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使うための英語 ーELFを知るー
社会言語学者の瀧野みゆき氏の『使うための英語 ーELF(世界の共通語)として学ぶ』(中公新書)はELFとしての見地に学び、ただ「知ってる」で終わらせず、「使える」英語を目指すための学術入門書である。ELF(English as a Lingua Franca)は英語界や学界で共通の言葉であるが、ビジネスパーソンにも読んで、ELFの概念を知っていただきたい内容だ。
本書は英語を勉強するにあたって「なぜ英語を勉強したいのか」の問いを明らかにし、ELFの特徴を知った上で学習者のニーズに沿って適切な英語学習法を実践していくことを提唱する。発音やリスニングからYouTubeやChatGPTなどのテクノロジーまで、あらゆる手法を用いて実践すれば「使える英語」になると説く。
本書から重要なトピックを取り上げ、ELFの用法を取り入れた英語の勉強の仕方について読者とともに考えてみよう。
ELFとは何か
まず、ELFとは何だろうか。瀧野氏は次のように解説する。
< 今や世界のあちらこちらで、ノンネイティブ同士が英語でコミュニケーションをしている。たとえば、ヨーロッパのある空港で、日本人と中国人と韓国人が偶然出会ったとする。この3人の母語には共通点が多いが、全員が日本語、中国語、韓国語のどれかを話せる可能性は低い。一方、この3国では英語は学校教育の主要教科だから、3人はなんらかのレベルで英語を使えるだろう。こうして、英語は異なる母語をもつ人々を結ぶ共通語として機能する。この共通語としての役割を果たす英語を、ELF、つまりEnglish as a Lingua Francaとよぶ。>
※太字は筆者強調
瀧野氏の説明の通りに、東アジアの言語教育環境では母語以外の学習機会が少ない。だから、日本人は中国語や韓国語のいずれも話せる可能性は低い。先の二か国も同じだ。しかし、学校教育には英語が必ず取り入れている。第二外国語としての共通言語だからだ。共通語としての役割を果たす英語をELFと呼称したのは学術界の常識である。
いまや、学校教育で英語の授業が導入されるのはグローバル人材として世界に羽ばたくことを目的としている。日本人の英語学習史や日本の英語教育史を紐解けば、英語が普及した理由も自ずとわかるはずだ。当然のごとく、中国や韓国も英語教育熱が沸騰していたほどの猛烈な時代があった。現在もその熱心さは変わらない。
中国の英語教育は2001年に小学校で英語教育義務化を進行していた。「英語教育は国民的資質である」と教育部が方針を決めたくらいだ。2020年7月21日付の東洋経済オンラインの『中国人の英語習得は日本人と一体何が違うのか』の記事によれば、中国が英語教育を普及させる方針は以下のように示されている。
< 「今日の世界では、ITを中心とした科学技術が急速に進歩しています。社会生活の情報化と経済活動のグローバル化により、外国語、とくに英語は、中国の対外開放と国際交流にとってますます重要となっています。外国語の学習と習得は、21世紀の公民にとって基本要求です」
合わせて教育部は、高校までに「読む・聞く・話す・書く」の4技能をしっかり習得することが目標であると明記している。>
同様に、韓国も英語教育への充実に余念がない。当時、文部科学省の一等書記官として韓国に駐在した経験を持ち、現在は内閣参事官を務める岩渕秀樹氏が『韓国のグローバル人材育成力』(講談社現代新書)という本を上梓し、超がつくほどの競争ぶりを活写した。グローバル競争に打ち勝つための英語教育への過熱ぶりをレポートしたものである。韓国企業には徹底した英語教育を受けた人材が世界を相手に活躍している。幹部には大学院出や留学経験を有する者がいる。人材採用においてもTOEIC900点以上は必須だ。現在も変わらぬ状況であろう。
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日本・中国・韓国の学校教育に英語が主要科目として導入するのはグローバル人材を育成するという名目があるのだ。だからこそ、ELFという概念は言語界の共通項である。
ただし、ELFは必ず英語を唯一の共通語と見なすべきではないと定義づけている。瀧野氏はELF研究の知見に基づいてこう説明する。
