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『ヴァイオレット・エヴァーガーデン 外伝 - 永遠と自動手記人形』感動の中心を書く
はじめまして。ササクマと申します。誰に頼まれたわけでもないのに書く、アニメ専門の自称映画ライターです。
2020年9月18日に『劇場版 ヴァイオレット・エヴァーガーデン』が公開されますね。予告しておくと、わたしは本作の映画評を必ず書きます。
で、書きました。
そして本稿は、2019年9月6日に公開された『ヴァイオレット・エヴァーガーデン 外伝 - 永遠と自動手記人形』の映画評です。
この記事自体は過去に書いたものであり、田中泰延著書『読みたいことを、書けばいい。』の書評でもあります。できれば本書のことも知っていただけると、この映画評も楽しめる内容になっているはずです。
前置きはこのくらいにしておきましょう。では、よろしくお願いします。
◯導入
日本にライターは何人いる?
ふと気になったのでネットで調べてみました。
「13歳のハローワーク」の職業解説によると、日本では1年間に33億冊の雑誌が売られている(2001年度出版統計)とのこと。また、2000年の国勢調査の時点で、3万3600人が文芸家、著述家として働いています。
そして2003年に日本で出版された新刊書籍は7万5530点で、雑誌の出版点数(2004年3月時点)は4515タイトル(うち月刊誌が2771タイトル)にのぼるらしいです。(『出版年鑑』出版ニュース社より)
違う。僕はそういうことが知りたいんじゃない。もっと具体的な人数を知りたいのです。さらに調べます。
次にランサーズ株式会社の、「フリーランス実態調査」という記事を見つけます。それによると、2018年時点で日本のフリーランス人口は1119万人いるとか。日本の労働力人口に対して、17%を占める割合になります。
ただし、これはフリーランス全体の数字であって、そこにライター人口の内訳は明記されていません。(ちなみに総務省が2017年に実施した労働力調査では、日本の労働力人口は6720万人となっています。ついでに書くと日本の総人口は1億2680万人ほど)
ダメだ。どれだけ調べようとも、全国のライター人口は判明しません。これはつまり、誰も把握していないということです。なんかよくわかんねぇけど、とにかくライターはたくさんいるらしい、という認識が今回で得た調査結果です。
なぜ、ライター人口は不明瞭なままなのでしょう? それはプロと素人との境界線が曖昧だからです。例えば仕事を仲介するクラウドソーシングサイトを利用して、その書いた文章が採用されれば誰だってライターになれます(簡単ではない)。
『天使にラブソングを2』の名言じゃないですけれど(正確にはリルケ『若き詩人への手紙』)、書くことが何よりも好きで自分からライターを名乗ってしまえば、もう名乗った時点で自分はライターです。それら全ての人間を網羅しての集計は不可能でしょう。
いや実際、書くって誰にでもできるんですよね。音楽や美術と違って、特別な能力は必要ありません。極端な言い方をしてしまえば、自分の趣味について書けば良いわけです。かつ、オリジナリティ溢れる文章力は求められていません。クライアントの意向に沿った、わかりやすい文章だけを心がける。
でも、待ってください。それでは田中泰延著書『読みたいことを、書けばいい。』の教えに反してしまいます。そんな自分が読みたいことばっかり書いていたら、クライアントの意向にそぐわない記事は採用されません。
と思いきや、ライター人口が無尽蔵に溢れている現代だからこそ、逆に優秀なライターが減ってしまっているという、謎の食物連鎖的な現象が発生しています。
例えば肉食動物をクライアントとするなら、今は草食動物である優秀なライターを食い散らかし、仕方なく植物の有象無象ライターをムシャムシャ食っている状態です。草ボーボーの中から、地道に草食動物を育てるしかありません。
