対価~値するということ
気づきのような、覚え書きのようなこと。
対価を支払うということについて、今日新しい視点を見出した。
対価を支払うことの意味をどのように捉えているだろう。
単純にそのものの価値。材料費に労働力と時間への対価とそれがもたらすであろうものの対価を加えたもの。
その対価を払う対象やそれを扱っている企業、生産者を認めること。支援すること。その在り方を今の立場から選択すること。
サービスやセッションなど形のないものへの対価ならその結果にコミットメントすること。
そして「自分の価値を認めること」も含まれるのではないかと感じた。
それを受け取るに相応しいと自分を認めること。
「それだけの対価を支払える自分」というものに対する評価。自信。誇り。
最適なことばではないけれどそんな感覚に近いものも対価を支払うときに生じるのではないかと感じた。
以前記事で触れたけれどわたしには借金が少しばかりある。
企業としては普通な額だけれど、個人事業主といってもフリーランスの自分には精神的に負担ではある。
ローンの他リボもあるので月々収入をみて返済額を入力するのだけれどこれがなかなかのストレスだった。
日々の買い物も欲しいものを我慢していても物価上昇なのかなかなかの額。
感覚を掴むためとこのご時世の中現金払いにしているが、手元を去り行く紙幣たちに別れを惜しむ眼差しを送るのが常で。
でも違うのだ。
お金を払えるのは「ありがとう」なのだ。
対価を払えたことはありがとうだし、欲しいものが買えたのもありがとう。
わたしは正当な対価を支払っているのだ。
そう心から思えないなら買うのを辞めればいい。
リボの返済もタイミングがずれているだけで、寧ろその時全額の現金を用意できなかった自分にそれを購入する機会を与えてくれたわけで。
だから返済の利息にもありがとう。
でも最初の「ありがとう」の分以上に「返済を待ってくれてありがとう」の利息がかからないよう、なるべく速やかに返済。
それほどまでに欲しかったソレとの縁を繋いでくれてありがとう!って思いながら支払うことにした。
早く返済したいからお金が必要、もっと働きたい!と思ったら仕事が増えて収入が増えた。忙しくなってくたくただけど。ありがたいことだ。
支払えるっていうことで自己価値が上がる感覚。
今まで収入が上がると税金でたくさん持っていかれると人の話をきいてマイナスイメージを持っていたけれど、たくさん税金を払えるということはそれだけ社会に貢献できる可能性を持っているということだ。
それって社会から引きこもっていたわたしでもちょっと自分を誇れる感覚だと思う。
だから目指したいって思えた。
エネルギーは停滞させずに滞りなく循環させる方が上手くいくと思う。
だって人間のからだがそうだから。
きっと宇宙も地球もそういう風にできていると思う。
この世界はフラクタルな構造だから。
相も変わらず世間は無料ブームだけれど、そこを目指さない。
みんなが正当な価値を認め合っていく。
そんな社会が気持ちいいんじゃないかと思った次第。
今日もありがとうございました!