不安障害になる大学生以前の話~高校2年生前編~
こんばんは。
この内容の話はお久しぶりになります。
2年生に無事になったのですが、私は前回お話しした通り文系を選択しました。
ですが、1年生の時にすごく仲良くなった子たちはほぼ全員理系に進むという人間関係でまた何とも言えない転機が訪れていました。
これを読んでいただいた上で以下を読み進めてくださると分かりやすいかと思います。
https://note.com/happy_03__free/n/neafa2d2fb6aa/edit
すごく仲いい子がいない・・・と本当に進級することに不安やら悲しみやらで泣きそうになっていました。
そしたら奇跡的にAと同じクラスになれたんです!(Aとは1年生編で出てきた友人です)
嬉しすぎて、Aに泣き顔でハグしに行ったくらいでした苦笑。
ハグするとき正直(独りにならずにすむ・・・!)という安堵も含まれていました。
その時から私は孤独ということに怯えていたのだなと書きながら改めて気づきました。
ですが、この2年の終わりにAから衝撃の言葉をかけられるのです・・・。(後編で書きます。)
私はどんな波にも乗ってしまう良くも悪くもある癖
私の母校は文武両道がモットーになっているほど勉強も部活も力入れることに気合を入れているような雰囲気の学校でした。
それと同じくらい、学校行事もかなり盛り上がるような校風でした。
1年生の時は、体育大会の時に新型インフルエンザが大流行していた時期で、私のクラスも体育祭の次の日から学級閉鎖になりました。
それに喜んだのもつかの間、自分自身がまさかの体育祭の次の日から新型インフルエンザにかかってしまいました・・・。
そういう意味では大流行の波に乗ってしまったのです。
もともと身体は強くない方なので、高熱が出て病院に行って検査待ちの時に付き添ってくれた母に大泣きしながら「死ぬかもしれない~(´;ω;`)ウゥゥ」と言いながら本当に怖い思いをしました。
今でこそ死ぬ確率なんて低い病気になっているとは思いますが、当時はニュースで死亡した人たちが結構いたのを観たので怖かったのです。
1週間も休みがあるなんて私の高校時代では考えられないくらいの最高の時間が病気であっという間に終わりました。
体育祭の内容よりも、担任が体育祭が終わった後に私たちに集合かけて「明日から学級閉鎖です」という話を体育座りしながら聴いていた記憶からしかありません。
覚えていない原因は、体育祭はもともと小さい頃から好きじゃないのもあるかもしれません。
体育祭が好きじゃない理由
走るのも速くないし、なのに父親は陸上部育ちだから自分の子どもが足が遅いというのが自分の中で許せなかったんじゃないかって今の私なら考えます。
なので、小さい時からスタートダッシュの仕方や、フォームをかなり叩き込まれました。
言うことを聞かなかったら本当に親には怖いことをされるという学習を無意識にしていたので、とりあえずその場しのぎでもいいから全力で終わらせる、というか乗り越える?みたいな関わり方でした。
おかげで、高校の時に同級生に「blueは足が速く''見える''ね」と言われました。
はい、実際は速くないのです。(上記の言葉は地味に傷ついた言葉の1つ)
しかも高校時代は両親の教え子と同級生だったのも今思えば少ししんどかったです。
父親の教え子に「blueって足速いんでしょ!?」と言われるプレッシャー。
半端じゃないし、それを通り越して何も感じないようにしていて麻痺していました。
父親がこうだからあなたもこうでしょ?と一緒くたにされることの苦しみが分からない人たちが言うんだろうなと感じました。
人間関係で気を付けてほしいと個人的に思うこと
最初にそういう「思い込み」から人と関わることはありえなくない話ですが、それで傷つく人もいるんだということを知ってほしいです。
今現在、LGBTとか発達障害など分かりにくいものに対しても、みんなが見たり聞いたりして分かるような障害や病気には理解が広がっているように私は感じますが、
私が現在なっている不安障害のような目では見えない精神疾患の障害や病気に対してや、高校時代の私が受けた父親の教え子の人たちの私への思い込みなど些細な事はまだまだ鈍感な人が多くて悔しいです。
私自身にも言えますが、「思い込み」で人間関係が上手くいくことはほとんどないと思います。
だから人間は日々変わる生き物なので心情だって1分1秒で変わります。
だからこそ自分の心にひとに対して新鮮な気持ちというか、フラットな心で接していきたいと思うし、皆さんもそうあってほしいと願います。
高校2年生の印象記憶2つ
2年生は正直部活と修学旅行くらいしか印象に残っていません。
部活はこう考えてみると勉強よりも頑張っていたのかもしれません。
私はある文化部に入っていました。
だけど中学時代と同様、先輩がとても多いのに自分の代は私合わせて結果的に3人しか残りませんでした。
①高2の部活動が私の中での最高潮期
まずは部活について話そうと思います。
私は高校生活で一番充実していたと言い切れる出来事はやはり部活動です。
特に2年生時は、高文祭というものの裏方としても表方としても頑張りました。
ホールの裏では私たちみたいな役員のような人たちが無線機をもって「じゃあ○年○組の皆さん、こちらで○分間練習です!」とか、舞台まで誘導する経験は後にも先にもこの時が一番充実していて、きつい・・・という気持ちよりも「充実している!やり遂げよう!」という前向きな気持ちでした。
そして、自分も文化部として表舞台に出たり。
でも正直、自分のは言った部活は自分の高校では地味に値する部活だったので、全校生徒の前で発表しても拍手が寂しく感じてしまいました。
ダンス部とか吹奏楽部とか、1人だけで歌うことで受賞した普通科じゃないもっと頭の良い学科の人の歌声には拍手喝采。
それらと比べてしまうと私の部活の発表したものは小規模で、生徒によっては眠くなってしまうつまらないものなんだろうなと、そう感じることしか自分の文化祭とかには特に感じていました。
ダンス部の人がどうしても文化部のカースト的には上でダンス部が踊ればその日一番盛り上がるくらい。
そしてそのダンス部のこと付き合ってる俺スゲーだろ!?みたいな人達。
書いてるだけで吐き気がしてきます。
なぜここでも優劣をつけられないといけないのだろうなんて、今落ち着いて思い出すと虚しくなります。
上記を簡単にまとめると
文化祭や高文祭では裏方としてとても充実していた半面、表舞台では客席が冷めているような空気を薄々感じながら披露しないといけない虚しさ。
という感じでしょうか。
なので、学校外での発表会やコンテストに力を特に入れました。
おかげで人前で披露することは楽しいという気持ちは変わらず持ち続けることが出来ました。
そして、女子だけで披露したものに入賞という称号を手に入れたんです!
