蒸し暑かった、5月のとある日のこと。
叔母にあたる人が亡くなった。
そんな回りくどい言い方をするのは、小さい頃から"お姉ちゃん"と呼び慣れ親しんでいたから。
十数年にもわたる闘病の末のことだった。
久しぶりの身内のお別れの場。
7年ほど前に祖父が亡くなって以来だった。
まったく知らない人たち、見たことのある遠い親戚、次から次へと駆けつけるのを、テレビを見ているかのような感覚でぼーっと眺めていた。
ほとんど泣き崩れているような人もいる。
なんであんなに泣いてるんだろ。
わたしにはまだなんの現実味もなかった。
叔父とわたしの父は、後から後から溢れる涙をなんとか拭いながら喪主を務めていた。
ああ、本当にお姉ちゃん、亡くなったのか。
***
「残念ですね」
「あまりに早すぎて」
悲しみで満ち満ちた会場で、そんな言葉が控えめに行き交う。
今この場で起きていることをやっと理解してきていたわたしは、会場に集う人の言葉に違和感を覚えていた。
"残念"か。
「もう少しがんばってくれると思っていましたが」
叔父のすすり泣く声が聞こえる。
わたしは、日々闘病の壮絶さを目の当たりにしているわたしは、"残念"とは言いたくなかった。
いや、、、がんばったでしょ、十分がんばったよ。
いなくなって悲しい。もう会えないと思うとつらい。
そんな感情は大前提の上で。
わたしには、もっとがんばってほしかったとは言えなかった。
看護師になってから、病とともに生きるということは、周りの人がとやかく言えるような生半可なものではないのだとひしひしと感じていたから。
お坊さんが式の最後に、「これは、お釈迦様の弟子になるための、苦痛のない新たなスタートです」といったことをお話してくださった。
新たなスタート。それ自体はよく聞く言葉でも、その時のわたしには思った以上にすっと馴染んだ。
そして、残されたわたしたちもわたしたちで、どっぷりしっかり悲しんで、これからも続く、いやある意味続いてしまう、この人生を生きていくしかないのだ、と思う。
***
両親と兄弟を全員なくした父は、その日だけ、こんなだったっけ?と思うほど小さい背中をしていた。
遠くから人ごとのように見つめるしかない父の涙。
でも、なんだか綺麗だとも思ってしまった。
言い表しようもない悲しみと共存する、どこまでも深い愛。
家族の一員として、娘として、どんなことがあっても父を支えていくと、その日わたしは一人、ひそかに決心もしたのだった。
***
最近は、大切だなとか、すきだなと思う人と会った帰りは、それがちゃんと伝わったかしらと思い返す。
"あなたがわたしにとって大切"ということは、その都度ちゃんと齟齬なく伝えたい。
だって、わたしもそしてあなたも、明日この世界からいなくなるかもしれないから。
またねのそのまたはなかったのだということを、その時になって思い知るようでは遅い。
取り返しがつかないほどに。
叔母のように、周りの人に愛されて過ごす毎日を生ききりたいなと思う。
人の命は、人生というものは、"長さ"じゃなくて"濃さ"なのだと教えてくれた人だった。