では、優秀なライターの条件とは何か? それは従来では考えられなかった、個性的な文章が書ける人です。大量にライターがいるからこそ、他と差別化できる独特な記事が評価されます。今回は自分らしい書き方を模索できるよう、ここだけの文章術をレクチャーして行きましょう。
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……なんてライターの生存戦略がしたくて、僕は映画評を書き始めたわけではありません。ただ純粋に、書くって何だろうと思った次第です。きっかけは『読みたいことを、書けばいい。』でした。
この本について、大勢の方が感想を書いていらっしゃいました。あわよくば僕も便乗してやろうと、感想を書くために何度も本を読み返します。
しかし、書けない。そもそもの内容が簡潔にまとまっている上、他の方が書いた文章と同じ感想を抱いたため、わざわざ僕が書く必要もないんじゃないかと思いました。なんて、言い訳しては書けない口実を自ら作り出しています。
そんな時です。とある小学生の女の子が、『読みたいことを、書けばいい。』の読書感想文を書きました。原稿用紙三枚という適切な文字数で、本書で伝えたかったことを的確に抜き出し、かつ自分の体験を踏まえた考えも述べています。
とてつもない文章構成力です。もう、大人たちからは絶賛の嵐。それを読んだ僕も感銘して彼女に賞賛を送る…………ことができません。そうです。僕は10歳以上も年下の女子小学生に対し、なんと嫉妬してしまいました。すげぇ悔しい。才能が憎い。なんて器の小さい男だ。
でも結局、僕は本書の感想が書けずに終わりました。不本意ながら、潔く負けを認めましょう。こうなったら自分を見つめ直すためにも、原点に立ち返る必要があります。書くとは何か? なぜ自分は書くのか? てか前置き長すぎぃ!!
◯作品紹介
とゆーわけで、はい。
『ヴァイオレット・エヴァーガーデン 外伝 - 永遠と自動手記人形』です。
制作は京都アニメーション。本作はTVアニメシリーズ放映を経ての映画化になるため、簡単に物語の基本設定から説明します。ちょっとややこしいんですけども、ネタバレされるため絶対にWikipediaを閲覧しないように。
世界観は架空のものであり、現実とは国などの地名が異なります。ただ公式には明言されていないのですが、作中の地図と現実の地形が一致する描写があるため、おそらく19世紀のヨーロッパ諸国をモデルにしていると考えられます。
時代背景は大陸全土を巻き込んだ、4年間にわたる大陸戦争の終結後となっています。その中で主人公のヴァイオレットは孤児となり軍人に拾われ、戦争の道具として訓練を受けて育ちました。彼女は非常に高い戦闘力を有していましたが、過酷な戦場を生き抜いた果てに両腕を失ってしまいます。
そして大戦が終わり行き場のない彼女は、後見人の一人となったクラウディアに引き取られます。彼は郵便社を経営しており、ヴァイオレットは自動手記人形として代筆業を任されました。
はい、ここで出た自動手記人形というワード。これがややこしい。自動手記はタイプライターのことです。
で、人形は代筆を請け負う人間のことを指しており、通称「ドール」と呼びます。ヴァイオレットは精巧な義手を装着して仕事をし、少女兵として生きてきたため感情の起伏に乏しく、周囲からドールと呼ばれることも相まって、僕は彼女のことをサイボーグか何かだと勘違いしてました。
彼女は人形でもサイボーグでもなく、ちゃんと血の通った人間です。そして人間の感情を理解したいと思う動機があり、文字を読み書きできない人々の代わりに手紙を書きます。つまり、この物語は書くことが大きなテーマになっているわけです。はい、前置きの話と繋がりましたね。
とにかく、上記の設定さえ踏まえておけば、外伝の映画は問題なく楽しめるはずです。もっと詳しく知りたい方は、NetflixにてTVシリーズが配信中です。ご視聴お願いします。
◯制作スタッフ
外伝の監督は藤田春香さん。本作が初監督作品。ちなみに、TVシリーズの監督だった石立太一さんは監修を務めます。
