ荘
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ファルネジーナ・キージ荘は、素晴らしい壁画の数々で有名です。
トラステヴェレ地区にあるのですが、他の主要な見どころと少し離れていることもあり、混雑も少なそうなので穴場です。
開館時間:月~土 9:00-14:00 第2日曜 9:00-17:00
(地球の歩き方より)
但し足を運ぶのに主要なバス停から少し歩くし、上記のように開館時間も限られているので、自由時間が少ないと訪れるのは難しいでしょうかね。
私は今回が2回目。以前に来たの20年くらい前なので、道やルートなどは殆ど記憶していませんでした。
今回はグーグルマップもあるし大丈夫かな…と思ったけど、入口がわからず、迷ってしまいました💦
「地球の歩き方」の地図を見直し、歩き回ってようやくたどり着きました。ここはグーグルマップより、地球の歩き方の地図の方が分かりやすいです。
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入口を入ると、まずこのきらびやかな天井画の広間がありました。
順路はないようでしたが、上の写真の奥の扉(左側で切れてしまっていますが)に行くと、下の「ガラテア」が描かれている部屋がありました。
この絵は「地球の歩き方」にも昔から載っているし、一番有名なのかもしれませんね。
もちろん感動して、じっくり鑑賞しましたよ❤
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ここにはラファエロだけではなく、色々な画家の壁画があります。
ミケランジェロの友人で弟子、ラファエロのライバルでもあるセバスティアーノ・デル・ビオンポの壁画もあるようですが、地球の歩き方にも載っていないし、分かりませんでした~😭
このキージ荘が、セバスティアーノのローマでのデビュー作になったということなのです。セバスティアーノは私の創作の中での登場人物でもあるし、今回の旅行で彼の作品を目にすることが少なかったので、目にしたかった~…見ていたとしても認識出来なければ見ていたことになりませんからね、残念😥
写真やビデオをひたすら撮ったので、その中に紛れていないかしら??
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花飾り装飾部分はジョバンニ・ディ・ウーディネ作
これら「プシケのギャラリー」の天井画ですが、ラファエロと工房の弟子たちで描いたと思っていました。
あとで調べてみたら、どうやらラファエロが構想して、描いて仕上げたのはジュリオ・ロマーノなど弟子たちのようですね。
でもラファエロ作と言われたら、私は分からないわ~。
描き方がラファエロにそっくりですもの。
ラファエロはミケランジェロと違って、壁画は工房の弟子たちと共同作業が中心だったということなので、チームワークも取れていたのでしょうね。
そう言えば初期のラファエロの絵は、師匠のペルジーノにそっくりですね。
伝記を書いたG・ヴァザーリも「区別がつかない」と述べてますが、私もそうです(美術館で見た時区別つかなければ、作者名見る前に心の中でクイズします)。
あとここの天井画は「システィーナ礼拝堂のラファエロ版」とか何とか言われれているとか、何かで読みました。
分かるわ~(#^.^#)、ズームして撮ったのを挙げます。
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この絵、ミケランジェロに関する著書にも載っていました。
私がこのファルネジーナ・キージ荘を訪れたのは、ラファエロやセバスティアーノの作品を見たいというのもあったのですが、一番の目的はここが自分の創作のテーマにもなっている「ローマ劫掠」(1527年にローマが神聖ローマ帝国の皇帝軍に襲撃され占領されていた)の際の1528年に、その皇帝軍のランツクネヒト(ドイツの傭兵)が壁画に落書き(刻まれた文字)したものを見るためでした。
ここでのそれは、ラファエロの作品ではありませんが、次のバチカンに残るものはラファエロのです。
記事の最後にそれらを載せます。
バチカン博物館 ラファエロの間
私は海外の美術館、博物館を訪れるのにこれまで予約などしたこともなかったのですが(やり方も分からなかったし😂)バチカン博物館は、調べたり他の方の記事などを拝見し、さすがにすごい混雑ぶりのようなので、これはした方が良いよな…と思い、何とか出来ました。
ここに行かれた方々は、入口の写真もよく投稿されてますね。
私は入場した時、想像通りの人ごみと、予約時間をチェックされたのでそれに追われ、退場した時は疲れて放心状態?(廻るのに半日以上かかった)で入口の外観を撮り忘れました💦
せっかくなので建物くらい写っているものは…と探し、中庭のを載せます。
ここもよく撮られているようですね。
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自分の記憶、想像、そして記事や動画の通り、バチカン博物館はものすごい人で、この「ラファエロの間」にたどり着くまでも時間かかりましたね。
「地球の歩き方」の中の投稿で「効率の良い廻り方」とか書いてありまして、ラファエロの間に先に到達する順路でもあるのかと思ったのですが、分かりませんでした~‼
空いていたら素通りして、速足でたどり着くという方法もあるのでしょうが、私が訪れた限り空いていることなどなかったです(穴場時間は閉鎖されてしまう箇所もあるみたいですし)。
おそらく順路は決められていて、人々に合わせて行くしかないですね。
ようやくラファエロの間にたどり着き、生で観られる有名な壁画、また見覚えのある顔(教皇様やラファエロの自画像)の数々を目にした時は、何度目でも感動します!