< この呼び方が、English as a Lingua Francaであって、the Lingua Francaでない点にも意味がある。ELF研究者たちが、英語を唯一の共通語とみなすべきではないと考えていることを示している。歴史的にも現在にもさまざまな「共通語」が存在し、今後も出現するかもしれない。英語はそのひとつにすぎず、「共通語」を英語に限定しないことを表す。
ELF研究はまた、世界中で英語だけを使うことを奨励しているわけでなく、英語が圧倒的に広く使われている現実を分析しているのである。特に近年では、「英語のみ」で使われるのではなく、「多言語の世界」で他言語とともに使われている英語を、積極的に研究している。>
※太字は筆者強調
瀧野氏が指摘するのはELF研究界で世界の共通言語が必ずしも「英語のみ」を示すのではない。他言語の可能性もあるということだ。ここで考えられるのは中国である。中国はアメリカの国力に段々と差が縮まるくらいに経済力をつけてきている。近年は宇宙安全保障に向けて軍事力を強化している模様だ。今後、国際情勢においてパワーバランスが崩れ、中国が新たな世界秩序を築くことを念頭に入れている可能性は高い。そうなれば、世界の言語地図は中国語に塗り替えることができるだろう。ただし、中国は不動産バブルと少子化の影響を受け、経済的な打撃を受けている。そのため、アメリカに匹敵するほどの国力を確保するほどではない。
もう一つはインドだ。アメリカに次いで強大な軍事力を持っている。IT産業の台頭もあり、画期的なイノベーションを展開する企業が相次いでいる。となれば、ヒンディー語やインド英語も普及し、言語地図を塗り替えるような状況も否定できない。国際社会がどのような方向に進んでいくのか。見通しが立たないだろう。
※ 英語と中国語における言語の覇権の行方については国際ジャーナリストの五味洋治氏が書いた『英語と中国語 10年後の勝者は』(小学館新書)を参照されたい。
ELFの誤解
他方、巷にはELFについて次のような誤解を生じやすい。
① ネイティブの英語を否定しない
② ELFは下手な英語ではない
③ ELFにはネイティブも参加する
以上の3つの点が挙げられる。瀧野氏は順々に説明する。
< まず、ELFがネイティブの英語やその文化を否定しているわけではないことを強調したい。英語圏の各国には独自の英語と文化があり、その英語はその言葉を母語とする人々の誇りであり愛情の対象でもある。
ネイティブの人々が使う英語は洗練され、面白く、機能的で効果的、魅力にあふれている。また、ノンネイティブとして英語を学ぶ者の多くも、英語の「ネイティブの国々の文化」に魅了されてきた。(中略)
ただ、この洗練された言葉遣いや豊かな文化を、すべての英語を使う人に強要したり、それを基準に他者を批判したりすべきではない、というのがELF発想である。>
※太字は筆者強調
< 一方で、ELFは、稚拙な英語やB級英語でもない。
どんな英語力でも、英語を使って何かをする人は一人前の英語ユーザーだから、ELFの入口の敷居はとても低い。国外からの旅行者が多い場所で、非常にシンプルな英語を使って商売を繫盛させている英語ユーザーたちがいる。カタコトの英語でも、日本語が全くわからない外国人には大きな助けになりとてもありがたい。敷居の低いELFの世界の、効果的なELFユーザーの例でもある。
一方で、非常に複雑で高度に鍛えられた英語コミュニケーションをしているELFユーザーたちも多い。たとえば、ヨーロッパ連合(EU)ではきわめて複雑で重要な議論の多くを英語で行っている。複雑なニュアンスを伝える記者会見や、首脳たちの会話などをYouTube動画で見ると、ヨーロッパのELFユーザーたちの多くは、母語の影響がはっきりとわかる、ネイティブとは違う英語を使っている。しかし、ヨーロッパの将来を決める重要な課題について議論を戦わせるときの英語を、稚拙だと言う人はいないと思う。>
※太字は筆者強調
< ELFはノンネイティブだけのコミュニケーションを意味するわけでもない。国境を超え異なる国の人々が英語でコミュニケーションをする場には、当然、さまざまな国のネイティブの英語ユーザーも参加している。
