「心の居場所」について思うこと
今回はnoter、乃井万さんの「『心の居場所』となれるような場所づくりをするためにどんなことを考えたらいいか ? 」、という問いかけに僕なりの考えを書いてみたいと思います。
まず、「心の居場所」ってどこにあるだろうか。
僕の考えは比較的はっきりしていて、居場所とは決して物理的な場所ではなく自分自身の「心の中」にある、ということです。
「自分はこれをしている時は夢中になれる」、「この人といる時だけは素直な自分でいられる」、「今は亡きあの人を思い出す時に心が安らぐ」、そんな心自体が自分にとっての心の居場所だと思うのです。
物理的な居場所とは、そんな自分自身の心の居場所にたどり着くためのきっかけをつくってくれる場所なのかな。そんな風に考えています。
自分の人生を振り返ってみると、実は大学時代に一度、不登校を経験しています。上手くは言えないけれど、入学早々、「何かここは自分のいるべき場所じゃない」と強く感じるようになり、どうしても学校に通えなくなりました。
バイトだけはしていましたが、社会との関わりは希薄で、「自分は何のために生きているんだろうか」と、そんなことばかり考えていました。
充実した学生生活ができていない自分が嫌で情けなくて、学生時代の友人とも自ら距離を取りました。
まさに「心の居場所」がなかったんですね。
親ともよく話し合い、卒業はもう諦めようと思っていた時、たまたま参加した地域の人権シンポジウムのようなイベントでちょっとした転機が訪れました。現役弁護士の方が自身が参加された裁判の記憶を熱く語っておられる姿に衝撃を受けました。
「弁護士という職業は人の人生に関わる仕事です」
涙ながらに語りかける1つ1つの言葉が深く心に染みて、「世の中にはこんなやりがいのある仕事があるんだ。自分も目指してみたい」、そう決意したのです。
人生を変えるような、自分の世界がパッとひらけたような、ターニングポイントでした。
「もう一度、ちゃんと勉強がしたい」
そう思い復学できたのは同級生がもう3回生に進学した春でした。1年生からやり直しの自分と、ほとんどの必要単位を取り終えて就活へと邁進していく同級生たち。僕は多くのものを失いました。
一方で、代わりに大きな希望を手に入れました。
自分をしっかり支えてくれる大きな目標と、同じ目標を持った新たな仲間でした。
一緒に図書館で勉強したり他愛もない雑談をする中で、僕はようやく自分の「心の居場所」に出会うことができたのです。
結果的に目標は叶わず違う進路を歩んだものの、あの時、逆境から心の居場所を見つけるまでの過程で得たものはその後の人生でも大いに役立ち、今なお僕の心を支えてくれています。
今、乃井万さんがつくろうとされている物理的な居場所として僕が思うのは、僕が立ち直るきっかけとなったとある弁護士の話のように、「それぞれの人たちが自身の『心の居場所』を見つけられるようなきっかけを提供する場」です。
一番いいと思うのは、地域の色々な立場や職業の方に来てもらい、自身の経験を語ってもらえるような場所。多様な生き方を聴く機会を得ることで、自分自身でも気づかなかった可能性や知らなかった世界、目指すべき目標が見つかることも多いと思います。この考え方については、わかりのぽんさんの以下記事の内容と非常によく似た部分がありました。
ただ、理想だけでは上手くいきません。
そうした場を作る仕掛けづくりが必要です。
ここが僕が一番、難しいと考えているところです。
活動拠点の紹介等だけではおそらく語り部や交流をはかりたい人は継続的には現れないでしょう。
常連さんたちの「溜まり場」みたいになるのもよくありません。例えばカフェみたいな場所にして誰でも気軽に出入りできるような空間にするのも1つだと思います。その中で語り部を募集して週に何回か話していただくとか。もちろん年齢性別問わずで。
また、ナルさんの以下記事のように本を通じて色々な人が交流できる空間をつくるのもいいかもしれません。特に本好きな方が進行役となって座談会的なイベントを毎日行うとか。
心の居場所を作るためにどうしたらいいか、という乃井万さんの問いかけに対する提案としてはいささか物足りないものになってしまいましたが、方法論のところは本当に難題です。
生きづらさを抱えた人たちを1人でも救える社会にできるよう、何ができるのか、これからも自分なりに考えを深めていきたいと思います。
考えるきっかけをくださった乃井万さん、ありがとうございました。