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『百年の孤独』初読感想文 後編 〜「英雄」と「母」と「サンタ・ソフィア・デ・ラ・ピエダ」〜

※ やっぱり有料記事を無料にしました。私が好きな「サンタ・ソフィア・デ・ラ・ピエダ」について、読んでいただけたらと思って。
※ ネタバレ全開なのは変わらないので、これから読む方でネタバレダメな方はご遠慮ください。


 さて。
『百年の孤独』初読感想文。後編です

 前編では、私が好きなところをたくさんお話ししました。

 「冒頭の一文」とか。
 「改行無し」「淡々した語り口」が止まらないとか。
 「おとぎ話的表現」の効果とか。

 後編では。
 予告した通り。登場人物の魅力についてお話ししたいと思います。
 
 皆、魅力的なのですが。
 初読を終えて。私がいいなと思った人物の三人は
(ただいま再読中。いいなと思う人物がどんどん増えてます。その辺りはいずれ)

①「預言者で英雄」メルキアデス。
  村を訪れ、ブエンディア家に大きな影響を与えたジプシーです。
② 「母の強さと孤独」ウルスラ。
  ブエンディア一族で最も頼りになる力強い母ですね。
③ 「ひっそりと、逞しく」サンタ・ソフィア・デ・ラ・ピエダ。
  「必要なとき以外はそこにいるのかいないのか、わからないような女」(p.178)などと言われてしまう人ですが。
 でも今回この人のことをお話ししたくてこの記事を書いたと言っても過言ではないかも。というくらい私は好きな人物です。

 でも詳しく書くとかなりネタバレします。
 目次の後からネタバレ全開ですのでご注意を。


 

 さて。ここからはネタバレ全開です。 

 
 まずは前編の答え合わせ。
 ある人物とは誰か? から。

 一人目。
「自分の死を準備する数ヶ月が描かれる人」はアマランタのことです。
 経帷子を織る彼女の描写。圧巻です。

 二人目。
「ある人物のある一日」はこの後のサンタ・ソフィア・デ・ラ・ピエダのところでお話ししますね。 

 
 さて。私がいいなと思った三人。まず最初は。

1 預言者で英雄 メルキアデス

手が雀の足のようにほっそりした髭っつらの大男で、メルキアデスを名のるジプシーが、その言葉を信じるならば、マケドニアの発明な錬金術の手なる世にも不思議なしろものを、実に荒っぽいやり口で披露した。

同上 p.9-10

 初めの頃、何度か村を訪れたジプシーです。
 ホセ・アルカディオ・ブエンディアに錬金術やさまざまな技術を紹介し、大きな影響を与える人。
 彼は「正直者のメルキアデス」(同上 p.10)。
 ホセに対しても親切で。
 勝手な思い込みで実験をしてしまうホセに対し、理解し、アドバイスを与え、便宜を図ってくれます。
 いい人です。

 やがてマコンドの村に落ち着き、死を迎え、幽霊のような存在になってもブエンディア家の子供達にまで影響を与える人物なのですが。
 そして一族の予言の書を残し、それが、この物語のオチとなるのですが。

 彼の預言者として役割はなかなか面白く魅力的。

 でもそれ以上に私が好きなのは。

 不眠症騒動の顛末で彼が果たした役割

 おとぎ話的な表現のところでもお話しましたが。
 ある日突然ブエンディア一家を訪れた少女レベーカからもたらされた不眠の病。
 次第に村に広まり、村中誰も眠れなくなり、その病は忘却を招くことに気づくと村は大変なことに。
 ものの名前を容易に思い出せなくなったアウレリャノは道具にその名前を書き、それを父ホセ・アルカディオ・ブエンディアもまね、町全体に強制します。
 しかし書かれた名前で物自体を思い出してもその用途を思い出せなくなり。

 これからどうしたらいいのだろう?