ELF研究では、ネイティブとノンネイティブが混在したコミュニケーションでの英語の使い方の違いや相互理解の方法について、多くの研究がされてきた。ELFの概念では、ネイティブとノンネイティブは対等に扱われるが、実際のコミュニケーションでは、多くの興味深い事例が報告されている⒁。ネイティブは、ネイティブ同士で英語を話すことに慣れているから、話すスピードは速いし、思いがけずノンネイティブの英語に出くわすとその違いに戸惑い、ときには無遠慮に聞き返すことがある。一方、ノンネイティブがネイティブの会話に参加すると、自分の英語がうまく伝わらず、頻繁に聞き返されるので英語で話すのが嫌になる事例もある。>
※太字は筆者強調
非常に大事なポイントである。これら3つの点を押さえておかないと、ELFはコミュニケーション上の摩擦が起きたり、他国の言語文化を頭から否定したりするような意味になってしまうのだ。
ELFユーザーの声
ここではELFユーザーの経験談を紹介していく。まず、突如英語を使うことになった大仏さんの話だ。
< まず、日系企業本社で働いてきたが、突然フランス人が上司になった大仏さんだ。日本の大手メーカーで順調に仕事をしてきて40代で課長職となった彼には、英語を使って仕事をした経験はほとんどない。大学入試までは熱心に英語を勉強したが、大学では英語の授業はあっても積極的には勉強しなかった。これまで国内市場を担当してきて、英語はたまに行く海外旅行で簡単な会話に使う程度だった。しかし、フランスの会社の資本が入り仕事環境は一変した。社内の英語研修は受けたが、正直、自分の英語が即戦力になるとは思えない。
大仏さんは、フランス人の上司が数人で初来日するタイミングで最初の英語ミーティングをするようになった。日本市場の現状をまとめたプレゼンを30分ほど英語で行い、その後、フランス側のメンバーと意見交換をする。初回だけは、海外部門の社員が応援で同席し、どうしても必要なら通訳をしてくれるが、基本的には自力で英語を乗り切らなくてはいけない。今後は日常的な上司とのコミュニケーションも、英語中心に切り替わりつつあると聞いている。
英語のプレゼンは、以前行った日本語のプレゼンをもとに日本語のスライドと原稿に加筆修正し、その後、外部の翻訳会社に発注して英語にした。会議までに英語の原稿を暗記し、説明の練習をする。ミーティングは、フランス側2人と大仏さんのチーム5人の計7人で英語で行う。最初の顔合わせなので、各部員も自分の仕事内容を英語で説明する準備をしている。
大仏さんは、フランス人上司との最初の会合で、こんな苦労をした。
・英語プレゼンは、周到な準備と練習のおかげでうまくできた。しかし、その後フランス側から多くの質問が出たのは予想外だった。質問の理解も難しく、その場ではあまり答えられなかった。結局、ほとんどの質問を書きとめ、後日まとめて答えることになった。
・ミーティングは、自己紹介までは予想通りだったが、フランス側からさっそくチームでの働き方について提案があり、意見を求められた。提案自体100%は理解できなかったし、思うように自分の意見を英語で表現できなかった。フランス人が主に話し、日本人は沈黙する時間が長かった。
・全体として、フランス人の英語に慣れず、聴き取りが難しかった。雑談も話題が思いつかず、日本までの旅や、日本の印象について、ありきたりの話を少しだけした。最後まで、相手の人柄がつかめなかった。
・英語の資料も作り、準備はかなり入念にした。ただ、最初の顔合わせで何を話すかイメージがはっきりしていなかったし、相手の期待との食い違いも感じた。>
※太字は筆者強調
大仏さんの経験によれば、それまで英語を使用する機会が海外旅行での会話程度だったものの、フランスの会社が参入したことで直属の上司が入れ替わり、英語を使用する機会が突如増えたのだ。入念な準備を行い、英語のプレゼンはうまく事を済ませたが、フランス側からの難易度の高い質問に言葉を詰まらせた。意見を求められた時も自分で即座に切り返すほどの内容を英語で表現できなかった。フランス人の英語に慣れず、聴き取りも難しく、結果として、相手の期待に沿えるくらいの満足なものではなかったそうだ。
おそらく大仏さんが相手をしたフランス人は充実した多言語教育を受け、仕事で存分に発揮したに違いない。ここに日本と諸外国の言語教育のレベルに雲泥の差があるのだろうか。大仏さんの経験談から、そんな様子が伝わってくる。
本書で紹介されているELFユーザーたちの声はどの人も英語でのコミュニケーションに難儀しているようだ。元から英語を話したいと思っていたにも関わらず機会に恵まれなかった人や英語とは無縁の職業生活を送っていた人もいる。このような苦労話は身にしみる想いがする。「使うための英語」を実践するためにも、ノンネイティブのELFユーザーたちの話に耳を傾けるべきだろう。
