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ドイツ語が話せなくとも

私が留学生としてドイツに渡った時、ワーキングホリデー制度はまだなかった。
学生ビザも日本にいる間に申請をし、許可を得てからドイツに渡った。
以下の日付は備忘録。

2000年12月
ドイツ ワーキングホリデー制度開始

2015年
ドイツ シリア難民受け入れ約89万人

2016年6月23日
イギリス国民投票にてEU離脱決定

2017年1月20日
トランプ氏がアメリカ大統領に就任

2024年6月9日
欧州議会選
AfD(ドイツのための選択肢・排外主義的右派政党)がドイツで第二党に躍進

ワーキングホリデー制度でドイツに住むかたに加え、特に2015年からは多くの難民を受け入れたドイツ。
以前よりずっと外国人比率が高まったように感じていたが、その推移を辿ると、それが気のせいではない事がはっきり分かる。
1990年代から約800万人程度を保っていた移民は、2022年には1200万人を超えた。
人口比では、約9%から15%へ増加している。
ここ最近のドイツの出生率の上昇は、移民がもたらした結果である事も指摘されている。

日本と比較してみると、2023年は在留外国人が342万人に増加しているが、それでも人口比2.8%程度だ。

bib.bund.de

私がドイツの日系企業で仕事を始めた頃、駐在員のかたはドイツ語が堪能で、社内ではドイツ語が主要言語として使われていた。
つまり、社内でドイツ語を話せない人は、一人もいなかった。
しかし今は、ドイツ語を話せないかたの割合はかなり高い。
この事は、ワーキングホリデー制度を利用してドイツに来るかたが増えた事も、原因の一つだろう。
ドイツは他の欧州諸国と比較して、ビザを取得しやすいらしい。
欧州のどこでも良いから住んでみたいという夢をお持ちのかたにとっては、比較的安全で経済も安定しているドイツは、ピッタリな国なのだそうだ。
駐在員のかたも、かつては年単位で語学研修制度があったが、今となってはドイツ語を話せるかたは稀な存在となってしまった。

現在、採用基準として問われる語学能力は英語であり、ドイツ語はできれば尚可、日本語能力は全く問われない。
ドイツ語はできない人が多いので、社内の共通言語は英語となる。
私は英語が得意ではないので、この流れの変化は決して好ましい訳ではない。
ドイツ語があまり重要視されないなんて、少し悲しい。

先ほど取り上げた、難民や移民の出生率の高さ。
子供達も大人も、ドイツの環境に柔軟に対応して成長するだろうが、家族で会話する時はやはり母国語を話している。

こうして私は今、街中でも仕事場でも、以前よりずっと、ドイツ語以外の言葉を聞いて生活するようになった。

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トランプ元大統領が、アメリカ・ファーストを掲げ始めた時、なんと自己中心的な考えなのだろうと驚いた。
各国と手を繋ぎ助け合う事を目標にし、戦後の歴史は築かれてきたのではなかったのか。
まさか、彼が大統領に選ばれるとは思わなかった。
(とはいえ、先日の銃撃事件は大きな衝撃であり、何人たりとも誰かに命を奪われるという事は起こってはならないと思う。
引き続き、秋の大統領選結果に注目したい。)

そして、まさかイギリス国民が、EU離脱を選ぶとも思わなかった。
どちらのニュースも、私は呆然としてその流れを見ていた。
どちらの国も、ほぼ同じ時期に自国を守るという方向に舵を切ったことは、偶然ではないだろう。
みんなで手を繋いで仲良くしましょうとやってきたけれど、そんな事はやっていられないというわけだ。
自国を守るという建前のもと、外国人を排除する動きが出てしまうのは、この時代が生んだ一つの流れなのだろう。
ドイツでも、その動きが顕著になっている。

国際移住機関(IOM)による移民の定義は、以下の通り。

移民とは、本人の法的地位や移動の自発性、理由、滞在期間にかかわらず、「本来の居住地を離れて、国境を越えるか、一国内で移動している、または移動したあらゆる人のこと

私も、移民の一人だ。
ここまで外国人比率が高くなった事で、右派の勢いや外国人排除の動きが高まるのは、やはり居心地が悪い。
それでも尚、外国人比率が高まる事を好ましく思わないかたがいらっしゃるのは、分かるような気がする。

私自身でさえ、その変化を感じている。
この国にずっといて、同じ生活をしているのに、周りはどんどん変わってしまう。
時代の変化とは、時として意地悪なものだ。
私が今までの人生をかけて積み重ねた事は、時々全く意味を為さなくなる。
しかし、昔は良かったなんて言っているのは、私が歳を取ったせいだろう。

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私は外国人として、時には大切にされ、時には居心地の悪い扱いも受け、ここで生きてきた。
それでも私には、ドイツが好きだという根本的な思いがあり、ここにいる。
こうしてnoteを通じてドイツの情報を発信しているのは、もちろん自分のためではあるけれど、どこかの誰かにドイツをもっと知って欲しい、というささやかな願いも含まれている。

いま周りを見渡すと、ヨーロッパならどの国でも良い、ドイツ語を話せなくても良い、ドイツを知らなくても良い、ドイツには興味などない、むしろドイツは好きではない、そんな人が大勢いる。

人の人生は、それぞれ。
私がとやかく言うことではない。
それでも、ドイツに長く住んだ身としては、残念な傾向だと思う。
『別に、ドイツは、それほど好きではない』
そんな気持ちや振る舞いは、ここに住んでいる人には伝わるのではないだろうか。
少なくとも、私には伝わるのだから。
ドイツを好きではないと言う外国人に対しても、どうか寛容であって欲しいとは、流石に言い難いものだ。

ドイツの欠点を指摘する人もいらっしゃる。
しかし、どこに住んでも、何かしらの欠点はあるものだ。
住めば都とは言うけれど、実際にはどこに住んでも問題は起きるし、気の合わない人もいるだろうし、完璧な場所を見つける事はなかなか難しい。
そのうえ、文化も風習も違うドイツ。
ハードルは、より高いだろう。
住む所を都にできるかどうかは、その人の捉え方次第とも言えるかもしれない。

しかし、改めて考えてみると、ドイツの欠点を見つける事も、ドイツを知る一つの手段ではないだろうか。
住んでいるからこそ、分かることもある。
だから、欠点よりも、一つでも多くのドイツの長所を見つける事ができたらラッキーだ。
長所を見つけるには、まずはその国や街を知らなければいけない。
好きでもない国に、イヤイヤ住むのはつまらない。
家族、仕事、パートナーなど、色々な事情があり、自分の意思とは別にここに住んでいる方もいらっしゃるだろう。
自分の思うような生活ではなく、不満を抱えているかたもいるかもしれない。
それでも、住んでいる国や街を好きになれたら、少しでも心安らかに生きていけるのではないだろうか。
誰のためでもなく、自分自身のために。

ドイツ語が話せなくても、この国では生きていける。
でも、ドイツ語を「話せた方が良い」と思える人、せっかくならドイツの事を「知りたい」と思える人がもっと増えたらいいなと、今はぼんやりとそう思うのだ。

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