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不安障害になる大学生以前の話。~高校1年生編~


そして、念願だった、私の努力が報われた瞬間だった志望高校入学時。本当に嬉しかった割には、入学式の時を覚えていません。超進学校だった上にマンモス校だったけれど、どんな入学式だったか全くと言っていいほど思い出せません。

高校時代は1年生が総合的に一番楽しかったと思う

なぜなら現に1年生の時に仲良くなった人たちと今でも交流があるからです。
本当に同性の友人に恵まれ、いじめられるという経験もありませんでした。私にとっては奇跡の時期の1つです。
中学時代もでしたが異性と3年間関わることはほぼありませんでした(笑)でもありがたい?ことに恋人はできていました。(そこは有料エリアにて・・・)

本当に、私は他人よりも記憶力が劣っているかもしれません。
何故ならこんな風にnoteを書いてる割には3年間の思い出が断片的だからです。
さらに、超進学校に入学したいいものの、英単語や地理、世界史などの単語は自分には受け付けられないものばかりでした。なので、英単語テストがしょっちゅうありましたが、不合格ばかりでほぼ毎回居残りでした。何と言えばいいんでしょうか、、、基礎教育が本当に向いてない、と言われてもおかしくないくらい「覚えること」が苦手でした。それが高校生の時は顕著でした。

今書きながら思ったのですが、勉強で頭がパンパンになり日常生活の思い出まで記憶する容量が少なかったのかもしれません(泣)

高校は本当にレベルの高い人たちの集まりだった印象でした(他人事)。
勉強的に頭の良い人ばかりかと思いきや、ちょいヤンキーっぽい人もいたりマンモス校なだけあって色んな人がいました。


でも高校一年生の時、人生で一番勉強頑張った結果が表れた時がありまして。入学して早々に5教科のテストがあったのですが、400人学年で真ん中より少しだけ上になれました。この時、親に高校時代に唯一と言っていいほど勉強で褒められた気がします。


1年生の時に小学生ぶりに小~大学まで一緒だった幼馴染と同じクラスになれたのはかなり嬉しかったです。
その幼馴染と私とあと2人くらいのグループみたいなものを形成していましたが、私自身なーんかしっくりこなかった理由がありまして。


その2人が幼馴染の方と仲良くしたがっており、あまり私と仲良くするという感じではなかったので、それを察知してたかのように私は他のグループの子たちと仲良くすることもありました。

その2人はそんなつもりはなかったかもしれませんが、それは捉えた者の考えや感覚を優先していいと思うのです。そこはあくまでも個人的見解ですが。
私はその2人の幼馴染と私に対する雰囲気や態度の差に色んな感情を覚えました。



なので、上記で書いた、自分が入っていたグループじゃない子たちとの方が大学生になってからも集まったりして仲良かったです。

地元の大きな祭りに一緒に行ったり、ジャージのズボンで上は自由な格好でプリクラ撮ったり。
(でもその中の一人から、私のトップスとジャージの組み合わせを「なんか変」と言われましたけどね!

めっちゃショックだったし腹立ったし悲しかったけど、反骨精神でそのおかげでおしゃれをかなり研究して今ではblueの服装好き!と色んな方から言われるくらいまでに成長しました!!!)

高校時代に知り合った人たちの中には、妙な違う矢印の方を向いてる自己肯定感の高い人たちもいて、その人たちの言動には違和感を覚えていました。

進学校という環境がそうさせているのか、その人がプライドが高いのか・・・「100点中95点しか取れなかった(´;ω;`)」みたいに言うんです。

私からすれば95点「も」取れてるやん!!!と毎回ツッコみたくなったり、サラッと本人はその気がなくても人にとっては自慢に聞こえるような物言いをする子もちらほらいました。



頭がいい、国公立大学や有名私立などに行くことが当たり前の世界で、記憶力もあんまりだから成績もいまいちな自分は、気付いてないところで塵も積もれば山となる状態で心が削られてた部分はあった気がします。


1年生の時の担任の先生は本当に教え方が上手い先生でした。
まあ、進学校の先生だからなのか?、「これもできないのか?」みたいな言い方をされることもありましたが、それを上回るくらい勉強の仕方、生徒をやる気にさせる方法が分かりやすかったです。


なので、私はその科目だけは1年生の間だけは得意に近い「好き」でした。科の中でもさらに頭の良い人たちだけを抜粋したクラスに2年生になって入った友人にも「blue、教えてー!」と言ってもらえるくらいでした。(数少ない誇り)


部活について、そして父親の言葉


私は小学校から運動部に所属することは当たり前だったのですが、高校は小学生の時からやっていて今でもそれ関係で人間関係を築くことが出来ているある文化部に所属しました。最初は運動部も視野に入れていたのですがしっくりくるものがなくて。なので小学生以来、本格的にまた始めてみようかなとも思い、ある文化部に入りました。

顧問の先生は、厳しいところもあるけれど、私のことを一人の人間として見てくださっていた数少ない先生でした。しかも、私の母のことを知っていて尚更二人っきりでおしゃべりとなるとたまに母の話になったりしていました。そしてその先生も私にとっては母のような存在の一人だった気がします。

