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価値のあるものは何か

赤ちゃんの手と幸せ

赤ちゃんは手を握り締めて生まれてくるのは、幸せを握り締めて生まれてくるんだと聞いたことがある。

それを開いたときから、その放った幸せをつかみなおすために生きて歩いていくのだと。

それじゃあずいぶん遠い未来にしか幸せがつかめなさそうな話だが、小さい手は何でも幸せに変えてしまう魔法も持っている。

雑草も、蟻も、お母さんの手も、公園の水道水も、石ころもなんでも。

その赤ちゃんの手に近ければ近いほどスマホに近づくと、触覚と嗅覚と視覚の情報がちぐはぐになって危ないよと、新型コロナ前の社会ではよく言われた。わたしも15年前の育児では、おそらく人生最高に神経質に、子どもに触れるものについて、考え、監視し、与え、遠ざけていた。

それでも子どもは危ないものが大好きだし、なんでも触るし、ましてや食う(笑)。

部屋の隅の誇りを食べていた生後5か月。ばかばかしくて哺乳瓶の消毒をやめた。

それにしても、今は赤ちゃんをどう守るのか、保護者達は本当にしんどい思いをしているのではないか。

このしんどさはわたしにも身に覚えがある。

あの東日本大震災の原発事故の時、わたしの大切な子どもたちに放射能が降り注いでくるのを防げない。

その悔しさやつらさを思うと、今の保育に携わるお仕事の方々も含めた、親たち、保護者たち、本当に、途方に暮れる気分なのではないかと思う。

この世に「何もない日常」ほど価値があるものはないと、気づかされる日々だ。

子どもは遊びの中でしか学べない

厄介なことに、子どもにとってすべてが遊びであり、学びだということだ。

今家の中になるべくいるようにしていても、そしてつるっとした画面に、小さい人たちにとって刺激的が画像が流れてくるものしか触れさせなかったとしても、それで誰が「いけません」と言えるだろうか。

乳首を消毒するコットンで、スマホを一生懸命拭いて「ほら、ワンワンだね」と、お話しているお母さんを思うと涙が出てしまう。

だから精いっぱい抱っこしたり、お話したり、一緒に寝たり、誰もいない時間にお日様があたる場所を探しに行ったりすることを、どうか見逃してあげてほしいし、道を譲ってほしい。

育児センターのような相談場所に行けない子育てなんか、わたしの育児ではありえなかった。今はどのくらいオンライン対応できているのか、気がかりだ。

住んでいる町のサイトをぐるぐる回って、やっと親子ひろば休止中の電話相談をみつけた。トップ画面の一番目立つところにあってもいいくらいだと思う。親子ともにストレスがたまる中の育児は、日ごろ以上に深刻なはずだから。

そうだお料理をしよう

しかし家の中で、触覚も嗅覚も、資格も味覚も、聴覚にも作用する遊びがひとつだけあった。

それはお料理だ。

たとえばレタスをちぎるとか、粘土をこねるように餃子の皮をこねるとか、そういうこともわからない小さいうちなら、食パンを細く切ったものをトーストして握らせてあげると、時間をかけてはむはむ食べるので、とてもありがたい。

スルメとか干し芋もいい。ただ飲み込んでしまう大きさになったら絶対目が離せないという難点もあるが、そのときはそれこそスマホで撮影でもしながら手を休めて眺めてあげるといいかもしれない。

買い物では、雨のときのようなフードのついたカートをつけて今なら行けるけれど、これより熱くなったらどのようにするのだろうか。

こうして考えていくと、なにかと不便で、育児支援が心配でならない。

お料理をして一日過ごすのはいいとして、材料を調達するのにどうしたらいいのか。

引きこもり支援との合体

たとえば、引きこもり支援のいっかんとして、こうした育児家庭の買い物のお手伝いを依頼できるような、アプリがあったらどうかしら。育児家庭、介護家庭がアプリに登録して買い物を配達してくれる人とスーパーマーケットやホームセンターとつないでくれるみたいな。

まあスーパーの配送を頼めばいいんでしょうが。

でも単発で自分が誰かの役に立てたらうれしい人っていうのもいるんじゃないのかな。

ただこういう仕組みを作ることで、労働者の環境が悪くなっていくのは望みでは当然ない。逆手に取らないでほしいとは思う。

子どもの手から、大人の都合の話になっていくが、子どもは単体では生きられない。大人が生きるすべを持たなければ、子どもも育まれないのだ。子どもの手に何をつかませてあげられるかは、大人の経済活動に直結しているのだ。

どうやって生きていくのか

明日をも知れぬ我が身の人があふれていると思う。

あらゆる人が、いろんな意味で助けられる社会になるよう、今考えられるチャンスだと思う。お金に余裕がある人は意識的に使うといいと思う。

それが社会に還元していく事業ならなおいいと思う。

野党が共同提出した法案。

今はどの職場も「どうして食いつないでいくのか」ということが最大の難関だと思う。家賃が払えないために店をたたんでしまう老舗のレストランの記事も多い。

Twitterでもそうした発信が目立つ。

職場の環境によっては今月の賃金が出るのか出ないのかわからない事業もあるだろう。例えば会社都合の休業において、労働者の賃金が支払われないということは、仮に時給制であっても、あってはならないことだから。

事業主だけの問題でもない。

働く人には家族がある。

今後もこうした法律が提出されて、多角的に人々が救済されていくといいと願う。

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峰里えり
自分の経験をもとに思いのまま書いていきたいと思います。 現在「人工股関節全置換手術を受けました」(無料)と 「ハーフムーン」(詩集・有料・全51編1000円)を書いています。リハビリ中につき体調がすぐれないときは無理しないでいこうと思います。

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