ELFユーザーの語彙学習法
私事で恐縮だが、かつて大学院で第二言語習得理論に基づいた英語教育を専攻していた学生の頃を思い出す。修士論文のテーマとして英語表現の習得度に関する研究を行っていた。かねてから語彙に関する分野に関心を持っていたからだ。指導教官が収集した東京都内の日本人中学生に関する言語データを使い、統計的な分析を行い、個々の学習者が頻用する語彙が何かを探っていたのだ。この分野は「コーパス言語学」(corpass linguistics)と呼ばれる。なぜそれを研究の対象に選んだのか。
大学生だった当時、就職で悩んでいたころに恩師との相談の中で英語教材を作りたいという方針を固めていた。それまでは大して将来のことなど考えてこなかった。心の問題を抱えていたからだ。だが、英語だけは諦めることができなかった。英語の参考書や一般学習書が好きだったので、出版業界に身を置けば良い教材を作って販売することができるのではないか。そのためには文部科学省が認定する英語教科書のしくみを知る必要があった。中身を分析し、どこが足りないかを把握することで補助教材を制作するヒントを得られると考えた。
また、指導教官に会って話をした時に、英語教育の視点から子供たちの英語力を伸ばすための方法としてコーパス言語学に基づいた言語習得理論と実践の研究事例を教えてもらった。「これならば理想とする教材が作れそうだ。」と少し期待を寄せた。この二つの理由から、大学院で研究を進めていたのだ。
中学生たちの言語データではっきりと示されたのは語彙の使い方が各々によって差が出ていたという事実だ。また、語彙が豊かな子と乏しい子が判別されていることも知った。教科書では語彙量が少なく、それを消化しても英語力が増えるわけではない。語彙の豊かな子を育てる家庭では読書や映画・ドラマの鑑賞、外部のコミュニティで英会話をする機会を得るなどして、インプットとアウトプットを繰り返しながら語彙を増やしていくような学習環境を整えている。他方、語彙が乏しい子は元々その機会すら少ない。英文を書く時でも「文の構造を理解していない」「語順が逆」「表現力が足りない」などの問題が散見されたのである。「これでは英語力が伸びていかないのは当然だ。」と納得した。それ以来、「言語」というテーマ(特に語彙)は最も大事な分野だと考えるようになった。
話を戻そう。英語を母語としない学習者、とりわけELFのユーザーたちは日々の学習において語彙との付き合い方をどう考えているのか。これは子供も大人も学習を継続する上で気になるものだと思う。多くのELFユーザーたちと対話してきた瀧野氏は彼らの語彙習得への心構えについて、次のように説明する。
< 個人の英語のコミュニケーションは、特定のテーマや関心があり、必要な語彙にはそれぞれ独自の濃淡がある。したがって、他の目的で作られた単語集に頼るより、「自分の必要順」で単語を選び、その単語と深く付き合うのである。もちろん、必要順で語彙の数を絞って覚えると、知らない単語に遭遇することも多いだろう。ただし、聴くにしても読むにしても、すべての単語を知るのは所詮無理なのだから、知らない単語があるのは自然なことと、割り切って考えよう。>
瀧野氏の助言はその通りだ。我々人間はコンピュータAIではない。習得できる語彙や関心のあるテーマは人それぞれだからだ。仮に知らなくても気にする必要はない。これは多くの英語のプロたちが実感しているからだ。
たとえ英文を読む際に知らない単語に出くわしても、読み飛ばせばよい。英文の全体の話の流れと主旨をある程度つかめれば、気を遣う必要はなくなるだろう。
ここで瀧野氏が取り上げる語彙に関する項目について3つに分別されている。
① 専門用語(だいたい100語ほど習得できればよい)
② 基礎的語彙(概ね2000~3000語を習得することが目標)
③ テーマ語彙
実際に、英語を聴く人や話す人に限れば、世界のELFユーザーたちの会話の80%程度が基本1000語で成り立つ。そして、90%近くが基本2000語で構成されているから、最低でも2000語をマスターすることが重要だ。(瀧野: 2024, p.140)。一通り覚えたら、③のテーマ語彙についてとことん学習していけばよい。