本当は以前の記事にも書いた中学生から大好きになった写真の関係で写真部にも入りたかったのですが、当時の私(いや今もかな?)は部活を掛け持ちできるほど器用ではありませんでした。


でも、もしも高校生に戻れるのであれば短期間でもいいから写真部に所属したいです。
そのくらい悔やんでいます。
そして今よりも写真の技術を磨けただろうし、あわよくば賞を取って全校生徒の前で賞状をもらいたかった。
大学も本当に心の片隅にですが写真学部も考えていたくらい、写真は本格的に勉強したいくらいでした。だけど、なぜ別の学部にしたのかは高校3年生の時のことを記事にするときに書けたらなと思います。


私は中学時代もでしたが、高校でも部活は同期は最終的に私合わせて3人で、先輩方は倍いました。高校時代の先輩方は本当にいい人たちばかりで、基本的には楽しかったです。


でも私が2年生の時にあることがきっかけで先輩方と少しだけ不穏な空気が漂った時期がありました。。(これも2年生の時の記事に書こうと思います)


拘束されている感覚になるもの(部活とか習い事とかバイトとか)は、今思えば意欲的に楽しんでいたか謎です。小学生の時の水泳や歌うこと、中学時代のテニス部、高校時代の文化部、中高生の時はなんとか退部しないことが「いいこと、素晴らしいこと」だと思ってた。

でも、身体や心はどこか「休みたい」という感覚になっていたように思います。
なので時々なぜか高校時代も塾に引き続き通っていたので休んだり、高校時代に父親に散々嫌な気持ちになるくらい歯並びのことを言われていたので(上の前歯が収まりきらず、V字型みたいに生えてた)矯正をし始め部活を休んで歯医者に行ってました。

自分の子どもなのに「お前の歯はこんな感じで生えてる、なんとかしろ」とこれをもっと酷い言い方でそのV字型のジェスチャーをしたりしていて本当に嫌いでした、そんな歯並びの自分も、それをやいややいや言う父親も。

塾に通うことと歯医者に行くことで、そこで会う先生たちにたくさんしゃべったりすることで、なんとか部活に通うことも続けられたんだと思います。

Aとの関係

そして1年生の終わりごろ、一緒に合格発表を見に行ったAから家電(いえでん)があったんです。
当時私は高校3年生の冬ごろまで携帯を所持していなかったので友人との連絡手段は電話か手紙でした。
(今思うと持ってなくて生きていたのすごい・・・親が基本的に携帯を子どもに持たせない主義だったので、母親は「blueは『私は携帯はまだいらないよ』って言ってたじゃない」と言いますが、無自覚なあなたたちの圧力に小さいころからの癖で『無意識に』あなたたちの言うことを聴くことを優先していたんだよ、と今なら答える。)

Aは電話越しで私に泣きながらSOSしてきたのです。「留年しそう、助けて。」と。

あまり学校に行けてなかったらしく、このままだと留年してしまうかもとのこと。もちろん私はAは大切な友人だったので塾も一緒だったことから助けてあげました。(助けてあげたっていう言い方は変かもしれませんが、そう言いたくなる事件がのちに勃発するのです。。)

自分が教えられる範囲で勉強を教えたり、Aも必死に頑張っていたことが実って無事進級することができました。私も一緒に進級できること、かなり嬉しかったです。

文系か理系か

そして1年が終わるころ、2年になると文系か理系を選択しなければなりません。


私は高校の時、将来の夢というものが分からなくなっていた時期でした。

なのにこの選択をしないといけないことは酷でした。中学編で書いたかもしませんが、中学生の時に職業体験で保育士を体験しました。
この体験時の記憶が皆無なのですが母親曰く、人間関係がうまくいかず、母親に行きたくないと言っていたそうです。


小学生の時は明るく「保育士になる!」と言っていた私がいつの間にか「保育士になりたいのか?」とどこかで疑問に思っていたことが母親の話によって何となく繋がりました。中学時代の自分の記憶にない職業体験の時にやる気を失ったのです。


でも、理系に進むとなると化学が必須科目で私は赤点ギリギリの科目をあと2年間もやってられるか!という気持ちもあり、「保育士になる!」という気持ちから「子どもと関われる仕事に就けたらいいかな」といううっすーーーい感情に変わっていた自分に「なんとなく」従って文系を選びました。

この「なんとなく」は良くない方の「なんとなく」かもしれません。
なので、高校生や大学に進学を考えている人たちは、自分は何が好きか、何が得意かを自分としっかり対話してほしいです。
一般的には紙に書きだすことをかなりの人たちが推奨しています。
私も賛成ですが、紙とペンを用意して実際に手を動かすというのはかなり心の体力を使います。(もちろん手や腕も疲れるけど)
そこまでの余力がない人はスマホや人と話す、というところから始めるといいかもしれません。
現に私も後者の割合が多いです。

そして2年生へと進級します。久しぶりにだいぶ長い文章を打ちました。

もしも最後まで読んでくださった方がいらっしゃったのなら、本当にありがとうございました。次回は1年生時の恋愛のこと話せたら、と思っております。

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