ぼくにとっての場づくりの旅。
2021年が始まり、とあるオンラインスクールに通いはじめましたー。
そう、「場づくりという冒険」オンラインスクールです!
「場づくりという冒険」著者・藤本遼さん主催の場づくりのための学びの場です。
ぼく自身、「場づくりというものを、今まで真面目に学んでこなかったな。」という思いを持ち、スクールで学びはじめました。
今回は、ぼくが場づくりに出会った経験や場づくりに対する思いを綴っていこうかと思います。
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場づくりに関心を抱いたきっかけ。
それは、ぼくが高校生だった頃のこと。
海外に行く機会をもらって、フィリピンやネパールを旅した。そこで見た光景が、隣近所が貧困状態にもかかわらず、とても明るく仲良く暮らしている姿だった。
それから、その光景が頭から離れなくなり、日本でも同じように地域に住む人たちを巻き込んで、面白いことがしたいと思うようになっていった。
実際に、帰国後は地元・八王子で当事者活動を展開したり、大学時代は様々な地域で動き回っていた。
地元・八王子でこども食堂の運営に携わったり、学生団体を引っ張ったりしていた。
とはいえ、リーダーとして引っ張っていたわけではなく、多数のアクターを巻き込まなかったり運営に対するモチベーションを維持できなかったという反省点が残った。
それから、学生時代に終わりを告げて、気付けば社会人になった。
大学時代に出会った対馬という国境の島で、自分自身が生活したいし、島民のために生きたいと思い、あれほど嫌いだった行政の道に進んでいった。
けれども、前々から思っていた地域づくりに仕事上では関わることができない。本当に悲しい気持ちでいっぱいだった。
いつかはこんな場づくりというか、地域づくりを仕事にしたいと思っていたのだけど。
でも、誰かが立ち上げて動いている地域活動には顔を出していて、「いつかは自分で何か場を立ち上げるぞ。」と意気込んでいた。
コロナ禍で始めた場づくり。
そして、昨年にコロナ禍がやってきた。外出自粛を余儀無くされる中、地域活動もしづらい空気になり、ぼく自身も外に出るのを躊躇するようになっていった。
そんな中、オンラインツールで他地域の人と簡単につながる経験をして、離島在住のぼくも全国各地とつながることができるようになった。
そこで、オンラインで離島と公務員をつなげたり、公務員同志で関われる場づくりに参画しはじめた。
特に、よんなな離島会の1つの企画として、オンラインスナック(スナックアイランド )をはじめたことが大きかった。
毎週木曜日に開催し、毎回異なるメンバー間でつながることで、場づくりの1つの経験となっている。
コロナ禍になったからこそ、結果的に、場づくりに自ら携わることになっていった。
そして、今まで目指していたリアルな場での場づくりではなく、オンラインでの場づくりをしはじめたのだった。
オンラインとリアルの違い。
基本的なこととして、オンラインの場もリアルの場もお互いの顔を見る対面式であることは変わりない。
オンラインの場合は、顔無し設定もできるので、電話のような音声のみでの関わり方もあるけど。
1つ大きな違いがあるとすれば、それは距離感の違い。
隣近所のつながりを通じた場では、直接生の人を相手に関わるが、タブレット端末の画面を通した場では、カメラで映った相手と関わるのだ。
そこで、人間味というか、目の前にいるの雰囲気やその場の空気感というものが伝わりやすいかが大きな違いになっている。
上記のNoteで、リアルだからこそわかることとして以下のように指摘している。
何が違うかでいうと、共有しあえることや情報量が全然違います。
それはその人の雰囲気的なものや、物事の捉え方。例えばご飯を食べているときでも、屋上で風を感じている雰囲気など、実は些細なことから人は色んなことを感じています。
ぼくも経験したが、オンラインで関わっていた人と実際に会ってみるとわかる感覚だ。
そして、距離感が異なることによる関わりやすさが生まれる。
リアルの場で目の前の人に直接伝えるのと、画面越しの人を相手に伝えるのでは、明らかに画面越しの方がプレッシャーがかかりづらいのだ。
日常を通り越した場にいたいと願うぼくにとっては、オンライン空間での居場所を自身が作れたのは、大きな成果だと思っている。
居心地の良さを探す旅の途中。
オンラインとリアル、それぞれの場には良さがあって、ぼく自身は自ら様々な場を形成していくことや自ら様々な場に飛び込んでいくことで、自ら自分に合う居心地を探しているのだと思う。
日頃からの信頼関係で話せる相手がいれば、自身の近くにいないから気軽に話せる相手も時には必要だ。
ぼくのような公の立場の人間(公務員)は、時には自身の立場を踏まえた発言も必要になる。
一切の愚痴をこぼすことができない場面が多くあって、窮屈な立場に置かれない居心地の良い居場所を求めているのだ。
だからこそ、これからの世の中、自分自身に合う居場所を探すことはとても大事なことになるのだと思う。
そして、居場所といっても1つだけで良いかと言われれば、実はそうでないのだ。
複数あってもいい自分のための居場所。
大学時代に社会福祉学を学んでいたが、恩師から地域活動を展開する上で大事になる、ある言葉をかけられた。
1つの地域には、複数のサロンがあった方がいい。
なんでかわかるか?
それは、サロンが1つしかないと、そこに合わない人は地域に出てこれなくなるからだ。
つまり、その1人1人に合う居場所を見つけるには、いくつもの居場所の選択肢が必要になるということだ。
また、上記のNoteでは、逃げる先としての居場所の必要性を以下のように指摘している。
居場所が複数あれば、たとえどこか一箇所に息苦しさを感じても他に逃げることができるんですよね。人って不思議で、ある場所では評価されるのに同じようにしてもある場所では評価されないこともある。
評価されない場所でもがき続ける必要はないし、自分にはここしか居場所がない、なんて悲しいことは思わなくていい。
たまには、周囲からのプレッシャーを感じなくてもよい居場所に逃げたい時があるし、当たり前が浸透しているがゆえに評価されづらい環境から離れたいものだ。
そして、この複数の居場所と言う考え方は、多拠点生活やパラレルキャリアにもつながっていて、人々の生きる選択肢を増やしているのだと考えている。
そこにはいない、新たな自分の姿に出会うかもしれない。それが、自分の存在価値を高めたり、可能性を広げるチャンスになるかもしれないのだ。
いくつもの居場所の中で、本当に大切な帰れる場所。
最後に、これだけは書いておきたい。
自分にとって帰る場所があるかどうか。
ぼくは、血縁関係のない両親に育ててもらった過去がある。手塩かけてぼくを育ててくれた両親がいなかったら、今のぼくには本当の意味での帰る場所は無かったかもしれない。
ぼくにとっての帰る場所。
それは、心を許せる存在がいて、自分の人生の原点に帰れる拠り所で、自分の存在を再認識できる場所だ。
かつては、自身のアイデンティティを形成し、育ての両親や周りの兄弟と切磋琢磨した場所だった。
東京の実家に帰れない日々が続いている。
けれども、心の奥底には心の拠り所としての実家の存在があり続けているのだ。
きっと、これからいくつもの場を作ろうが、場に飛び込もうが、この東京の実家を超える居場所は現れないと思う。
だからこそ、場づくりを面白がっているのだろうし、対馬でも帰る場所を作りたいのだ。
ここまで記してみて、そう思う夜だった。
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これからもぼくの場づくりの旅は続いていきます。
そして、ぼくにとって、居場所や場づくりは永遠のテーマになりそうです。
今生きている場所を大事に、試行錯誤しながら場づくりに関わっていこうと思います!
このNoteには、場づくりの途中経過も綴っていきたいな。