 と、村人たちも。私も絶望しかけたその時。

眠りを知っている人間であることを示す裏悲しい鈴をさげた薄汚い老人が、縄でからげた今にもはじけそうなスーツケースをかかえ、黒いぼろ布を山と積んだ手車を曳いて、低地に通じる道から姿をあらわした。老人はまっすぐにホセ・アルかディオ・ブエンディアの家へ向かった。

同上 p.80

「ひどく年取った男だった。」(p.80)
「その声はかすれ気味で頼りなく、物をつかむ手もおぼつかなげだった」(同上)

 客は壁に貼られた札(忘れるために名前を書いてある)を憐れむような目で読み、精一杯愛想を振り撒き思い出せないことを隠すホセの芝居を見抜き、事情を飲み込みます。
 そして客はスーツケースを開けて中から綺麗な液体を取り出しホセに与えました。

きれいな色をした液体をもらって飲んだとたんに、ホセ・アルカディオ・ブエンディアの記憶にパッと光が射した。その目が涙に濡れていった。物にいちいち名札のついた滑稽な客間に自分がいるのを見、しかつめらしく壁に書かれている間の抜けた文句を恥じた。そして目のくらむような喜びのなかで、新来の客が何者であるかを知った。それはメルキアデスだった。

p.51

 かっこいい!

 ですよね。
 絶望の果てにふいに現れた旧友。その魔法が村を救うのです。

 ホセの喜びの涙に私も泣きそうな気分になりました。
 老いたりといえども。彼はかっこいいのです。

 英雄です。

 彼のこの後の顛末とか、死の侘しさがあったとしても。
 それは人として時間の流れの中で仕方のないこと。

 それよりも預言者であり英雄である彼は、読後もずっと私の心の中に残っていて。

 とても魅力的な人物だなと思いました。



2 母の強さと孤独 ウルスラ


 この人も英雄と言っていいのではないでしょうか。
 商売上手。健全で実際的な逞しさ。不屈の精神。家族への愛情。

  孫のアルカディオが「マコンドでもっとも残忍な支配者」(p.165)になったときも。

ウルスラが恥ずかしさのあまり声を上げ、コールタールをしませた鞭を激しく振り回しながら兵営に駆け込んでいくと、アルカディオ自身が撃ての命令を銃殺隊にくだそうとしているところだった。
「よくまあこんなことが! この父なし子!」
 アルカディオが身がまえるひまを与えないで最初の一撃をお見舞いした。「やれるものならやってごらん、この人殺し!」彼女は叫びつづけた。「ろくでなし! 殺すんだったら、わたしもやっとくれ。そうすれば、お前みたいな化けものを育てて恥ずかしがることも、こうやって泣くこともなくなるから」。

p.166

 彼女は祖母として家族として彼を叱責し、その後アルカディオの代わりに支配者となって町を建て直します。
 たくましい。
 でも。

しかし、気丈そうに見えていても、彼女は心中ひそかに身の不運を嘆きつづけていた。寂しさに耐えきれなくなると、慰めにはならないと知りながら、栗の木のかげに見捨てられている夫のもとを訪ねた。

p.167

「慰めにはならないと知りながら」です。
 彼女は孤独です。
 さらに「悪い便りを聞かせると、夫が悲しそうな顔をすることに」(p.168)彼女は気付き、嘘をつくことに。
 そしてその幸福な嘘で、彼女も「慰められるようになった」(p.168)のですが。

 彼女の孤独と悲しさが辛い場面です。

 この後また、同じようなことがもっと大きな規模で起こりますが。

 彼女の息子、アウレリャノ・ブエンディア大佐が「革命軍の捕虜となった正規軍の将校はすべて銃殺刑に処する」(p.248)という結論を出します。
 その将校たちの中にはウルスラにとって「それは心のやさしい人で、わたしたちをとっても愛してる」(p.249)人も含まれていました。
 銃殺刑をやめるようにというウルスラの言葉に耳を貸さない大佐。そこでウルスラは「マコンドに住む革命軍の将校の母親たち全員を連れて法廷に乗り込んだ。」(p.249)

