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ひとの罪ってなんだろう。それを裁くわたしはなんだろう。
今日もまとまりなく。ただ朝急に湧いてきた思考のひとつを綴ります。
「ジャータカ物語」というものをご存じでしょうか。
インドに伝わるお話で、お釈迦様の前世を綴った本だと言われています。仏教だから輪廻転生があって、お釈迦様は人間だけでなくウサギだったり、ガチョウだったり、色んな転生を繰り返すのですが中身はお釈迦様です。
時には人を教え導いたり、不思議な力にも恵まれています。
わたしがこどもの頃から家にあった本は子ども向けに編集された本でした。
当時活字中毒だったわたしはこのジャータカ物語も色んな伝記も、古事記もただの昔話も、ギリシャ神話も聖書もとにかくなんでも読んでいました。
そのジャータカ物語のベースは仏教なので、読んだ人が「善い行い」を積むようにと願って書かれています。
元の形式は詩と散文らしいのですが、説明によるとつじつまの合わないところなどがあり、注釈が書き加えられているのだとか。
だから読んでいると「ここ絶対加筆したな、元のままじゃないな」とか感じる部分もあったりします。
さて、そのジャータカ物語で時々見られるパターンが、「最初欲張りだったり徳のない人生を送っていたが、教えを受けて行いを改めたので、後の世には天界に生まれ変わるほどになりました(または生まれ変わった)」という流れです。
悔い改めれば救いがある、ということですね。
この流れをぼんやりと思っていてふと浮かんだのが聖書にでてくるパウロという人です。
詳しくない人の為にざっくりいうと、最初キリストに付き従う人々たちを虐殺して回っていた人です。
それが啓示を受けて「目から鱗が落ちて」キリストが真実に神の子だと信じるようになり、一転迫害を受ける側になっても恐れず布教活動をする人になったという話です。
このことに関していうと、イエスは元々「彼ら(自分を迫害している人々)は自分がやっていることをわからずにやっているのだ(だから罪はない)」みたいなことを言っているのですね。
パウロさんの周りの人が実際どんな態度だったか知る由もありませんが、受け入れられたからこそ一緒に布教活動ができたのでしょうね。
で、なにを思ったかというと。
テレビで「過去のこと」を取り沙汰されて社会的に抹殺されるような扱いを受けている人、またはそんな報道をみかけますが・・・出来事が事実ならば、内容に応じて適切な処遇が必要な部分はあるのは勿論でしょうけれど。
精神的に死刑にするみたいなのはやめません?
とか、ことばはうまく出てきませんがそんなことを思っていました。
まあね、やったことによっては顔見るだけでその人が行った嫌悪感のある行動を思い出すし、不快だからテレビに出るべきじゃないとか、そんなこともあるかもしれませんが。
でもそれも見た人がその事実(起きた出来事)をどう扱うか?の話でもあるんですよね・・・その人というより自分という個人の問題なんですよね。
ましてや、その人が罪を犯したとしても作品(芸術)に罪はないと、そう思うのです。
芸術家は確かに公の場に知られる人で、多くの人が憧れたり目指したりするから、彼らの行動は注視されると思います。「善い」行いは過度なほど賞賛され「悪い」行いも過度に叩かれがちなのかもしれません。
でも芸術がどこから生まれるのかなんて誰が知っているのでしょうか。
聖人君子のようにふるまえば素晴らしい芸術が生まれるわけでもあるまいに。あーだこうだと騒ぎ立てる記事を見ながらちょっと憤慨したりして。
なにが善でなにが悪なのか。
その本当も見るほどの視野も分別も、明晰性も。
どれだけの人が持っていることでしょう。
感情の尺度しか持ち合わせていないような訴えと裁きを元にして、勝つとか負けるとか、そんなことのどこに喜びがあるのでしょう。
「この殺人は単にバランスをとるために起きたこと」
限局された視点では持ちえない答え。
だけどそういう真実もある。
道を通れば視界が開ける。
闇が終わる。
でも、いまこの瞬間それが叶っていないなら。
声高に感情任せに誰かを弾圧するんじゃなくって、黙って静かに自分の内側に耳を傾けてみてもいいんじゃないかな。
制限の中に自分の身を置いて縛り付けるんじゃなくて、可能性の中に自分と相手と泳がせてみてもいいんじゃないかな。
釈迦もイエスも赦してきた「ひと」をわたしが裁くのってどうなのかな。
「わたし、なんて酷いことちゃったんだろう!」って言っている、わたし自身のことも。どうか裁かないで。
自分を許す、まずはそこから。
そして「赦し」の無い世界へ。
赦す人も、許される人も、罪すらもない世界へ。
* * *
お写真、小鳥ナッツさんからお借りしました。「罪」で検索をかけてみたところ、こんなかわいらしく逆さに閉じ込められた世界が・・・
子どもの頃、全く同じ事実を全く違うように捉えていました。
■■ というものは ○○だから、嫌いだ。
そう思っていたのが、
■■ というものは ○○だから、興味深い、愛おしい。
なにも■■は変わっていないのにそこに全く違う世界を見るようになりました。
このお写真がそんなマジックを見せてくれているような気がします。
小鳥ナッツさま、ありがとうございます。
* * *
スキ下さった方、閲覧が追い付いていませんが訪問させていただいています。
似ている世界の方も違う世界の方もいて興味深いです。
賭け事や投資のお金の収支報告だけの内容の方、流石にわからなくて適当にスキできないのですみません。
訪問だけさせていただいています。
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容量が悪くてゆっくりなので、マイペースに訪問させていただきます。
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