その喜びを写真に収めているものが実家から出てきたときに「頑張ってよかったなあ。」とそれを見ながら思いました。
あと、私入れて4人だけで舞台に立って1人1パートという経験も滅多にできないことをさせてもらえたことも嬉しかったです。
②修学旅行は当時の「今」の自分の気持ちを優先してよかった場所へ。
そして修学旅行。
私の代はちょうどオリンピックの年で、その開催される場所へと修学旅行に行くことが出来ました。
人生初の海外。
私はこの時の私は私人生で全然体調も絶好調に近い時期でした。
そんな時に円高ということもあって普通よりは安くで海外へ旅行に行くことが出来たんです。
このときばかりは快諾してくれた親に感謝しています。
もう東京よりも、私は海外に行きたい!!!と直感で強く想いました。
結果、本当に行って良かったです。
その国の空港の中の香りも、日本とは全然違う香りで異国に来たなあととっても感慨深かったです。
やっぱり香りってかなり長期記憶になりますね。
あの香りは未だに思い返すとフワッと香ってきます。
冬に行ったので雪もなかなか見たことない私は、海外な上に雪の世界を見る機会があって本当に夢のような期間でした。
ホームステイも経験できたこともなんか、あっという間すぎて記憶が断片的です。
当たり前のように玄関で靴を脱がなくていい、夜ご飯も食べさせていただけましたが何食べたのか思い出せないくらい美味しいと言えるものではなかったです・・・でも、朝ごはんはワッフル食べ放題でホイップクリームをたっぷり付けて食べるそれがなんだかんだ最高に美味しかったです(笑)
ホームステイ先のファーザーと、一緒にそのホームステイに行った友人と3人で「ラプンツェル」を観ました。全部英語だったので何を言っているのかさっぱりでしたが、3D眼鏡で見た「ラプンツェル」で有名なシーンの1つである、ランタンが飛んでいる中歌を歌うシーンのランタンが目の前で飛んでるみたいに見えてとっても綺麗で掴みそうになりました。
このシーン。本当に綺麗ですよね。
私も一度は絶対に生で見てみたい光景です。
正直、ディズニー映画はここ2年3年くらいで深く入り込むくらい好きになりました。
それまでは、白雪姫とシンデレラとか。
そいういう昔の輝かしいディズニー映画しか観た記憶がなかったです。
しいて言うならトイストーリー1はしっかり観た以来・・・でした。
この「ラプンツェル」を見ていた時に急に一緒にいる同じ空間の人たちがドッと笑ったところに合わせて「あ、ハハハハハ!」と笑ったり。
英語できてたらもっと楽しく観られたのかな、なんて思いながらあっという間に映画は終わりました。
そして一番記憶に残ってるのはホームステイ先で友人がギターを弾いて、私が「尾崎豊」の「I LOVE YOU」を歌ったことです。
なんでこの歌!?と思われるでしょうが、ただただ歌詞に「I love you」というフレーズがあるだけというポンコツ回答です(笑)
急に歌わなくちゃいけない感じになって、ぱっと思い浮かんだのが「尾崎豊」だった、それだけなんですけどホームステイ先の皆さんが喜んでくれた記憶があります。
私は小学生から歌を歌う習い事をしていたので、とってもアットホームな雰囲気な家という「場所」で歌えたことも私の財産になっています。
国境を越えて「尾崎豊」を歌えて、それを当たり前のように受け入れてくれる環境。
こういうことってなかなかできることではないと思うんです。
ホームステイを許可してくれる家族って本当に心広い方々なんだなと書きながら気づくことが出来ました。
お世話になったファーザーとマザーとは、私が以前投稿したように携帯電話を所持していなかったのであれっきり連絡は途絶えてしまいましたが、またあの土地に行くことも私の夢であり目標です。
その時に持って行った母親から借りたデジタルカメラには沢山の記憶とともに写真をたくさん撮ったのに、データが消えたか、それか奇跡的に残っているけど見れていないかのどちらかです・・・
早く観たいです。
消えてしまっているなら、また同じ場所に行って、今度こそ記憶から消えないようにします。
2年生の心に残った出来事をここでは書きました。
後編はAとの間で起きた事件について書きます。