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散文 『スピード違反』

その曲がスマホのYouTubeからBluetooth経由で自らがハンドルを握る車のスピーカーから流れた瞬間に、彼女の目の色が変わり、彼女のつま先はアクセルを少しずつ深く踏み込んでいった。

回転数を上げるエンジンの音と比例して、車のフロントガラスから流れ行く高速道路下の夜の景色が生き急ぐ。
この瞬間、明確な自由を感じるのは、超過的なスピードが彼女を死に近づけたから。

セックスでも、殴り合いでも、ドラッグでも、超過的な事柄によって実際に死んでしまうかもしれないと感じた時、逆説的だが、人は生を実感することができる。
それまでとは全く異なる生々しい現実がヌッと顔を覗かせ、それまで見ていた人生の景色は現実に似せた何かであっただけだと感じる。
肉体や神経が脅かされ危険を感じた時に人は社会性を脱ぎ捨て動物になることができる。

軽自動車のスピーカー特有の少し空回りしたような重低音が彼女の鼓膜だけでなく、皮膚を、骨格を、脳を揺らし、脳より向こう側にある魂を興奮状態にした。

彼女はスピーカーのボリュームを最大にして音の中に入った。
安い車の安いスピーカーが悲鳴を上げて音が割れる。
曲の中に留まりながら高速で移動する彼女は、ビートが鳴るたびにこめかみを殴られるような衝撃を感じた。曲のサビでメーターを振り切った車の移動速度は、彼女の魂に籠ったエネルギーを放出させるのか、または彼女の魂に更なるエネルギーを注ぎ込むのか。
そんなことは潜在意識に聞け。



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