星と鳥と風~25 観覧注意

この際だから、親父の話をもう少し回想しようと思う。※(えげつない話しなので、観覧注意としておきます。気分が悪くなったら見るのをやめる事をオススメします)
が、これが私の
【リアル】
なので、しょうがない。

私が中学2年生になる頃に、親父が
「おい、星、お前自分の部屋が欲しいだろ?」
と言い出した。
実家には離れがあって
そこの2階に六畳一間のスペースがあった。

(私はこの部屋が最高に好きだった)

そこを親父1人で内装をやってくれて
1人部屋を作ってくれた。
周りは田園しかない田舎だが
2階の部屋から見る地元の景色が好きだった。
部屋にはtvとラジオ、VHS用のプレーヤー
それにラジカセしか無かったが
中学生の私には充分すぎる程
自由を満喫できる空間だった。
こんなに親父に感謝したのは産まれてこのかた
これが初だったかもしれない。
私はある日、ルンルンでチャリで学校から帰宅した。
なんたって帰ったら、
【自分だけの部屋】
がある。
それに誰にも何にも邪魔されない
【自分だけの時間】
が待っているからだ。

そんな学校からの帰り道の途中、ご近所さん達が外に出て何やら私の家を指差していた。
すると二件隣のおばちゃんが
「火事だ!!」
と、叫んでいた
見ると煙がけたたましく私の部屋から上がっていた。
(しまった。朝吸った煙草が何かしらの理由で燃えたのかもしれない)(ヤバイ)
そう思った私はダッシュで家に向かった。
そしてチャリとバッグをその場に投げ捨てて、急いで部屋に上がった。
すると

親父と、親父の友達5人程で
【焼肉】
をしていた。

しかも部屋の中だというのに
ホットプレートではなく
【七輪】と【炭】
で、地鶏を露店でやるみたいに豪快に焼いていた。
呑気に「お帰り〜焼肉食うか?」
と聞いてくる親父に流石にブチ切れた私は

「外でやれ!」

と、一喝した。
一瞬その場にいた皆んなが
ポカーンとなった後
親父はニヤリとして

「この部屋は誰のおかげで出来たのかな〜?」
「文句があるやつからは没収しようかな〜?」
「お前の物は俺の物、俺の物は俺の物」
「ギャハハハハハハ」
と、答えた。

自分の無力さを覚えたと同時に
この人はやはり
【悪魔】だ
と思った。

そして
【私のおひとり様ライフは見事に砕け散って、煙まみれになった】

煙であまり見えなかったが
悪そうな大人達が、まだ明るい時間から人の部屋(思春期の中学生の部屋)で、宴を繰り広げている様は異様な光景だった。

そこには知り合いのお肉屋さんのMさんも居た。
Mさんもニヤニヤしながら
「星君、焼肉何枚食べる?」
と聞いてきた。

もうどうでもよくなった私は、怒りを交えながら
「20枚!」と答えた。
Mさんは、「そんなに食べれるかなぁ?」
と、ニヤニヤしながら
発泡スチロールの中から5kg程のサーロインの塊を出してきて
ステーキのように切りはじめた
「いくらなんでも、5枚が限界だよね〜」
と言いながら肉を切るMさんを見て
私以外の一同は爆笑し、ツボっていた。
(何がそんなに面白いんだ)

(うん、彼らはきっとラリってたんだと思う)

私はラリったお肉屋さんが焼く美味しいお肉を有難く頂いたが、ラリっていてもしっかり美味しく焼けていた。

その後も宴は夜中まで続き
私はいつまでも眠れずにいた。
すると親父がビデオカメラを持ち出した。
【ジャジャジャジャーン】
完全にスイッチの入った親父はもう誰にも止められなかった。

そして
私の嫌な予感は的中した。

【中身は親父の◯◯録りだった】

私は見る前から流石に気分が悪くなったのと
あまりにもバカすぎる親父の言動が信じられなくて、最後に親父の頭を思いっきり叩いて、1人外に出た。



【秋の夜長】
は少し肌寒かったが
煙と肉と酒と欲望まみれの部屋から抜け出したばかりの私にはとても清々しかった。
そして、近くの田園を散歩しながら
タバコに火をつけて
しばし心を鎮めた。

【もう今日はあの部屋には戻るまい】

家に戻ってから、しぶしぶその日は
じいちゃんばあちゃんの部屋で眠ることにした。
寝る間際にばあちゃんに
「親父って本当最低だよね」
と言うと
「あれが兄弟の中で1番手がかかったよ。
でも
心は1番優しいと、ばあちゃんは思う」
と答えた。

【え!?あれのどこが?】
と思ったし
実際にやってる事も過激すぎた。

だが
僕の知らない親父の側面をばあちゃんは見ていたのだろう。
(ばあちゃんの知らない親父も見てきたが)
それに、プライベートは最低でも
仕事は違った。
365日、雨でも雪でも嵐でも、欠かさずに仕事には出かけた。
それに+深夜からの牛乳配達の仕事もこなし
毎日の睡眠時間は
私が高校を卒業するまでの6年間
2.3時間程しか無かったと思う

【それは紛れもなく私達を不自由なく育てる】
という親父なりの覚悟だったはずだ。

本当にプライベートは最低な親父だったが
それ以外では尊敬するところも沢山あった。
たった1人の妹も、そんな親父の事は大好きで、今でも【家族の絆は深い】のだが 

当時何も気にしてはいない気持ちではいたが
(私の心に出来た傷)
も、相当深かった。

気にしないフリをしないと
ぶっ飛んだ環境に
自分が喰われ
崩れ落ちてしまう事を
心は分かっていたから

それに、子供ながらに人に話してはいけないと
心に蓋を閉めていた。

この頃から私は
親父と真反対の意を行くようになった。
特に
【美しいもの】

探し求めた

音楽
石ころ
草花
風景画


魚釣り
etc

とにかく美しいものを探していた。
今思うと、子供ながらに
【心のバランス】
を取ろうと必死だったのかも

だが、生まれた環境やカルマ
それに抗えないDNAは
そう簡単に解消できるものでは無い。
幼い頃から今この瞬間も
右往左往しながら、自分の中に溜め込んだ
【怒り】
と向き合う事となった。
そして私自身の問題として
人生に現れ始めた

この人生も
自分が望んで選び取ったモノなら
まだまだ課題が山積みだ。

そして、この【星と鳥と風】に想いを記しながら
少しずつ、そんな自分を許していっている最中だ。




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