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見せかけの利害損失にとらわれない
松下幸之助 一日一話
11月 9日 利害損失にとらわれない
利害損失を考えることは、ある程度やむを得ないけれども、あまりそれにとらわれすぎると、自分の歩む道を誤ることにもなりかねない。
学校を選ぶにしても、卒業して仕事を選ぶ場合でも、そうである。誰もが給与とか待遇のことを先に考える傾向があるが、やはり、自分には何が一番適しているだろうかということを、よく考えるべきだと思う。
必ずしも大会社へ行ったから幸せかというとそうとばかりは言えない。人によっては、中小企業へ勤めてかえって用いられ、人生の味というか、アヤを知る尊い体験ができて、人間としても成長するということが往々にしてあるからである。
https://www.panasonic.com/jp/corporate/history/founders-quotes.html より
「利害損失」を考えるあまり、それに囚われてしまい自らの歩む道を誤るというのは、いつの時代も変わらないようであり、今から約2,500年前に生きた孔子の言行録である「論語」には「利」に関する言葉が、以下のように多くあります。
「小利(しょうり)を見れば、則(すなわ)ち大事(だいじ)成らず。」(論語)
目先の小さな利益だけにとらわれると、大事を達成することはできない。という意味です。
「利に放(よ)りて行えば、怨(うら)み多し」(論語)
利害ばかりで行動すれば、必ずや多くの怨恨が生まれるだろう。という意味です。
「君子は義に喩(さと)り、小人(しょうじん)は利に喩る」(論語)
物事を処理するにあたって、君子の頭にまず浮かぶのは、自分の行動が義にかなっているかどうかということであり、小人の考えることは、まず損得である。という意味です。
「利を見ては義を思い、危(あや)うきを見ては命を授(さず)く」(論語)
利益を目の前にしてもその利が義にかなったものかを考え、災難に遭遇したら敢然と命を投げ出す。という意味です。
孔子亡き後から約200年後に、孔子の教えを受け継いだ孟子には、次のようにあります。
「義を後にして利を先にするを為さば、奪わずんば饜(あ)かず。」(孟子)
義をあと回しにして、利を追い求めると、結局は人のものを奪いつくさなければ満足しないことになる。という意味です。
現代においては、知識偏重で行動の伴わない人ほど「利」を求めることを過度に悪いことであると考える傾向が強いといえますが、孔子や孟子は「利」を求めることを否定している訳ではありません。「利」を求めるには、単なる知識だけではなく経験や判断力を伴った見識が必要であり、更により多くの「利」を求めるには、決断力や実行力、信念を伴った胆識を有する必要があります。
その中でも、「利」をベースにした判断力や決断力、信念がある人の場合は、見せかけの「利」ならば手にすることは可能なようですが、手にしたはずの「利」がいつの間にか手元から無くなってしまっているケースを多く目にします。他方で、「義」をベースにした判断力や決断力、信念がある人が手にするのは、見せかけではない本当の「利」のようであり、手元に残るだけではなく、社会を通した「利」が余慶として残っているケースが多いと言えます。
実例としては、論語を規矩とした生き方をされた渋沢栄一翁が、日本に残した多大なる業績は万人の知るところとなっています。渋沢翁は著書「論語と算盤」にて以下のように述べています。
…私は常に士魂商才ということを唱道するのである。
…人間の世の中に立つには武士的精神の必要であることは無論であるが、しかし、武士的精神にのみ偏して商才というものがなければ、経済の上からも自滅を招くようになる。ゆえに士魂にして商才がなければならぬ。その士魂を養うには、書物という上からはたくさんあるけれども、やはり論語は最も士魂養成の根底となるものと思う。それならば商才はどうかというに、商才も論語において充分養えるというのである。道徳上の書物と商才とは何の関係が無いようであるけれども、その商才というものも、もともと道徳を以て根底としたものであって、道徳と離れた不道徳、欺瞞(ぎまん)、浮華(ふか)、軽佻(けいちょう)の商才は、いわゆる小才子(こざいし)、小悧口(こりこう)であって、決して真の商才ではない。ゆえに商才は道徳と離るべからざるものとすれば、道徳の書なる論語によって養える訳である。また人の世に処するの道は、なかなか至難のものであるけれども、論語を熟読玩味して往けば大いに覚る所があるのである。ゆえに私は平生、孔子の教えを尊信すると同時に、論語を処世の金科玉条として、常に座右から離したことはない。…
渋沢栄一著「論語と算盤」
渋沢翁と同様に、松下翁もまた「義」や「道徳」をベースとした商才で多大なる結果を残されました。「利」を求めることがいけない訳ではなく、「義」や「道徳」よりも先に「利」を求めることがいけないという訳です。
二項対立の浅薄な思考で「利」を否定するあまりに、一度しかない人生をわざわざ小さく生きる必要はなく、二項動態の多次元の思考で「利」を肯定し、受け難し人身を与えられたことに対して深い感謝の念を持ち、社会に大きな「利」をお返し出来るように生きることが大切であると私は考えます。
中山兮智是(なかやま・ともゆき) / nakayanさん
JDMRI 日本経営デザイン研究所CEO兼MBAデザイナー
1978年東京都生まれ。建築設計事務所にてデザインの基礎を学んだ後、05年からフリーランスデザイナーとして活動。大学には行かず16年大学院にてMBA取得。これまでに100社以上での実務経験を持つ。
お問合せ先 : nakayama@jdmri.jp
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