心のこわばりに気づいた日「ヴィシュヌ」~バガヴァッドギーターカード
お休みの今日は引き続き片付け推進DAY。
お休みに限らず、と言いたいけれど片付けはやっぱりエネルギーが必要だから大きな進展は時間が取れる日に訪れる。
このところのカードも色々な視点から「手放す」ことに関わっていたと思う。
そのメッセージを胸に刻みながら、「ありがとう」時に「ごめんなさい」といいつつ「過去の不要なもの」「架空の価値」とお別れできたと思う。
ためていたスマートフォンやカメラのカタログとか、「捨てなくてもいい」と思うものは「捨ててもいい」と言い換えてみた。
実際捨てたらもう2度と手に入らない部類のものであるため何年も捨てられなかった。でもそのカタログが自分へ価値を齎す機会というものを想定したら捨てる気になれた。
捨てていくと自分の中のしこりみたいなものが少し解けているような気がする。
誰かになにか指摘されて言い返したくなる感覚。
生きるのに必死だったかつては逆上していたっけ。もうそんな激しいものは起こらないが、しこりのような感覚はきっとその名残だ。
「自分が正しいと信じたいなにか」
「自分の正しさを証明したいと叫んでいる部分」
そんなものがふと内側に浮き彫りにされてくる。
それも「大丈夫だよ」と優しく自分として受け止める、そんなゆとりが生まれてきているとは思う。
今日のカードは「秩序と維持の法則・すべてに拡がる存在(ヴィシュヌ)」。Yogaのポーズは「牛の顔のポーズ」。
ヴィシュヌは「創造・維持・破壊」のサイクルを司る神の一柱だと認識していたが、そのうち一番自分に縁遠い存在に感じていたものだ。
子どもの頃からクリエイティブに過ごしてきて、それ以上に破壊的な自分を認識していたから。
肩の力を抜いてYogaでカードに繋がる。
バガヴァッドギーターの主人公クリシュナはヴィシュヌの化身なのだという。
すべてに広がる存在
世界はヴィシュヌそのものであり、世界に生きるあなたとひとつに繋がる存在です。
このところある真理によって実践している事柄があるのだけれど、それをやっていると本当に世界の見え方が変わってくる。
すべてが自分の創造した世界だと、実感を伴って見えてくる。
すべてが自分だと判った先、その世界の創造と破壊の間に働くヴィシュヌの力もみえる気がした。
わかったことを無理に言葉にしない。
ことばにならないものもあるけれど、それでいい。
たくさん捨てたようで、わたしは自分の失った断片を取り戻しつつある。
今日はそんな気づきに感謝。