もちろん、語彙は多いことに越したことはない。それだけレベルの高い取引相手や一流と呼ばれるビジネスパートナーから信頼を勝ち取ることができるからだ。英語講師の里中哲彦氏は『そもそも 英語ってなに?』(現代書館)の中で豊かな語彙の獲得と興味対象の幅を広げることで「一目置かれる存在」になれると断言する。その方法はやはり読書だ。里中氏の経験談から、このように述べる。
< 私は、読書をつうじて、英語の歴史や日本人の英語受容史に関心を持ついっぽう、戦争、諜報、マフィア、時代小説、ミステリー小説、落語、ポピュラー音楽史、俳句などに食指を伸ばしてきました。翻訳書がなければ、英語で書かれたものを手に入れて読みました。
いまさら思うのは、英語を「道具」とわりきって、そのつど必要な語彙を仕入れ、その分野の本を多読してきたことの恩恵の大きさです。もっと知りたい――興味のある分野に対して、そうした熱意があるだけでした。(中略)
読書をすれば、語彙が多くなります。語彙とは「語句」の「集まり」(彙とは「集まり」の意)という意味です。
語彙力が豊かになると、それが表現力や説明力に直結し、仕事でもプライベートでも「一目おかれる存在」になれます。人は無意識のうちに語彙をつうじて、相手の知性を判断しているからです。>
※太字は筆者強調
やはり本を読むことで語彙を増やしていけるのだ。読書が苦行のように感じるなら、オーディオブックを使って「耳から読書」をするのも良いだろう。里中氏によれば、英語圏の教養人たちは20,000~30,000語の語彙を習得している。トップクラスのビジネスをやりたいのであれば、継続的な語彙学習は欠かせない。
あるいは、日米同時通訳の重鎮と呼ばれた英語通訳者の松本道弘氏(故人)も『give・getとtake・make 英語のすべてはこれで決まる』(朝日出版社)の中で、迷うことなく読書を勧める。言語学者のスティーブ・カウフマン博士(Steve Kaufmann)がYouTubeでステファン・クラッシェン博士(Stephan Krashan)の言語習得の技法を紹介していた。それを視聴した松本氏は思わず膝を打ったようだ。松本氏はこう述べる。
< カウフマン博士がクラッシェン博士を3点で絶賛しているので、すぐにペンを執った。まず大切なことは、学ぶ姿勢(attitude)。第二に、時間との闘い(多聴多読)、第三に、コンテンツ。Content is king.
単語を増やすのは、ボキャビルのテキストや教科書から学べる。文法書ではない。何より、好きなものをどんどん読むことだ。知識や中味が広がれば、忘れることのない単語が増える。
Give yourself time to read and you'll get results: content is vocabulary as a bonus. And your attitude matters.
(時間をかけて読め。コンテンツという成果が生まれる。単語なんかは、自ずから増殖していくのだ。重要なのは姿勢だ。)>
※太字は筆者強調
二人の”英語名人"からのアドバイスは理知に富むものだと思う。しかし、日本の学校の英語教育はそれに関する指導が十分に整っていないことが嘆かわしいと思うのは市井の人々の本音ではないか。それならば、英語の授業に「多読指導」を導入して、教科書と併用して多くの本に目を通すような指導教育を行うほうが最適だといえる。また、退屈しないように生徒たちが好きな本を発表して競い合う「ビブリオバトル」を実践するのも一興だろう。この事は英語に限った話ではなく、日本語も同じことだ。
とにもかくにも、多くの語彙を獲得できる指導環境が必要になる。
単語を覚えるコツ
さて、単語を覚えていくためのコツはどのようなものか。瀧野氏は以下の3点を念頭に置いて学習することを勧める。
① 意識して覚える: 語彙に全く注意を払わない状況では、語彙は覚えられない。語彙に、常にある程度の注意を払う。
② 連想のスイッチを増やす: 記憶に定着させるには、「語彙と意味の結びつき」のスイッチをたくさん強く作るほどいい。
③ 繰り返し出会う: 語彙はすぐ忘れ、1回ではなかなか覚えない。「何度も繰り返し」同じ語彙に出会い、思い出すたびに記憶が定着する。
これらの点を踏まえた上で語彙学習の勧め方を提示する。
