「大きな目的意識を持つ」についてー癒やし癒されよう
大きな目的意識を持つことで、人生はもっと楽になる
最近よく考えるのですが、「大きな目的意識」があると人生が少しラクになる気がします。自分の行動の理由がハッキリしていると、迷うことも減るし、いちいちブレなくて済むんです。これって、特にSNS時代に大事なことじゃないかと思います。
例えば、SNSで何かを投稿するとき、何気ない一言でも、誰かが「あれ?これってどういう意図?」と気にすることがありますよね。いや、そもそも自分でも「これって何のために書いてるんだろう?」と後で思うこと、ありませんか?でも、大きな目的意識を持っていると、「これは誰かの役に立てばいいな」とか、「自分の価値観を伝えたいんだな」とか、発信の意味がハッキリしてくる。これって意外と心の平穏につながる。
《SNSでの炎上を見て思うこと》
ところが最近、SNSを見ていると、発信の本来の目的がどこかに行っちゃってるのかな、と思う場面が増えました。もともとは「良いことを伝えたい」「役に立ちたい」という気持ちで始めた人たちが、いつの間にか足を引っ張り合うようになっていたりします。「そこ、仲良くしようよ!」と画面越しに思わずツッコミを入れたくなるような状況も。旧Twitter、今のXでは特に顕著に感じる。
昔、とある優秀な精神科医が、成人の発達障害を診るクリニックを開設した話を聞きました。その頃、発達障害は子どもの問題とみなされることが多かったので、彼の試みは画期的でした。でも、そのドクターはSNS上で「子どもを診てない奴に分かるわけがない!」という批判や嫌がらせを受け、しまいにはクリニックを閉めざるを得なくなってしまったのです。結局その精神科医は疲れ果ててしまいました。
これ、残念すぎませんか?あのような人がもっと活躍できていたら、救われたかもしれない人たちがたくさんいたはずです。でもその精神科医が潰されてしまった結果、そうした助けの機会も失われてしまった。それって、みんなが損してるってことです。
「何のための発信?」を考えてみる
ここで思うんです。SNSに投稿する時も、日々の行動でも、「何のためにやってるんだっけ?」と立ち返ることが大事だなと。もちろん「炎上させるのが目的なんです!」という人がいたら、それはそれで尊重しますが(ただ、SNSの平和のためにはお手柔らかに…)。
でも多くの人は、「困っている人の役に立ちたい」「少しでも良い影響を与えたい」という気持ちで動いているはず。それを忘れずにいれば、きっと自分の行動にも余裕が生まれてくるし、他人と争う必要も減るんじゃないでしょうか。
《専門職の人たちに求めたいこと》
特に専門職の方々には、「若者の手本になれる存在」でいて欲しいなと思います。若い世代が「ああ、あの人たちみたいになりたいな」と思える姿を見せるのって、すごく大事なこと。
とはいえ、「仲良くしましょう」って言っても簡単じゃないですよね。もしかしたら、アカデミックな世界って、競争やマウント合戦が当たり前すぎて、「助け合う」っていう文化が育ちにくいのかもしれません。でも、それこそが課題だと思うんです。他人を攻撃するのではなく、「一緒により良いものを作ろう」と思える空間を広げていけたら、もっと素敵じゃないですか?
《自分のメンテナンスも忘れずに》
あと、どうしても伝えたいことが一つ。「自分の機嫌は自分で取れ」って流行った言葉がありますが、それに加えて、「自分のストレスは自分で気づいて対処せよ」と言いたいんです。もちろん全部を一人で抱え込む必要はありません。他人に助けてもらうのも大事。でも、日々の生活の中で、自分の疲れやストレスに気づいて、適切に休むことは、やっぱり自分自身が一番やりやすいんです。
好きなものを食べるも良し。誰かと話すも良し。散歩や深呼吸でもOK。ちょっとしたことで、驚くほど気持ちが軽くなることもあります。「全力で頑張るために、全力で休む」ってくらいの気持ちでいて欲しいですね。
専門家が同業者に相談するのは難しい諸事情があるとは思うけどあえて相談もしていくのも良いと思います。
ーまとめー
最終的に、大きな目的意識を持つことで、私たちの行動や考え方は安定します。余裕が生まれ、他者への攻撃や無駄な争いが減り、より良い環境が作れるはずです。そして、最終的にはこう言いたい。
「無理せず、でも焦らず、一緒に少しずつやっていきましょう!」