過去は過去としてもう完了している

過去の嫌な思い出とか、時々思い出して後悔したり辛くなったりしますよね。

僕もよくフラッシュバックといえば大袈裟ですが急に思い出したりして、恥ずかしい気持ちになったり、悲しくなったり腹が立ったりします。

そのくせいい思い出ってあんまり出てきてくれないんですよね。

人間って危険を避けるために失敗とかの方が記憶にしっかり定着するようです。

生きづらいのでなんとかならないものかと思います。

類似したケースの時に思い出す

人間は何か刺激を受けるとそこからいろんな記憶を思い出します。

例えば冷たいものを触ると冷たいにまつわるエピソードが出てきます。

これは自身の意識では制御し切れないものではありますが、そういう思考パターンを把握しておくと少し楽です。

僕の場合、初めての人と話す時に、中学校の頃に地元のヤンキーに「何見てんだよ」と絡まれたことを思い出します。

当時人懐っこい性格だった僕は、その経験で怖いとか悔しいという感情を受けて、知り合い以外の人への抵抗感が生まれてしまいました。

人の目を見て話すのも怖いし、何か攻撃されるんじゃないかという警戒心が初対面では出てきます。

こう言った感じで、嫌な思い出にはトリガーとなるものがあるのでなるべくそのトリガーを遠ざけるのも一つの手ですね。

過去は過去として完了している

過去に嫌なことがあれば、それを変更することは不可能です。

ただし、それに対して何か得るものがあったという解釈を変更することは可能です。

例えば中学校の頃に地元のヤンキーに絡まれたという経験も、そのせいで人見知りになった。人の目を見て話すのが苦手になったという悪い点ばかりですが、

心を許せる友人をしっかりと選べた。とか、弱い人の気持ちが分かるようになった。とか、何かしら得たものもあるわけです。

そして、過去は過去のことでもう2度と起こりません。なので、そこで何か得たものがあった。という解釈で、

過去は過去として完了した!と終わらせてしまうのも有効な考え方です。

トラウマなんてない

しばらく前にベストセラーにもなった「嫌われる勇気」という本で出てくるアドラー心理学によるとトラウマってないそうです。

そんなわけ!って思うかもしれませんが、アドラー心理学的にはそうらしいです。

簡単にいうと、いじめられたトラウマで学校に行けない。のではなく、いじめられたトラウマを利用して、学校に行かないという目的を達成している。とのこと

人には目的があって、それを達成するために過去の出来事を利用しているという考え方です。

うつ病で休むんじゃなく、休むためにうつ病になった(会社での嫌な出来事を利用した)

まぁかなり強めの考え方ですよね。


共通して言えることは、過去に起こった出来事はもう過ぎたこと、そして、そこで何かしら得たものが自分にもある。考え方や環境など。

その出来事は自分のために起こっていて、そこで得る学びは終わった。

だから、過去は過去として完了している。そんなふうに考えると少し過去の嫌な思い出もマイルドになるんじゃないですかね。


僕は今、会社への復職へ向けて動いているので、絶賛過去の嫌な思い出のオンパレードです。

会社に戻ったらまたあんなことが、こんなことが、毎日がまた辛くなってきてしまいました。

でも、それはそれとしてもう完了している。だからこれから起こることはまた違うことが起こる。だからもう2度と同じ思いはしなくていい。

そんなふうに少しだけ前向きに捉えてみようかなと思いました。

それではまた明日!

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