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新しい出会いのカタチ # シロクマ文芸部

新しい時代の到来か古い時代への退行か。

今年も含めて年末年始は何かと忙しいものだが、ある意味で一番忙しかったのは郵便局員さんではないだろうか。

年賀状を1軒1軒、配り歩く。気の遠くなる仕事である。しかし、年賀状の販売枚数は年々、減っているという。去年のそれはひと昔前の1/3まで減った。

年賀状の文化が廃れていくのが寂しいと思う一方、そんな僕も毎年、ラインで済ませてしまっている。

年賀状は、一般的に、昔に親しくしていた人や遠い親戚まで幅広い人たちに送る。祖父は筆で手書き100枚くらい書いて出していたものだ。

対して、今は、特に親しい人だけ、あるいはSNSやマッチングアプリで仲良くなったまだ顔も本名すら分からない人にもライン等で新年の挨拶を送るのが主流になりつつある。

この変化はとても興味深い。

つまり、これまでは、

●①外見情報も含めてリアルに仲良くなってから
②手紙など文字のやり取り

であったのが、今では、

●(例えばこのnoteのように)、
①文字のやり取りを通じてその人の内面情報を知ってから
②実際にリアルで会ったりして外見情報を知る

というように逆転しているのだ。

新しい時代を迎えたとも言えるし、短歌や手紙で愛や気持ちを伝え合った時代に退行したとも言える。

いずれにせよ、現代は間違いなく、その人に会うよりも早く、その人のテキスト(文章)を先に目にすることの方が多い。メールやライン、出会系アプリやSNSや仕事でのメールなどである。

文章にこそ、その人の性格は細部に表出する。
例えば、文章構成や改行の位置や漢字変換から滲み出る個性。

その時々の送り主の寛容さ、苛立ち、誠意、といった感情も文章にはたちまち表れてしまう。それを見て、読み手は書き手のイメージを具体的につくりあげていく。

文章から入る現代の人間関係において、「文章の相性」がいい人とは実際に会ってもうまくいくことが多いように思う。

単語のチョイスや、その視点に滲み出る感性、論理、教養、性格、弱い部分、その全てをまとめて好きになっているからなのだろう。

また、このようにその人を知る大きな手がかりとなる文章表現は、「書くこと」だけでなく、「書かないこと」という余白の部分が常に含まれていると僕は常々思っている。

つまり、1つの文章が書かれたということは、その他、膨大な数の「書かれていたかもしれない文章」が、あえてそこには書かれなかったということであるからである。こうした余白の部分にもその人の隠しきれない個性がにじみ出ている。

このように考えると、これまでのように実際に会って親しくなってからでなくても、インターネットやビジネスメールを通じて親しくなってから会うという友人関係や恋愛もごく自然なことのように思う。
昨今そうした流れの結婚が増えているのも頷ける。

おそらくその人の書く文章から色気や包みこんでくれるような魅力を感じるのだろう。

一緒にお酒を飲んで楽しい人とかではなく、例えば、いつも自分も歩いている何気ない場所をその人なりの文章で表現してくれるだけで、その光景が見違え見えてくるような人だ。

こんな素敵な人に僕はnoteで一度、出会ったことがある(もちろん恋愛感情ではないし、お会いしたことはないのだが)。


そしてふと
わたしの心の中にも
同じ波があることに気づく

心のなかの海は
決して枯れることのない深い哀しみにも似た
水をたたえながら
盛り上がり、砕け、押し寄せ、するすると戻る

記事本文より抜粋


まさに色気とこの上ない魅力を感じさせられる作品。1つ1つの言葉がとても美しい表現で、どの言葉にも深い意味が込められている柔らかい文章。
だからこの方の言葉や文章はいつも好きだ。
ぜひ読んでいただきたい。

文章から始まる人間関係。
先入観の介在しないこうした空間がnoteの魅力なのかもしれない。

既に出会った方より、まだ出会ったことのない人の方が圧倒的に多いこの空間でこれからどれほど素晴らしい文章に出会うことができるだろうか。

新しい時代の到来か古い時代への退行か。
どちらなのかは分からない。
どちらかだなんて、どうでもいいのだ。

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皆さん、明けましておめでとうございます。
バタバタしており、書き初め記事となりました。
本年もどうぞよろしくお願いいたします。


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虎吉
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