見出し画像

さよならは悲しい言葉じゃない それぞれの夢へと 僕らを繋ぐエール


最近お昼の放送でよく流れる、いきものがかりのYELL。


最初聞いたのはかつての予備校仲間と京都でカラオケに行ったときだったと思います。
エールなのに、曲調が暗いなーと思いました。

元々いきものがかりが好きで、音程も自分にとってちょうどいいので、カラオケでよく歌います。
じょいふる、ブルーバード、ありがとうなど。

YELLは2009年のNHKコンクールの課題曲で、今は校内合唱コンクールでも定番になっています。

YELLの曲は好きで、カラオケでも必ず歌いますが、合唱コンクールでは入賞できないので、自分のクラスには選ばないほうが良いと言います。


校内合唱コンクールはやはり曲調が明るく、最後ア〜♪みたいに、盛り上がる曲がよいです。


曲や編曲はとても好きなのですが、仕上げるのが難しいと感じます。


クラスでも、最近「YELLは良い曲だけど、合唱コンクールでは選ばない方がいいよねー」
なんて言ったらなんと…


クラスの生徒が卒業生へのメッセージにYELLの歌詞を使っていました。
そうとは知らずに、そんなことを言ってしまって申し訳なかったと思います。
直接謝りましたが、笑顔で「大丈夫です!」とのことでした。

YELLの歌詞で好きなのは、2番目のサビ前のこの部分です。

“ほんとうの自分”を 
誰かの台詞で 繕うことに 
逃れて迷って
ありのままの弱さと向き合う強さを
つかみ僕ら初めて明日へと駆ける

カラオケで歌うときはこの部分に気持ちを込めて歌います。

自分の居場所が分からない、暗闇の中に自分が見つからない。そんな状態で、「ほんとうの自分」は、自分ではない「誰か」のことばで繕われていく。


自分ではない誰かにの言葉で自分が作られるのが怖いのか、自分ではない誰かの言葉によって作られた自分を受け入れるのが怖いのか、どっちなんだろう。


後者かな…いずれにせよ、

ありのままの弱さを受け入れ、その弱さに向きう強さを得て、私達は前へ進むことができる。


自分の弱さをいったん受け入れないといけない。弱いからこそ、受けいれることはなかなか難しい。
でも、ちゃんと受け入れて、向き合うことができたら、同時に強さを手に入れることができるのかもしれない。


ずっと前のことですが、とても悲しいことがあった子が、自分の思っていることを一生懸命言語化していたのを思い出しました。紙に書いたり、直接話したり。良くないことだけど、このように考えてしまうと言葉を絞り出していました。


それまでは、考え方が大人で、周りをよく見ていて、大人が喜ぶような落とし所を見つけ、自分の思いや悩みをなかなか言わない人でした。


自分の弱っている状態に向きあって、言語化して、強くなろう、強くなろうとしている姿が見えました。


話を聞いて寄り添うしかできないけど、その子の葛藤する姿を見たときに

「ありのままの弱さと向き合う強さを つかみ僕ら初めて明日へと駆ける」


という歌詞が頭に浮かびました。
かける言葉は思いうかばなかったけど、私の心の中でエールを送っていました。



中学生はまだ十数年しか生きていないのに、迷いながら、逃げずに、自分の弱さと向きあっているんじゃないかと思います。


大人になった自分たちは、大人なので、今更自分にある弱さを、他人に指摘されると、プライド的なものが傷つき…そんなことないと否定し、素直に受け入れられないような気がします。


そして、弱さに向き合うことから逃げる。


なぜ、私は今悲しいのか。
なぜ、物事が上手くいかないのか。



知らずに進むこともできます。でも自分の弱さを知り、向きあうことができれば、何か新しい自分になれるのではないかと思うのです。



辛いから悲しいから、もう終わったことだからと、振り返らないでいるのは、私は逃げじゃないかと思います。



だから弱くて、傷つくことが分かっていても、向き合いたい。向き合わないとずっと弱いままではないかと思うわけです。

逃げることは簡単だけど、子どもたちが辛く悲しい状況の中でもがき、苦しんで、前に進んでいるのに、大人が止まったままだったり、逃げたりしてはいけないと思っています。



この一年、自分の弱さと向き合い続けました。
まだまだ、弱いけど、ちょっとずつ強くなっている自分もいます。
しっかり自分と向き合い、来年度、新たなスタートを切りたいと思います。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?