藤田監督の仕事については、以下のサイトで詳しく解説されているので、参考にどうぞ。
http://studiodomo.jp/wordpress/enshutsu-harukafujita/
脚本は鈴木貴昭さんと、浦畑達彦さん。このお二方はTVシリーズも何話か脚本を担当しています。ちなみに、シリーズ構成は吉田玲子さん。こうして見ると、外伝は若手が中心となって制作していたのが分かります。
総作画監督は高瀬亜貴子さん。また彼女はキャラクターデザインも務めており、小説版のイラストレーターでもあります。
京都アニメーションはアニメ制作会社でありながら、独自の画期的なビジネスモデルで出版事業(KAエスマ文庫)も立ち上げているため、こうして自社内だけで原作とアニメを一本化させることが可能でした。
ちなみに『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』は、京都アニメーション大賞を獲得した唯一の作品です。それだけにアニメ制作に関しては、特に全力を注いだ作品だと思われます。
◯あらすじ
やっと外伝の物語に触れることができます。今作は外伝という名前の通り、本来の主人公であるヴァイオレットとは別に、物語の主体となる登場人物が二人います。
しかも、前半と後半で時系列と主体の人物が交代する、特殊なストーリー構成です。まずは人物の紹介がてら、前半と後半のあらすじを別々に紹介していきましょう。ラストのネタバレだけはしないよう気をつけます。
■イザベラ・ヨーク
大貴族・ヨーク家の娘。良家の子女のみが通うことを許される、全寮制の女学校にて在学中。周囲の女生徒は有名な家系であるイザベラと交流を図ろうとするも、なぜか彼女は他人と上手く話すことができません。
閉じられた学園は監獄のようだと嘆き、卒業後も有力な貴族の元へ嫁ぐことが決まっています。度重なるストレスで咳き込む症状が止まらない中、そこへ教育係として雇われたヴァイオレットが現れます。
最初は警戒するイザベラでしたが、学園生活を彼女にフォローされることで、次第に友人として打ち解けていきます。むしろ友人以上に甘えまくります。最高の百合展開。そして期限である舞踏会の日が差し迫ってきた頃、自分の秘密について話し始めました。
イザベラはヨーク家当主の愛人の娘でした。本当の名前はエイミー・バートレット。母と死別してからは一人で生きるしかなく、盗品などを売っては貧しく暮らしていました。
ある日の帰り道、道端に座り込んだ一人の幼い少女・テイラーと出会います。身寄りのないテイラーの姿を自分と重ね合わせたのか、エイミーは彼女を妹として育てることを決心しました。
生活は依然として貧しいままですが、それでも生きようとする二人の間には笑顔が絶えません。エイミーは手作りのぬいぐるみをプレゼントし、テイラーは彼女を本物の姉のように慕います。
ところが二人の元にヨーク家の者が訪れ、エイミーを跡取りとして迎え入れようとします。エイミーはテイラーを孤児院に入れることを条件に、イザベラと名前を変えて生きることを決断します。
回想が終わり、ヴァイオレットの家庭教師期間も最終日です。最後の最後に、イザベラはテイラーに宛てた手紙の代筆を彼女に依頼します。
■テイラー・バートレット
身寄りのない少女。手紙が届いて3年後に自力で孤児院を抜け出し、手紙だけを頼りにヴァイオレットの仕事場へ訪れます。
特別に自動手記人形の手伝いを許可されましたが、テイラーが希望した職は郵便配達員でした。なぜなら、自分に手紙を届けてくれた人間のことが、今でも強く印象に残っているからです。
で、その手紙を届けたのがベネディクトという名の男性。ヴァイオレットの同僚としてTVシリーズでも活躍する主要キャラですが、この頃は郵便配達の仕事に誇りを持てず、毎日代わり映えのしない業務に退屈していた時期でした。
そんな時にテイラーが来て、自らを師匠と呼び仰ぎます。なんか変わった女の子だと思いつつも、郵便配達の手伝いを懸命に頑張る姿を見て愛着がわきます。
