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梅雨明けが待ち遠しい日に
人は何を糧にして生きているのだろう。
普段、病と闘い懸命に生きる人たちの側で働くわたしにとっても、突然の訃報は精神的ダメージが大きい。それがたとえテレビの向こう側の人であっても、だ。
自ら命を断つ。どうしてと思う反面、わたしも就職して本当につらかったとき、電車のホームで、"ここで一歩踏み出したら明日仕事に行かなくていいんだなあ"なんてぼんやり考えたことがある。
明確に死にたいと思わなくたって、
しんどいんだって、言ってもいいですか
みんな、この消化しきれない息苦しさを、どう処理しているのだろう。
緊急事態宣言があけて耐えられなくなったわたしは、以前も一人ゆっくり過ごしたことのある由比ヶ浜へ行くことにした。
朝起きてまず海辺を歩き、神社やカフェを思う存分巡り、気の済むまで写真を撮って、暗くなる前に宿の近くまで戻り、しばらく海を眺めてから帰る。
平日だったこともありほぼ人に合わない時間を過ごして、騒がしく落ち着かない世の中と
蒸し暑かった、5月のとある日のこと。
叔母にあたる人が亡くなった。
そんな回りくどい言い方をするのは、小さい頃から"お姉ちゃん"と呼び慣れ親しんでいたから。
十数年にもわたる闘病の末のことだった。
久しぶりの身内のお別れの場。
7年ほど前に祖父が亡くなって以来だった。
まったく知らない人たち、見たことのある遠い親戚、次から次へと駆けつけるのを、テレビを見ているかのような感覚でぼーっと眺めていた。
ほとんど泣き崩れているような人も
終わり、そしてまたはじまる
もう大晦日か。
いつも通りシフトで働いてると、年末特有の空気感に全然馴染めてないなと思う。
わたしも仕事納めだってみんなでわいわいして、ひたすらにごろごろゆっくりしたり、ゆく年くる年のあれやこれやを真夜中まで話したりしたかったな、なんて。
「歳をとればとるほど、時間が経つのはあっという間」
今まで散々言われてきた言葉を、改めてその通りだなとしみじみ思う。
実際に年を重ねて思うのは、内容が薄く