ショートショート 『ハートレスデイズ』
居酒屋の前で約束の時間を待つ俺とトオルは仕事でもないのにスーツを着ている。
もう日も暮れて、先ほどから昭和テイストが売りの全体的に茶色い店の中の様子が入り口の窓からよく見えるようになってきた。
レジの正面にある台の上では、ラムネやよっちゃんなどの駄菓子やスーパーボールや水鉄砲などのおもちゃがバスケットの中に入れられ山盛りにディスプレイされている。
俺は大学の入学式のために買ったこのスーツを気に入っていない。
買う時に、店員さんにちゃんとサイズを測ってもらったはずなのに大きすぎる。
これは俺だけが思っているわけではなく、結構な人が、それサイズ合ってなくない?と言ってきたし、大学の卒業式の日に仲良くしていたマルタ人の先生にまで、ユウ、それサイズがおかしいなって言われた。
肩パットもやたら目立って、着ると七五三感が出て幼く不格好になる。
さらに、セットで買ったワイシャツが小学校の給食のエプロンみたいに大きい。
スリムなサイズのスーツがギリギリ流行る前に買ったとはいえ、こんなに大きいのは俺だけなのでただ買い物の失敗をしたということだ。
でも、スーツを着てする仕事に就いたこともないので、新しいものを買うこともなくここまで来てしまった。
アミ、遅くね?
トオルがスーツの上着のポケットに手を入れながら言った。今日、スーツを着て飲みに行こうと言ったのはトオルだ。俺たちは半年ぶりにアミに会うので、正装をしてふざけようということらしい。
トオルは、映画『パルプフィクション』のジョン・トラボルタとサミュエル・L・ジャクソンが黒いスーツを着こなしてギャングの取り立ての仕事をする姿に憧れているので、前からいつかスーツで集まる機会を探しているようだった。
まあ、もうちょっとしたら来るんじゃない?ラインしてみる?
俺がそう言って、スマホをポケットから取り出して三人のグループラインを開いた。ケータイの右上に表示された時刻を確認すると、もう約束の19時から13分過ぎていた。
まあいっか
これあれだな、このスーツネタって出オチだから、もう俺たちの中でピーク過ぎたよな
確かに、もうオレも満足しちゃったかも。アミに対するサプライズなのにな
トオルがそう言うのが聴こえたと同時に、アミがまばらな人混みの中から現れた。遅刻しているにも関わらず全く急ぐ様子も悪びれる様子もないその立ち振る舞いに、ああアミだなと思った。
あんたら、なんでスーツなん?仕事?
白いTシャツの上からロングのデニムワンピースをゆるく着たアミがその言葉を発した瞬間に、その場の空気感が変わった。
目に見えるもの全ての色彩が豊かに感じられ、聴こえてくる車のエンジン音や周りの人の話し声や足音、居酒屋の中で鳴る食器類の音が耳栓を取ったかのように鮮明になった気がした。
そのことで、この半年間、俺はずっと自分の時間が止まっていたのだと気づいた。
この3人が揃わないと絶対に発生しない空気感、それはもう一つの世界そのものだった。
いや、大事な友達との仲直りの席ですから。正装をしようってなったんですよ
俺がそう言うと、アミは、なんやそれと言った後に、今日初めてフフっと少し笑った。
でも以前のような、会った瞬間にニコニコして叫び出すような勢いはなく、少し心細そうな表情をしていて、目の奥が暗く感じられた。
遅刻やぞ
店の引き戸を開けながら、トオルが言うと、アミは、あんたも遅れるって言ってたからゆっくり来たんよ、と言い訳を述べたので、
確かに、遅れるって言ってたトオルが一番先に来てたな、と俺は笑いながら言った。
今の3人のやりとりは、以前のノリをなぞろうとはしているが、どこか安い演技をしているようにぎこちなかった。
俺たちは、元気のいい女性店員に店の一番奥の半個室のようになっている席に通された。店の中央付近の席では、大学生らしき男女4人のグループで来ている黒髪ロングの女の子が、枝豆を左手に、ビールジョッキを右手に持ちながら、
ええ!お前、イオリ先輩とヤッたん?!と威勢よく向かい側に座るピアスをいくつも付けた短髪イケメンに向かって目を丸くして叫んでいる。近くの二人用の席に座って焼酎を飲んでいるスーツの男女のサラリーマンが、チラッとその女の子の方を見たのが見えた。
俺とトオルが並んで座り、向かいにアミが座る。他の席より少し照明が落とされているので、俺は、久しぶりにアミに会って緊張していた神経が少し落ち着いたのを感じた。
このスーツネタはもうね、アミが来た時には俺らの中でテンションのピーク過ぎてたんよ
俺はそう言いながら、首を絞めていたネクタイを取り、首元のボタンを外した。
私は悪くないよ、こいつが遅れるって言うからゆっくりきただけやもん
アミはまたそう言ってトオルを指差して口を尖らせた。その口元の仕草に、俺はもう自分の気持ちが復活し始めたのを感じた。
てか、トオル、今アミより髪長くね?