① 英語を読んだり聴いたりするときには、「なかみ」の理解を優先するが、副次的に単語にも関心を払う。今まで「虫食い」でわからない単語を全部は調べず、できるだけ推量を補うことを勧めてきたが、繰り返し出てくる重要そうな単語には注意を払い、タイミングを見て調べる。
② 特に重要そうな単語は、意味を調べるだけでなく、語源、使われる状況や使い方、映像のイメージなどをできるだけいっしょに記憶する。これが単語を思い出そうとする際の「連想のスイッチ」になるので、このスイッチを、より強く、鮮明に、数多くすることを心がける。
③ 語彙は一度で覚えられないのは当たり前なので、調べたばかりの語彙がすぐに思い出せなくても落胆しない。同じ単語に出会うたびに、その都度意味を調べては思い出し、使ってみる。この繰り返しによって、語彙への理解が深まり、「使える」単語に変わっていく。
④ 英語を読み、視聴する機会を増やし、重要な単語に出会う回数を増やす。
語彙を定着するためにはインプットとアウトプットの繰り返しを行うことだ。これら4つの実践方法を試してみるとよい結果を生むに違いない。因みに、私は過去のnoteで英語学習書を使用して英文を書いたという試みを行った。これはtrue sentenceというライティングの方法で、実際にあった出来事や自身が見たり聞いたりした話題を英文にして書くという練習である。最初のうちは人生経験を積まないとかけない。日常のさまざまな出来事について自分で書いてみるのも一つの手だ。
生成AIを使いこなした英語学習法
本稿の最後に、生成AIを使った英語学習法を記しておく。この方法は読者にとって最も関心のあるものだと思う。しかし、初めに断っておくと、瀧野氏は生成AIを活用した英語学習について寛容な立場であるものの、AIに頼りきるのは適切なことではないと言う。なぜなら、生成AIは使う側にとってもリスクがあるからだ。瀧野氏は生成AIを英語学習のアシスタントにする際の注意点について説明する。
< ELFユーザーの多くは、日常的にAI英文校正やAI翻訳を利用し、その恩恵を実感しているだろう。生成AIを活用すると、英語の情報収集が瞬時に可能になり、簡単に日本語に翻訳できて、しかも、英語で書く文章は(一見)流暢になるので、英語を読み書きするストレスが減るが、もちろんリスクもある。ここではまず、生成AIをアシスタントにして英語を使う際のリスクを、以下の3つの視点で考える。
① 生成AIの返答の不正確さ
② 細かいニュアンスの喪失や改変
③ AIへの依存による英語力の退化
①と②は似ているが、①は「間違いの危険」で、②は伝えようとする「細かい内容や感覚が変質してしまう」ことを意味する。①はわかりやすい。仕事で英語と日本語で情報を行き来させるとき、その過程で情報が間違ったり、不正確になったりすると、大きな問題を引き起こすリスクがある。たとえば、AI翻訳の正確さは驚異的に進化していると感心するが、致命的な間違いを見つけることも少なくない。主語が間違っていたり、書いたはずの重要な条件が正確に反映されなかったりする。また、生成AIによる情報収集には、不正確な情報が混じることがある。英語の文法について質問した際に、文法の頻出誤用を「文法的に正しい」と、生成AIがもっともらしく解説したことがあった。だから、AIの提案を使う際には、情報や翻訳の正確さを自分で丁寧に確認することが必須である。
一方で②のニュアンスの問題は、見えにくいリスクだ。オリジナルの文に込めたニュアンスや思い入れが、AIによる翻訳や推敲の過程で失われたり、変わったりしてしまうことがある。AIの返答は、AIが学習してきた膨大な英文の中で頻出する言葉や表現を確率で選び作文する。結果として、流暢で自信に満ちた英文で回答が提示されるが、私たちのニーズに合わないことも多い。AIの英文の添削は、難しすぎる単語や表現が入ったり、過剰に丁寧だったり、不必要に長文になったりするとしばしば感じる。また、目上の人への配慮を込めて書いたつもりのメールが、気軽な日常語に書き換えられた失礼な感じになったこともある。ここが重要だと、自分なりにこだわりをもって使った語彙を、AIが英語ネイティブの常套句に置き換えて、意味がぼやけたと感じたこともある。>
瀧野氏自らの経験とともに、生成AIをうまく使いこなすための思考法が学習者に試されていることがおわかりいただけただろう。
AIへの過度な依存は危険
最も厄介なことは、生成AIの作った内容に丸々託すという考え方だ。これでは英語力が伸びないと瀧野氏は指摘する。