やる気は人一倍あるテイラーでしたが、実は文字が読めません。それを知ったヴァイオレットは、彼女に文字の読み書きを教えます。
次の日も勉強がてらに仕事をこなす中、姉であるイザベラのことが話題に上がります。ヴァイオレットは手紙を出すことを提案し、テイラーは彼女に代筆を依頼しました。そしてベネディクトがイザベラの住所を突き止め、彼と一緒にテイラーは手紙を配達します。
◯感想
すみません、ラストのネタバレに触れます。盛大に漏らします。ここまで読んでいただけた方には大変申し訳ないのですが、できれば映画の鑑賞後に続きを読むのが望ましいかもです。ここから先は、僕が読みたいことを書いてしまいます。
心の準備はいいですね? では、どうぞ。
外伝のテーマは名前です。
イザベラとテイラーの共通点は、自分自身に何も無いことです。
人間には属性があります。他者から見た自己の性質、つまりは数値化して比較できるステータスです。パーソナリティのような本人の個性ではなく、時代の社会的な価値観を指します。例えば生まれ故郷、家系、学歴、職歴など、人間が培った文化的な意味合いが強いものを、ここでは属性とします。
人間は生まれ持った属性により、生活基盤となるコミュニティを分け隔てられます。で、問題はコミュニティがどこにあって、それを自分で決められるのかという点です。
属性によるコミュニティには、大きく二つあります。共同体と社会です。この二つを分ける違いを、それぞれゲマインシャフト、ゲゼルシャフトと呼びます。この概念はドイツの社会学者テンニースが提唱しました。
まず、ゲマインシャフトは本質意思のことです。これは血縁、地縁、職縁など、知っている人と結びつく関係が共同体となります。
次に、ゲゼルシャフトは選択意思のことです。これは企業、労組、国家など、知らない人と結びつく関係が社会となります。
エイミーとテイラーは孤児という属性を背負ってしまいましたが、二人は新たに本質意思を上書きするように姉妹として関係を結びます。
しかし、エイミーは突如として現れたヨーク家により、イザベラとして本質意思を捏造されます。自己の属性を偽っての学園生活だったため、そのステータスを目当てに近づく女子生徒に拒否反応を示していたわけです。
また本質意思に縛られることで、選択意思の自由もありません。仮面を被り続けるイザベラには何も無く、そこから抜け出せないことに絶望します。
対して幼かったテイラーには、本質意思そのものがありません。ただ孤児という属性は残っていますが、自ら孤児院を抜け出し、郵便社で働く選択意思を示します。
とはいえ、まだ子どもなので社会とは直接に繋がれません。幼い頃に届いた手紙だけが、自分を自分たらしめる唯一の救いです。
かつて姉妹関係を結んだ二人は、後に付随した属性により生き別れます。貴族と孤児とでは身分と立場が異なり、住む世界が分け隔てられます。もう二度と出会うことはありません。
ですが、手紙は異なる世界を超えられます。なぜなら郵便配達という仕事が存在して、特定の誰かに届けてくれる人がいるからです。もしかして、僕は当たり前のことを書いていますか? そう、それが当たり前になったからこそ、言葉は自由なのです。
イザベラがテイラーに宛てた手紙には、たった一文だけ「エイミー」と書かれていました。他人が読めば意味が解らない内容ですが、テイラーにとっては魔法の言葉です。
なぜなら「エイミー」という名前さえ思い出せば、何も無かったはずの本質意思が呼び起こされるからです。決して自分は一人じゃないと、生命力が溢れてきます。
そして、テイラーはイザベラに宛てて、3年越しに手紙の返信をします。
「私はテイラー・バートレット。エイミー・バートレットの妹です。」
この文面を読んだ瞬間、イザベラは属性の括りから解放されました。テイラーが自分を「エイミー」と呼ぶ限り、自分は姉であり妹がいて、コミュニティの垣根を越えた姉妹関係でいられます。
名前って、不思議ですよね。自分の名前は自分のものなのに、それを自分で呼ぶことは滅多にありません。誰かが自分の名前を呼んでこそ、自分は自分であるという確証を持てます。
「名前ってなに?