俺がアミの緩くパーマがかかったミディアムの赤みのある茶髪を指差して言うと、
彼女は、確かに、なんでそんな長いん?と汚いものを見るような目でトオルの髪を見た。
切るのめんどくさいんよ
トオルは白々しい嘘をついたので、俺は、バンドのライブのため?と聞いたけど、
いや、切るタイミングを逃してきただけ。と彼は頑なに嘘を通した。そのやりとりにアミはすでに飽きてケータイをいじりながら、早よ注文しようやー、とテーブルの上のメニュー表をバンバン叩いた。
私、車やからノンアルね
あ、俺も、俺がそう言うと。トオルは、じゃあオレは空気を読まずに飲ませてもらいますよと、ビールを注文した。
注文した柚子のノンアルカクテル、ノンアルビール、焼き鳥盛り合わせ、ユッケ、ガーリックポテト山盛り、お刺身盛り合わせ、きなこ揚げパン、チキンラーメンが次々と運ばれてきて、それらを口に放り込みながら、ひとしきりそれぞれの近況を話したり、冗談を言い合っていると、割と前の3人のリズムを取り戻してきて、アミの顔も明るくなってきた。
あんた、きなこ揚げパンはデザートやろ
トオルがビールときなこ揚げパンを交互に口に入れるのを見ながらアミがツッコむと、そんなん俺の自由や、とトオルが豪快にパンにかぶりついたので、きなこがテーブルの上に撒き散らされた。
汚ね
そう言ったミカにまた怪訝そうに見られて、トオルは酔いの回った顔で嬉しそうにしている。
あのさー
アミが、下を向いて急にトーンを落とした声色を出した。
まあ、半年前のことなんやけど。あれは元はと言えば、私が悪いわけやし。まあ、その、すみませんでした
あー、うん。こっちもごめんね。仲直りね
俺は、ペコリと頭を下げる彼女の性格からすれば屈辱的であろうアミの絵面に頼りなさを感じながら、右手を差し出すと、彼女も右手を出して俺たちは握手をした。
ヤバい、泣きそう
酔っ払って顔を赤くしたトオルがそう言ったので、彼の目を見ると充血していたけど、アルコールのせいか、泣いているのか判断がつかなかった。
トオル、マジやん
アミは力無く笑いながらそう言ってから、真面目な頼りない顔に戻り、
いやでも、私とユウがケンカした時に、トオルがとりあえず一回3人で集まって話ししようって言ったやん?私はあそこで行くべきだったと思う。それもごめん
まあ、ええやん。仲直りできたし、もう
トオルがなだめるようにアミに声をかける。
なんや、しおらしいな。あんなに威勢よく俺にブチギレてきてたのに
俺がそうやってイジると、アミは、だってあれは、あんたが皆のラインでいきなりあんなこと言うから
と、少し語気を強めたので、トオルが、もうやめてくれー。とわざとらしく頭を抱えたので、俺とアミは笑った。
勘定は割り勘にして、俺とアミが先に払い、最後に金を払うトオルを店に残して二人で先に外に出た。二人きりになると、アミの表情が、目元が、例のものに変化するのが見えたので、俺の口からは、
次、いつホテル行く?と、全く言うつもりのなかった言葉がニヤニヤした表情と共に自動的に出来てきた。
え、それは言わん
アミは恥ずかしいのか、嬉しいのか、戸惑っているのかわからないような表情になりながらそう言った。
言わんってなに?行くのは良いってこと?いつ行こうか
俺が彼女の顔に自分の顔を近づけてそう言うと、アミは顔を赤くしながら、言わんってば、こっちくんなと俺の膝を軽く蹴ってきた。
トオルがレジで金を払い終えて店から出てきたので、二人してニヤニヤしていた顔を元に戻しながら、無理やりトオルにさっきまでしていた話題の続きを振った。
オレ、チャリやから、向こう
しばらく店の前で話してから、トオルがそう言ったので、俺たちは駐車場向こうよな?とアミと確認しあい、じゃあまた、とトオルに二人で手を振った。
商店街のアーケードを二人で話しながら歩く。アミの目元がまだ例のものであることを確認した俺は、なあ、チューしようよ。と誘った。
え、むり
アミはサッと下を向いてそう言った。
なんで?
え、だって人いるし
23時すぎ、アーケードには、酔っ払った若い男女の集団、自転車をこぐおじさん、中華店の前を掃除する白いエプロンを付けた女性店員、ゲームセンターから出てくるレゴみたいにゴツくて黄色いヘッドホンを付けたチー牛など、確かに人はたくさんいた。
そこの路地でしたらいいじゃん
むり
お願い、もうこの半年で心がカラカラに渇いてるんよ。心に潤いが欲しい
なんやそれ
アミは笑って、こっちくんなと言いながら歩調をはやめた。そういうやりとりをしていると、トオルが後ろからいきなり自転車に乗って、おう、と声をかけて通り過ぎて行ったので、心臓が止まるかと思った。俺とアミは平静を装って、早く帰れ、などと冗談を飛ばしたが、ちゃんと笑えていたかわからない。
危なかったな
俺が、胸に手を当ててそう言うと、アミは、ほら、こういうことがあるんよ。
と俺を責めた。俺は彼女の薄い唇の動きを目で追ってから、ほら、良い感じの路地があるやんか、と、良い感じに人気のない路地にズンズン進んでアーケードで立ち止まっている彼女に向かって、早く、と言いながら手招きした。
アミは、えー、、と言いながら、ものすごく悩んだ顔をしてから、路地に入ってきた。
マジでするん?
アミは、余裕の無い顔で挙動不審に当たりを見まわし続けながらそう言った。路地には居酒屋の瓶ビールが入ったカゴが積まれてあるだけで、換気扇がもっと奥の方で作動してるだけで、他には何もなかった。
うん
俺は逃げられる前にアミの首に軽く手を回してキスをした。彼女のエストロゲンの匂いがして、半年前までの記憶が一気に蘇る。アミは結婚指輪を付けた左手で俺の大きすぎるスーツの裾を掴んだので、なんだアミもしたかったんじゃないかと嬉しくなり、舌を入れると、アミもそれを受け入れて自分の舌を俺の口の中に差し込んできた。