「実存主義」を軽々に扱うことなかれ!
シャンソンについてブログを書いている或る人が、「実存主義」について触れていたのだが、その扱いがあまりにも軽すぎて驚愕してしまった。
彼によると、「実存主義」は戦後すぐのパリで流行した一つの考え方で、既存の社会的枠組みにとらわれない自由な生き方を示すものだったということになっている。私は、呆れて批判のコメントもする気になれなかった。
世代の差もあるだろうが、少なくとも団塊の世代の人たちまでは、実存主義にかなりの影響を受けて生きていた。それに従うか、それに反発するか、それを無視するかの選択に迫られて悩み続けた。その下の世代に位置する私も少なからず彼らのその思想に対する姿勢・考え方を具に見て育った。
この思想は、某ブロガーがするように決して軽々しく扱われるべきではないはずだ。そこで、今回は、実存主義に影響を受けた作家の一人である大江健三郎の事例を採り上げて少し解説してみたいと思う。
二つの結末を持つ小説
大江健三郎は、1964年の小説「個人的な体験」の結末を2種類書いた。
その理由は、三島由紀夫や江藤淳に結末を批判されたからだった。批判を真摯に受け止め、第二の道(別の結末)もあり得るかとして、弁証法的な試みをしたわけだ。
結論としては、やはり小説として発表した公開版が正しいことがわかったので、第二の結末が書いてある方は私家版として手元に保存するにとどめた。
作家が批評家の意見を重く受け止め、試しに書き直してみるなどということは、日本では前代未聞のことだった。
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