藍苺~地球が育んだいのち~無肥料栽培に思う
天のひかりが降り注いで青い雫となった・・・そんな表現をしたくなるが、ブルーベリーは藍の苺と書くらしい。
どの辺が苺なのかはさておき、今日のブルーベリーは甘かった。
日が高くなる前に庭のブルーベリーの収穫に出た。
わが家のブルーベリーは無肥料自然栽培だ。と言い切っていいのか、詳しい農法の差をわたしはそれほど知らない。
ただ、植えた時に土を耕しはしたが、施肥も雑草対策もしていない。
害虫も別の木には来るのにこのブルーベリーには蜘蛛の巣がかかる程度だ。だから害虫対策もしていない。
それでも毎年欠かすことなく実を結んでくれる、ありがたい木だ。
このすぐそばに同じころ植えた姫リンゴはなかなか気難しくて例年3個実を結べばいいところ。バラ科ゆえか毎年毛虫の襲撃に会うようになってしまった。わたしとすれば木があるだけで嬉しいのでゆっくり気長に育てている。
期待していないといいつつも、夏がきてブルーベリーが美しく実の色を紅から藍へと染めていくのを見ると胸が躍る。
本当に太陽と雨水の恵みだけで育まれているのだから、ことばにならない神秘だ。
採れたてのブルーベリーはまだ熱を帯びていて、そのせいもあってか深い甘みがある。
そっと実を摘んで引いただけで穫れるものだけを収穫しているから、完熟のタイミングで味わえるのも家で栽培してこその喜びだ。
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農業の世界は昔みたいに単純じゃなくなってしまっている。
みんな収益をあげるのに必死だから。
先にその目的があって、後から「安全だ」という証明を必死になって作り出しているように感じてしまう。
母が生きているとき、父の要望で無肥料栽培を手掛けていた。
親子というのは離れて生きていても思いつくものたどり着くところが同じで苦笑してしまう。
母は「雑草をとらないと近所の目が辛い」と嘆きながら父の指示に従っていた。
そんな母の作ったメロンは今まで食べたことのない深い味わいと甘さが溢れるような果汁に満ちていて、わたしは無肥料栽培の可能性に震えた。
たったひとつしかできなかったメロン。
母はそれを愛おしそうに、そして誇らしげに、帰省したわたしたちに振舞ってくれた。
どこにいってもどんなにお金を積んでも一生食べられないメロンだった。
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「奇跡のリンゴ」または「木村秋則さん」といえば聞いたことがある人も多いと思う。
木村さんの林檎の話は書籍になった後映画にもなったから、きっと多くの人が知っているのだと思う。みんなが感動し、高く評価しているように思う。
でも社会はそういう方向には動いていない。
わたしの周りだけでもいい。
わたしの世界だけでも、完全に地球と調和した農業のサイクルを作り出したい。
地球のどこかで既に無肥料栽培やバイオダイナミック農法を行っている先人たちとともに。
地球への感謝が溢れた作物が食卓を彩る世界を、わたしは見ていたい。