< ③の英語力の退化は、AIに過度に依存することで、自分で英語を読んだり書いたりする機会が減ることに起因する。①と②のように、生成AIの書く英文を自分なりに理解し、確認するためには、一定の英語力が必要で、この力がないとAIの提案を適切に吟味、評価できなくなる。たとえば、AI翻訳に依存して日本語だけで情報を処理してあとはAIに任せきり、自分では英語を全く読み書きせずにいたら、英語力は鈍っていくだろう。
しかし、AIの作業は自分でやるよりはるかに速く、生成される英語も流暢で洗練されているので、完全に任せきりにしない意思をもち続けるのは難しい。今後は、AIが、作成した、英語は流暢で饒舌だが意味がぼやけて人の感触が薄い文章が増えていくだろう。だからこそ、AIの間違いや不足を感知し、自分独自の考えや提案を納得のいく英語で表現できる力が重要になる。>
その通りである。厳密に言うと、「生成AIに任せて、楽をしよう」と考えるのはナンセンスだ。生成AIが作った英文は確かに理路整然とした文章になる。だが、これを実際のコミュニケーションや文筆でのやり取りにそのまま当てはめようとすると、相手は話の意図がつかめずに困る。AIが提案する内容を人間の言語感覚と伝えたい内容を明確化した上で自分なりにアレンジしていく。このスタンスなら、生成AIの活用は言語学習にとって鬼に金棒であろう。
生成AIを使って質問を繰り返す
では、具体的にどんな学習法を確立すればよいか。ヒントは本書で紹介している生成AIとの”対話”にある。瀧野氏はAIに興味のあるテーマについて質問を繰り返す練習を行うとよいと提言する。
< 日本では、生成AIを使った英語学習の紹介では、主に音声による英会話の練習や、英文の校正が注目されていて、私も有効な利用法だと思う。ただ、AIを相手にした英語テキストによる知的な対話は、これまでに存在しなかった革新的な英語の独習法だと考えている。生成AIに対して興味のあるテーマについて質問を繰り返すと、AIの英語の答えを素早く読むだけでなく、自分の考えをさっと英語で書く練習にもなる。>
例えば、AIに以下の質問を投げかけるとする。
・ ChatGPTを使った英語学習法を5つあげてください
・ なぜヨーロッパでは野球よりサッカーが人気なのですか
・ 世界で人気のあるカレーを5つあげて味と材料を解説してください
・ 暗号資産投資のリスクを3つあげて、解説してください
・ 自動車産業の将来に予想される、重要な変化を5つあげてください
これらの質問を行い、AIが英語に翻訳して英文を自動的に記述していくのだ。上記の質問には明確な理由があると瀧野氏は続ける。
< 最初に、自分の興味のあるテーマを選び、英語の質問文を作ってAIに問いかける。AIの回答を見て、思いつくままに追加質問をし、質疑応答を繰り返す中で、問いを深めていく。たとえば、ChatGPTを使った英語の学習法を5つ提案してもらい、どれもあまり新鮮味がないと思えば、もっと画期的(unconventional)で革新的(innovative)な方法を5つ提案してくださいなどと再質問する。提案された方法は、やり方や効果を詳しく解説してもらうこともできる。さらに、そのうちのひとつを選んで、実際にやってみようと指示して、その学習法を実際に試してみることもできる。>
生成AIとの対話によって学習者の適性に合った勉強法を探していくことで英語学習に弾みをつけることができる。質問をすることは何より重要なポイントとなる。最終的には、学習者がどういった英語を使いこなし、仕事や人生に活かしていけるかにかかってくる。ChatGPTへの聞き込みも同様である。この点で私も創意工夫をしてみようと思うが、まだ使い慣れていないのは正直なところだ。
本書には4技能(Reading・Writing・Speaking・Listening)を鍛錬するためのメソッドが盛りだくさんの内容となっている。「使える英語」を確立したいと考えている読者の方々に本書を勧める。
<参考文献>
瀧野みゆき『使うための英語 ーELF(世界の共通語)として学ぶ』中公新書 2024
里中哲彦『そもそも英語ってなに?』現代書館 2021
松本道弘『give・getとtake・make 英語のすべてはこれで決まる』朝日出版社 2022
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