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笑顔で人生を終わらせることが人生のゴール


これは、僕の身に起きた衝撃の3ヶ月間をまとめた記事です。
僕を変えた出来事から皆さんにも、何か感じるものがあれば嬉しいです。



『僕は、これからどう生きていけばいいんだ。』
人生のどん底でもがいているときの、僕の胸にこの言葉が染みた。


『お前なら大丈夫!お前の人生を生きなさい』


嬉しい気持ちと悔しい気持ちが混ざって、僕は涙することしか出来なかった。

言葉には、こんなにも人の心を暖かくすることができるのか。

溢れる涙は止めようにも、止まらなかった。
この時初めて、言葉の凄さを痛感した。




この経験をしたのは、今から5年前。


当時19歳の僕は、高校を卒業して、大好きだった野球に一区切りし、
これからの人生どうしようかな。

人生に意義を見出せない。

そんなことを思っていたときの9月に出来事は起きた。

突然、友人が交通事故に遭ったという知らせが携帯に入った。

その友人は、僕が5歳の頃に鹿児島に引っ越してきて、
鹿児島で初めてできた1人目の友人だった。

僕にとっては、一番かけがえのない人だ。
誰よりも、友達思いで笑顔が絶えない子だ。

そんな大事な子が交通事故にあったと聞いて、僕は、母にすぐに電話した。

『それで、怪我の状態はどうなの??』

と聞くと、なぜか母は受話器の向こうで、答えもせずに泣いている。

すると、時間をおいてこう告げられた。

『亡くなった。』


頭が真っ白になるという言葉を聞いたことがあるが、
頭が真っ白になるという感覚を初めて味わった。

『えっ・・あり得ない』
『そんなことない』

全く現実を受け入れられない僕は、携帯を握ったまま放心状態になった。


その日のうちに、通夜があった。

礼服に着替え、葬儀場に向かっている間も、現実なのか?夢なのか?
そんなことを考えていた。

葬儀場に着くと、会場に入り切らず、溢れるほどの人が外で涙を流している。
僕は、その状況を目にしても、実感が湧かなかった。


『なんで、泣いているんだろう』
こう思っていた。


会場に入ると、同級生の1人が泣きながら、駆け寄ってきた。

『なおき!最後だからしっかり顔を見てあげて。』

そう言われ、僕は、棺に足を運んだ。

そこには、変わり果てた友人の姿が。
見た瞬間、体が痺れるほどの鳥肌に襲われた。

止めようにも、涙は止まらない。

現実を受け止められない・・
あまりに急すぎる現実を受け止められない


その日の記憶はここら辺までしか覚えていない。
抜け殻のようになり、何も考えられなくなっていたからだ。

それから数日間抜け殻のようになっていた。



こんな状況で、悲痛の連絡がまたしても入った。

『従兄弟が自殺した』

友人の死から1ヶ月も経っていない時だった。

友人を亡くして、落ち込んでいる僕には、とても受け入れられない連絡だった。

年末にあんなに元気だったのに・・
来年には籍を入れるって言っていたのに・・

28歳という早すぎる終わりにショックを抑えきれなかった・・

従兄弟の最後を見届けるために、礼服に着替える時も、
全く実感できずいた。
これも夢なんじゃないか・・

でも、これもしっかりとした現実だった。

従兄弟の家に姿を見にいくと、変わり果てた姿がそこにはあった。

また、大切な人を失ってしまった・・・
完全に気持ちが憂鬱だった。


自殺の原因が、会社の多大な負債を従兄弟に負わされていたことを
知った時は、初めて人が憎くてたまらない感情が湧いた。

それと同時に何か気づいてあげていれば助けられていたのに・・
年末にもっと親密に仕事の話をしていたら違ったのに・・

こんな後悔がずっと頭の中を彷徨っていました。


身近な人を自殺で失って初めて“自殺”の恐ろしさを実感しました。

自殺で一番苦しいのは、自殺した本人。
次に苦しいのは、残された人たちです。

こうしていれば助かったという後悔が一生消えません。
助けられた命を失うのは、精神的にダメージが計り知れません。


この出来事から


『僕はこれからどう生きていけばいのか・・』を考えるようになりました。

まだまだ先だと思っていた“死”を考え始めて
『じゃあ、僕はこれからどうしたらいいのか』を考えました

まさに、人生のどん底でした。

ですが、考えようとするけど、考えるほどの気持ちの余裕はありませんでした。

とにかくボーっとする日々を送っていました。


そんなことを考えた1ヶ月後にまたしても悲痛の連絡が届いた。

『おじいちゃんが亡くなった』という連絡だった。

3ヶ月で3人を失うという、ドラマでも見ないような展開です・・

でも、このおじいちゃんの死は覚悟はできていました。

ここ数年体調を崩していて、医者の方からも覚悟はしておいてくださいと言われていたからです。

体調を崩していていましたが、僕は会いに行くことはしていませんでした。


なぜなら、おじいちゃんは重度の認知症になっていて、僕のことがわからなかったからです。

僕だけに限らず、おばあちゃん以外は誰もわからない状況でした。

会いに行くたびに

『初めまして〜。名前は何ていうのね。』
『誰やっけ?』

今まで沢山遊んでてくれていたおじいちゃんが僕のことを忘れてしまっているという現実を受け入れるできなかったので、僕はおじいちゃんに会いに行くことを躊躇っていました。


おじいちゃんの葬式の時に、親戚が僕にこんなことを伝えてくれました。


『亡くなるときに、じいちゃんは見守る私たちに笑顔を見せて、旅立ったわ』


亡くなる時に僕は居合わせることはできなかったが、
おじいちゃんは、僕たちのことはわからなかったけど、
笑顔で人生が終われるくらいに自分の人生をやり切れていたのだと思ったら、
すごく嬉しい気持ちになった。


それと同時に

僕も、『笑顔で終わりを迎えられる人生にしたい!』と思った。


『僕はこれからどう生きていけばいいのか』の僕の答えは


笑顔で終わりを迎えられる人生にする

ことでした。


地位や名誉も確かに欲しいけど、ぼくが人生で欲しいのはそこではありませんでした。


自分は人生をやり切った。後悔はないと思って
笑顔で終わりを迎えるために生きているんだ


大事なことに気づいたその時に、僕が幼い頃からおじいちゃんが口酸っぱく言い続けて
いた言葉を思い出しました。

それが、冒頭の


『お前なら大丈夫!お前の人生を生きなさい』


この言葉を思い出した時に、僕は僕の人生を全うしようと強く思いました。

自分の人生を全うすることが、おじいいちゃんや亡くなった3人に対する恩返しだと思うから。


ぜひあなたも笑顔で終わりを迎えられるように
失敗も成功も楽しんで
自分の人生を全うしてください

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