でも人ごみや他のことに気を取られ、私が一番好きだった壁画を目にすること、撮影することをし損ねました💧
私が一番好きなのは「聖ペテロの開放」です。
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さすがに安物スマホでフラッシュ無し、室内の逆光だと上のようになってしまったのですが、私的には自分で撮ったものなんだ~っていう自己満足があるんですよね(昔のフィルム写真だと、真っ暗で全く写らなかったし)。
「聖ペテロの開放」は、この隣の部屋で同じ位置だったんですが、何処も部屋の四面が絵に囲まれていて、見落としてしまいました。
ガイドブックは買ったけど、やっぱり自分で撮りたかったな~…。
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人が多かったため、有名なラファエロの自画像部分をアップで撮れませんでした。
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ラファエロの間は4つの部屋になっていて、載せてるものは順路を順番通りに撮っています。
上の「ボルゴの火災」は殆どジュリオ・ロマーノなどの弟子たちが仕上げ、ラファエロの手が入っているかいないかくらいだということです。
どうにせよ、素晴らしい作品ですね。
あとファルネジーナ・キージ荘のも含め「ミケランジェロ的要素」も感じちゃいます。
ミケランジェロがラファエロを嫌っていたのは有名な話。
ラファエロは当時ミケランジェロと仲が悪かった、サン・ピエトロ大聖堂の建築主任だったブラマンテの推薦で、このバチカンの部屋の制作をすることになったので、2人は親しかったのです。ミケランジェロはそういうことや、教皇様が自分以上にラファエロを称賛していたこととか(それだけ実力があったからでしょう)、色々気に入らなかったんでしょうね。
G.ヴァザーリの「芸術家列伝」の「ラファエロ編」では、ミケランジェロがシスティーナ礼拝堂の天井画の制作を中断している留守中に、ブラマンテが礼拝堂のカギを開けて、ラファエロにミケランジェロの絵を見せたと述べています。
そのことだか何だか知らないけれど、ミケランジェロはラファエロが亡くなって数十年も経っている頃「あいつはオレの技法を盗んだ」とかブツブツ言っているんですよね、今で言う「パクった」ってことですか。
当時は著作権なんて概念無かったっていうけど、その考え方に近いのか。
でもミケランジェロは、気に入っていたセバスティアーノには参考にするようにと、自分のデッサンを与えているし。
それに晩年自分が建築主任になった時は、ブラマンテの案をパクった…否、参考にしてるんですよね(^^;)。
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仲が悪かった、ブラマンテの案が基礎になっているそうです。
ではラファエロの作品としては、遺作となったものを最後に挙げます。
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絵画館は本ルートほど人がいなかったので、比較的じっくり鑑賞出来ました。
上の絵は明暗がのちのバロックを、彷彿とさせられますね。
これ以降のラファエロの作品も見たかったです。
壁画の落書き
以前に記事にした中から抜粋しました。
Sacco di Roma(ローマ劫掠)…1527年5月6日、神聖ローマ帝国の皇帝軍が、ローマの街を襲撃。無防備な一般市民や聖職者に対し殺戮、暴行(性的暴行含む)、強奪などを行い、また聖堂や教会に備えられていた聖具、聖遺物、芸術作品などの破壊や強奪などの犯罪行為を行った事件。
皇帝軍は主にスペイン兵、ドイツの傭兵ランツクネヒトで構成されていたが、イタリア兵もいた。
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ランツクネヒトにも階級があって、バチカン宮殿はランツクネヒトの上層部が占領してたそうです。