バラと呼んでいる花を
別の名前にしてみても美しい香りはそのまま」
――『ロミオとジュリエット』シェイクスピア(小田島雄志訳)
◯まとめ
『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』は、手紙を代筆する女性の話です。仕事の依頼主がいて、明確なターゲットが存在します。そのため、特定の誰かに手紙を書くように書きます。
しかし、我らが『読みたいことを、書けばいい。』には、「それはLINEしてください」と書かれています。言いたいことは「置かれる」のであり、「届けられる」のではないとも書いてあります。
そうです。手紙を書くドールと、随筆を書くライターとでは分野が異なります。僕は一体、ここまで何のために書いたのでしょう? そして貴方は一体、ここまで何のために読んだのでしょう? ただネタバレされただけ?
いえ、ご安心めされい。この二作品には共通点があります。それは両方とも書くことを内容のメインとして掲げておきながら、文章を書く方法については一切言及されていないことです。つまり、書いた先にある目的を求めています。
また『読みたいことを、書けばいい。』では、趣味について定義しています。それは「手段が目的にすりかわったこと」です。正直に言うと、僕は書くのが面倒なため嫌いです。ただ目的を果たすためには、書くという手段しか自分には残されていませんでした。
僕の目的とは何か? それはヴァイオレットが感情を理解したいのと同じように、僕は僕の信じられる言葉が欲しいのです。イザベラとテイラーにとっての名前と一緒です。
僕は基本的に、社会と繋がれていると実感したことは一度もありません。選択意思を持っていながら、その中に自分の居場所は無いと思っているからです。自分の仕事に誇りが持てないという点では、作中のベネディクトと同じ悩みを抱えています。
田舎に帰れば共同体はあります。家族、地域住民、地元の友達。でも、生活するためには社会に身を投じるしかありません。社会で自分を保つためには、書くしかありませんでした。僕は僕だと言い張るためには、書き続けるしかありませんでした。書くことでしか、僕は僕を信じられません。
しかし、いくら書いても書いても、僕はどこにも行けません。僕は何者でもない。そしていつしか、書くという手段が目的とすりかわっていました。
だから金も貰っていないのに、延々と無駄話が書けるのです。自分を信じる目的を果たすためには、どのような言葉を書いたら良いのか? ここらで一旦、初心に戻りましょう。
いえ、別に戻らなくても書いてありました。我らが『読みたいことを、書けばいい。』によると、「書くことはたった一人のベンチャー企業」です。自分がおもしろがれることが、結果として誰かの役に立つ、それを証明したいからこそ文章を書く。きっと、それが自分にとっても信じられる言葉になるのでしょう。
僕が読みたいものを読むためには、自分で読みたいものを書くしかない。承認欲求を満たすのに「書く」は割に合いませんが、おもしろさを証明するのに「書く」ほど楽なこともありません。だって、誰でも書けるんですから。
最後の締め括りとして、『ヴァイオレット・エヴァーガーデン 外伝 - 永遠と自動手記人形』の話をしましょう。この映画のエンドロールには、京都アニメーション放火事件の犠牲者36名と、負傷者34名の名前が記されています。通常であれば1年以上の経験があるスタッフの名前が出ますが、藤田春香監督たっての希望で、制作に参加した全員の生きた証を刻みました。
外伝は若手が中心となって制作した映画です。別に僕は彼らの気持ちを100%理解しているわけではありませんが、きっと社会の中で自分が自分であるために、そして何者かになろうとして制作に参加したのだと思います。
このエンドロールによって、彼らの名前は事件の被害者として呼ばれるのではなく、それを超えた映画制作スタッフの名前として観客の胸に刻まれます。
全国のなんかよくわかんねぇけど、とにかくたくさんいるライターのみなさん。どこぞの女子小学生。そして有象無象の僕。何者かを目指そう。いや、別にならなくてもいいですけど、何者かに、自分になろうとして書くのは正しいと証明してやりましょう。
いつか共同体も社会も、属性によるコミュニティも、何もかもを超えて貴方の名前を呼ぶ日が来ることを、僕は僕の言葉を信じるために書き続けます。
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