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オドルンダヨ。オンガクノツヅクカギリ。

僕の初めての東京は19歳。赤羽。
一人で住んでいたわけではない。
身長が190センチくらいある、当時、38歳のおじさんと同い年の詩人と3人で暮らしていた。その暮らしはとても楽しいものだった。3人は福島のスキー場での住み込みのアルバイトで知り合った。
おじさんは大食漢でいつもご飯をご飯茶碗の代わりにボールに大盛りにして食べていた。
詩人はいつも仕事以外の時間は部屋に籠もって大量の原稿用紙に詩を書いていた。

今日の主役はその詩人だ。

「これなら原ちゃんでも読めると思うよ」と村上春樹の「ダンス・ダンス・ダンス」を貰った。19歳まで本を一冊も読んだことのなかった、僕は生まれて初めて本を読むという体験をした。
僕は、詩人が仕事に出かけてるときに、詩人の部屋に忍び込み、散らばっている原稿用紙を集め、詩を読んだ。当時の僕は詩の在り方を理解しておらず、意味はわからなかったが、原稿用紙から感じる、エネルギーに強く嫉妬した。一年でその三人暮らしも終わり、それから26年の時が流れた。

僕は45歳になっていた。

ピコン。iPhoneでLINEをチェックしていると「友達かも」に詩人の名前が出てきた。「今、何しているのかな?」返信を期待せず「元気ー?」とだけメッセージを送った、次の日「元気だよ」とラインがきた。ピコン。
僕は、懐かしさのあまり、LINEの通話ボタンを押し、コールした。
詩人は即座に出た。30分くらい話しただろうか?
詩人は家庭を持ち、東京に住んでいた。そして「詩は書いてない」と言った。僕は「もう一度、君の詩が読みたい」と伝えた。

詩人は再び、詩を書き始めた。

さらに数年が経ち、詩人からLINEがきた。ピコン。「現代詩手帖に入選したよ」「原ちゃんのおかげだよ。」僕はとても嬉しかった。
Amazonで現代詩手帖を購入し、詩人の詩を読んだ。その詩には僕のことも書いてあった。涙が溢れた。

「世界は美しい」と思った。

その彼が詩集を出した。「夕暮れピアノ」表紙の写真は僕が撮った写真だ。

最後に「ダンス・ダンス・ダンス」の羊男のセリフを引用する。


僕はこの文章を愛している。

「音楽の鳴っている間はとにかく踊り続けるんだ。おいらの言っていることはわかるかい?踊るんだ。踊り続けるんだ何故踊るかなんて考えちゃいけない。意味なんてことは考えちゃいけない。意味なんてもともとないんだ。そんなこと考えだしたら足が停まる。一度足が停まったら、もうおいらには何ともしてあげられなくなってしまう。あんたの繋がりはもう何もなくなってしまう。永遠になくなってしまうんだよ。そうするとあんたはこっちの世界の中でしか生きていけなくなってしまう。どんどんこっちの世界に引き込まれてしまうんだ。だから足を停めちゃいけない。どれだけ馬鹿馬鹿しく思えても、そんなこと気にしちゃいけない。きちんとステップを踏んで踊り続けるんだよ。そして固まってしまったものを少しずつでもいいからほぐしていくんだよ。まだ手遅れになっていないものもあるはずだ。使えるものは全部使うんだよ。ベストを尽くすんだよ。怖がることは何もない。あんたはたしかに疲れている。疲れて、脅えている。誰にでもそういう時がある。何もかもが間違っているように感じられるんだ。だから足が停まってしまう」「でも踊るしかないんだよ」「それもとびっきり上手く踊るんだ。みんなが感心するくらいに。そうすればおいらもあんたのことを、手伝ってあげられるかもしれない。だから踊るんだよ。音楽の続く限り」オドルンダヨ。オンガクノツヅクカギリ。

「ダンス・ダンス・ダンス」村上春樹


僕らは今日も踊り続ける。



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原哲也 📸/写真家/STUDIO流
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