「でも忘れちゃいけませんよ。生きているうちは、わたしたちはいつまでも母親ってことを。革命家だか何だか知らないけど、少しでも親をないがしろにするようなことがあれば、そのズボンをさげて、お尻をぶつ権利があたしたちにはあるってこともね。」

p.249

 彼女の健全真っ当な力強さ
 とても魅力的な人物です。

 それでも大佐は刑の変更を認めません。
 銃殺刑は止められません。

 銃殺刑を前に「心のやさしい人」モンカダ将軍は大佐に言います。

「あんたは、わが国の歴史はじまって以来の横暴かつ残忍な独裁者になるだけじゃない。あんたの良心の呵責を少しでも軽くしてやろうとしている母親のウルスラだって、銃殺しかねないぞ。」

p.251

 そんなことにはなりませんでしたが。

「良心の呵責を少しでも軽くしてやろうとしている母親」悲しみとか。無力感とか。

 彼女の強さと孤独に胸が痛みます。



3 ひっそりと、逞しく サンタ・ソフィア・デ・ラ・ピエダ。

 
 初読の印象ではこの人が一番好きかもしれません。

  両親の小さな食べ物屋を手伝っていた少女は、妙な縁でウルスラの孫アルカディオ(先ほどの「マコンドでもっとも残忍な支配者」です)の妻になり三人の子供を儲けます。

 アルカディオは彼女に対して。
「うぶでやさしい心のときめきが感じられ」「彼は子猫のように身を丸くして、彼女のわき腹の温もりを求めた。」(p.178)。とか。

 また。彼女はレメディオスの母なのですが。
「母親の清楚な美貌を受け継いだレメディオスは、小町娘のレメディオス、という名で知られるようになっていた。」(p.232)
などという描写もあり。

 優しく美しい人だったことが窺われます。

 でも彼女。
「必要なとき以外はそこにいるのかいないのか、わからないような女」(p.178)
 などと言われて。
 中心になって語られる事件はほとんどありません。

 異常に活発な、癖のあるブエンディア家の誰かの行動に伴うだけで、彼女自身の主体的な描写はほとんど無く。
 彼女の描写は他人の添え物のように一言で終わります。

 例えば。
 ウルスラは少しも老いぼれず(彼女の)「手を借りながらではあったが、ふたたび菓子屋の商売に精出し(p.232)」た。とか。
 小町娘のレメディオスは「この世の存在ではなかった(p.309)」ので思春期を過ぎても、(彼女が)「風呂に入れ、着替えさせ(p,309)」なければならかった。とか。
 フェルナンダは「アマランタ・ウルスラの世話をいっさい(p.453)」(彼女に)任せた。とか。

 そんな描写しかなくて。 
 カッコ内の彼女のところにサンタ・ソフィア・デ・ラ・ピエダの名前が入りますが、これ、なくても文章は成立してしまいますよね。

 そんな存在。

 彼女は常に、目立たないところから一族の面倒をみています。
 家事とか、自分の子供だけでなく誰の子供でも引き受けて。
 彼女自身の事件は起こらない。

 ただし彼女は事件の目撃者的な、色々なことに気づく立場になります。

 例えば。

 前編でお話しした「ある人物のある一日」は、アウレリャノ・ブエンディア大佐の最後の一日ことです。
 彼は晩年、侘しく、悲しい孤独の中で、何の希望もないような日々を過ごし。
 そして波乱の人生の終わりの、もの悲しい、寂しい死

 それに気づくのもサンタ・ソフィア・デ・ラ・ピエダでした。

朝の十一時に、サンタ・ソフィア・デ・ラ・ピエダがごみ捨てに中庭へ出て、ハゲタカがさかんに舞い下りてくるのに気づいたのだ。

p.409

 

 彼女自身について詳しく描かれるのは、彼女が物語から退場する時
 p.540からp.543まで。
 改行なしの三ページ分

 サンタ・ソフィア・デ・ラ・ピエダは屋敷の人数がへったおかげで、五十年以上も働きづめだったことを思えば当然許されてよい、休息の機会をえたように思われた。天使のような小町娘のレメディオスと妙にまじめなホセ・アルカディオ・セグンドの産みの母である、このもの静かで、何を考えているかわからない女は、これまで一度も愚痴をこぼしたことがなかった。孤独と沈黙の一生を子供達の養育にささげながら、ろくすっぽ、息子であり孫であることを思い出してもらえなかった。彼女自身が曽祖母であることも知らないで、まるで腹を痛めたわが子のように、アウレリャノの面倒をみた。

