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noteという街を眺めて # 虎吉の交流部屋プチ企画

僕の1日のスタートは早い。
毎日6時には起き、歯磨き、洗濯、愛犬のご飯とお水の入れ替え、トイレシートの交換などを済ませ、朝ご飯を食べながら録画してあったTV番組を観る。
これが僕の至福の時だ。

今朝は、スポーツ番組の特集で、王貞治さんが野球選手の成長の秘訣を語っていた。
それはいい結果が出た日も悪い結果が出た日も、一喜一憂せず、すぐに気持ちを切り替えて次の試合の準備を始めること、と仰っていた。

これを聞いた時、
「それなら僕は生まれ変わっても野球選手にはなれないな」と思った。

実は僕が大切にしている言葉の1つに「余韻に浸る」というものがある。悪い結果が出た時はともかくとして、いい結果が出た時くらいは喜ばないのはもったいない。精一杯、喜んでから次に向かう。
僕はそういうスタイルが好きだ。

大好きな曲を聞いた時、身近な人に良いことが起こった時、思わず胸がじ~んとなる出来事に出くわした時、人は言葉を失う。喜びや感動の余韻に浸る時、言葉はあまりに無力なのである。

noteで他の方の記事を読んでいると、時折、非常に強く胸を打たれる記事に出会うことがある。
思わずコメントをしようとするが、言葉が不思議なほどに出てこない。

そんな時は、ただただ共感や感動の「余韻に浸る」のだ。この少しの瞬間がとても大切な時間だと思っていて、あえて僕は静かに目を閉じて思考を止める。まさに言葉を失う瞬間である。

そんな素敵な記事にこれまでいくつも出会ってこられたのは非常に幸運だった。身を揺さぶられるほどの達成感や感動に思わず自分で自分を褒めてやりたくなることや、感動のあまり思わずその余韻に浸ってしまう瞬間が人生にどれほどあるだろうか。

こうした余韻に浸る瞬間をどれだけ心の中に蓄積できるかが人生の質に大きく関わってくるように僕は日々思う。「余韻に浸る」という言葉を僕が大切にしている理由はここにある。

同じ物事を見たり経験しても、喜びや楽しさの余韻に浸れる自分でいたい。その余韻をバネにして、哀しみや苦しみを乗り越えられる自分になりたい。

どんなことからも何かしらのポジティブな余韻を感じられる人はいつだって魅力的だ。そしてその余韻を他の誰かに伝えたり共有できたりできる人はさらに魅力的だ。

感動の連鎖。
感激の連鎖。
共感の連鎖。

そして最後に感謝と尊敬の連鎖。

どこかの誰かが書いた文章が別の誰かを感動、感激、共感の余韻に浸らせ、それが伝わり、絶えずこれらの連鎖の心地よい風が吹いている。

僕はnoteをそんな街にしたい。
そしてそんな街を少し離れて見渡し、感動の余韻に浸ることが僕の夢なのである。




虎吉も参加させてもらいました😊




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