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ショートショート 『白馬に乗った吸血鬼』

あなたは悪意を描けないのかも、
乱暴に善意を描くことはできても

This is a metaphorical question, but it's not philosophy itself.

俺は現在face to faceで関わっている人が全員嫌いだ。
これは結構悲惨なことだと思う。自分の世界観が、嫌いな奴らによって構築されてしまうので、奴らと絡んでいない時も世界が薄汚い公衆便所のような様相を呈してくるからである。マリファナの匂いって公衆便所の臭いと紙一重だよな。俺は決定的なその香りの違いを言語化することがいまだに出来ていない。公衆便所にプラスして何か別の匂いが乗ってるんだよな多分。
俺が周りの奴らを嫌いな理由は、まずダサいからだ。全てがダサい。
逃げる、嘘をつく、人のせいにする、態度で人をコントロールしようとする、頭が悪い、ユーモアがない、性格が悪い、精神年齢が低い、好奇心が薄い、自分がしょぼいことを誤魔化すために人にマウントを取る、自制心がないためすぐ感情的になる上にそのことについて謝らない、自信がないので行動のモチベーションが全てカッコつけることに終始して物事を純粋に楽しむことができないし器ではないカッコつけ方をするので余計にダサくなる、人とイーブンに関係することができず上からいくか下手に出るしかしない、そうやって同じところをぐるぐる回るだけなので進化がなく緩やかに枯れていくしか道がない。
もちろんそういった連中と絡むと腹が立つが、それよりも、奴らのその無力さ浴びることで、奴らと同じくこちらも狭いところに閉じ込められているような閉塞感を与えられ、まるでディメンターのように俺の心の活力を奪い、暗くて寒々しい気持ちにさせてくる。もう生きていたって楽しいことなんか何も起こらないという気持ちにさせてくる、世界には楽しいことなんか何もないと本気で思うようになってしまう。これじゃまるで敵じゃないか。早く俺にとってのパトローナスを見つけなければ、俺の口からビー玉ほどの美しく輝く光の魂が出てきて、荒廃した辺りを照らしたと思った次の瞬間には卑しい奴らの餌食にされてしまう。
そう、奴らのそういった醜さは全てが無力さの現れなのだ。美力、知力、財力、人間力、育ち、コミュ力、経験、成功体験、なんでもいいけど、その力の総体が余裕と明るさと気品と人の良さと可能性による次なる好奇心を担保するので、進化し続ける才能のない人は、自尊心を守るための力を獲得することができない。
その結果、人にマウントを取り続けるか、過剰に卑屈に振る舞うことで人を自分の懐に入れないようにするか、そういったモンスターが出来上がる。こうやって俺は今日も明日も明後日も嫌いな奴らに溺れていくのかと思うともう終わりなんだなと思う。吸血鬼は、そうでない人を自分と同類にしようとしてくるので、このままだと本当に終わりなんだ。多勢に無勢ではパトローナスの光も届かない。

嫌だ、祟り神になんかなりたくない!

"白馬の王子様"は来ない。自分でここから脱出するために乗る馬を育てることに挑戦し続けるしかない。もう一度言う、白馬に乗った王子様は来ない。ここにいるのは、互いのなけなしの生命力を啜り合う人の形をした弱りに弱った吸魂鬼だけだ。
孤独を癒すためだけに、吸血鬼に魂をしゃぶらせるのはもうウンザリだ。


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