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この事件が起きた時、幸い…と言うべきでしょうね、ラファエロはもう他界していたのですが、不幸にも「ラファエロの間(バチカン宮殿)」が数カ月も占領され、上記のように損傷も残っています。
現在の修復技術では、抹消することも出来るのかもしれないですが、歴史的に貴重と判断されたのか、目にすることが出来ます。
何十年も前に出版された書籍に、この写真が載っていたのですが、現在も目に出来るのか現地を訪れるまでわからなかったのです(過去訪れた時は考えてもいなかったので、素通りです)。
私が好きなラファエロの絵を見損ねてしまった理由は、これらに気を取られ、撮りまくっていたからでもありました。
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左壁の落書きより 「1528年、笑わずにおれようか、ランツクネヒトは教皇を逃亡させた」
(訳「教皇たちのローマ」石鍋真澄著より)
上の写真はラファエロの作品ではありませんが、ラファエロゆかりの場所。
「ラファエロの間」も含め、他界後も関わっているんだなと思いました。
私が感じただけのことではありますが。
ところで余談ですが、下の写真のように顔の絵やら('_')壁画のどこもかしこもあまりに「落書き」が多くて疑問に思い、訊いてしまいました。
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(私) バチカン美術館に行き、ラファエロの間を全て見たところ、数多く刻まれた落書きがありました。サッコ・ディ・ローマ以降バチカンが占領された歴史はないので、これらは全て1527-1528年のものと見なされますか?それともそれ以降にバチカン関係者か一般人による可能性もありますか?
(Chat GPT)
バチカン美術館のラファエロの間に残る数多くの落書きについては、その起源が必ずしも1527-1528年のサッコ・ディ・ローマに限られるとは言い切れません。以下の点を考慮する必要があります:
サッコ・ディ・ローマ(1527年)の影響
主要な落書き: 多くの歴史的資料や証言によれば、1527年のサッコ・ディ・ローマの際に、ランツクネヒトや他の侵略者によって多くの落書きが残されたことは確かです。これらの落書きは、当時の兵士たちが行った破壊行為や冒涜行為の一環として記録されています。
その後の時代の可能性
継続的な人の出入り: バチカンはその後も長期間にわたり、様々な修復作業や観光客の訪問などで多くの人が出入りしていました。これにより、後世のバチカン関係者や一般人が新たな落書きを残す可能性もあります。
修復と保存: バチカン美術館では、これまでに多くの修復作業が行われてきました。この過程で、当時の修復者や関係者が何らかの形で痕跡を残した可能性もあります。
現代の考古学的・保存的アプローチ
調査と記録: 現代の保存技術では、落書きの年代を特定するために様々な調査が行われることがあります。これには、科学的な年代測定法や歴史的な文献調査などが含まれます。
保存方針: 歴史的価値を持つ落書きは、そのまま保存されることが多いですが、特定の時代を代表するものかどうかの判断は慎重に行われます。
結論
したがって、ラファエロの間の落書きが全て1527-1528年のサッコ・ディ・ローマの時代のものであると断定するのは難しいです。サッコ・ディ・ローマ時代のものが多く含まれている可能性は高いものの、その後の時代におけるバチカン関係者や修復者、あるいは訪問者によるものも含まれている可能性があります。具体的な年代特定には、専門家による詳細な調査が必要です。
くだらない落書きを撮りまくるより、やはりきちんと見てくれば良かったですね(また行きたい~😂)
あとフィレンツェの「ヴェッキオ宮殿」も、占領された歴史があるのか分かりませんが、わけわからない落書きがあるわあるわ😂
もし機会があったら、それらも後日の記事に挙げます。
改めて学んだことも多かったですね。
ここまでお読みいただきありがとうございました。