p.540-541

 でも。

 本人のサンタ・ソフィア・デ・ラ・ピエダはこの下積みの境遇をいっこうに気にする様子がなかった。それどころか、不平ひとつこぼさないで絶えず体を動かし、娘の頃から住んでいる屋敷──とくにバナナ会社の景気のよいころには、家族というよりは兵営の感じが強かった──をきれいに掃除したり整頓したりすることに喜びさえ感じているふしがあった。

p.541

 しかしウルスラの死とともに彼女も、屋敷そのものも「一夜のうちに老朽化の危機に」(p.542)。
 それでも。

サンタ・ソフィア・デ・ラ・ピエダが一人で戦い続けた。

p.543

 けれども「もはや押しとどめることのできない勢いで進む破壊」。
 彼女は「はっきりと敗北を悟った。」(p.543)

「降参よ。この屋敷は、とてもわたしの手には負えないわ」

p.543

 そして一人静かに、彼女は去り、物語からも消えて。

 なんと天晴れな生き様

 かっこいい!

 この物語の登場人物たちは大抵、死の場面が描かれます。
 ブエンディアの血筋でなくても、嫁いできた人物も関わった愛人でさえも。
 暴力や老いによる死は残酷で哀れで侘しく容赦ない。

 ですがサンタ・ソフィア・デ・ラ・ピエダには終わりの場面がありません。
 なぜなのか作者の意図が気になるところですが。
(いやあったのかな? 見落としてしまったのかも。再読して確認します。)


 最後にもう一つ。
 実はこれを書きたいための今回の記事と言っても過言ではないかも。
 というほどわたしが心惹かれたエピソードがあります。

 それはほんの二行だけの出来事。
 さらりと描かれているので、もしかしたら見逃してしまうかも。
 そのくらいさりげなく書かれた一文なのですが。

 でもそれは私の心の中に強烈に印象を残したエピソード。
 読後もそのことが頭から離れなくて。

 彼女は三人の子供の母です。
 そのひとりはホセ・アルカディオ・セグンド。
 彼は幼い頃銃殺刑を見てしまいます。
 そこで、まだ生きているように見えるのに埋められてしまう人を目撃します。
 それが彼の恐ろしい記憶となって。銃殺よりも生き埋めになることを恐れるようになりました。

ただひとつ、今もまだ、気にかかるのは、生き埋めにされないかということだった。毎日そこへ食事を運んでくるサンタ・ソフィア・デ・ラ・ピエダにその話をすると、精いっぱい長生きをして、ちゃんと死んでから埋葬されるのを見届けてやるよ、と約束してくれた。

p.474

 彼女のこの返答。なかなかすごいと思うのですが。 
 そして彼の死後。

約束どおり、サンタ・ソフィア・デ・ラ・ピエダはホセ・アルカディオ・セグンドの首を包丁で切り落とし、絶対に生き埋めになる心配のないようにしてやった。

p.535

 この1行。

 この件はたったこれだけ。それ以上全く触れられません。

 とりわけこの時は。
 双子のアルカディオ・セグンドアウレリャノ・ゼクンドが同時期に亡くなったので、お墓を間違えて埋葬されてしまったとか、ちょっと滑稽な、でも象徴的なお話が続いているので、そこに紛れて読み飛ばしてしまいそうなくらいで。

 そもそも日常から銃殺隊まで淡々と語る語り口ですから、どんなこともさらりと描き、決してドラマチックにはならない。
 どの事件に対してもそれはただの出来事なのだと言っているような作者の厳しい視点を感じ、それはそれでよいのですが。
 
 

 でも。私はこの一文に驚愕しました。

 そんなことがあるのだろうか?
 そんなことができるのだろうか?
 母親が息子に、果たしてこんなことできるのだろうか。と。


 しかし息子の恐怖を考えれば、母として、いやもはや母にしかできないことなのかもしれない。
 やるしかないのだろうか。

 いやできないでしょう。

 それをやってのけるサンタ・ソフィア・デ・ラ・ピエダ
 彼女の息子に対する愛情は密やかで強い。
 そんな気がしました。


「そこにいるのかいないのかわからないような女」
そういう人に宿る強さに私は深く感銘を受けたのです。

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