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後ろ向きで歩く。間宮改衣「鵺の皮」を読んで。
間宮改衣のデビューは凄まじかった。
『ここはすべての夜明け前』は、今でも何かしらのランキングに入って話題である。
デビュー作を読んで、一気に読んで涙を流して、いつものように感想を書こうと思って手が止まってしまった。
本当にこの作品を讃賞していいのか?
わからない。わからない。
当時のSNSには、ほとんどの人が感動したとか号泣したとか、肯定的な感想が多くて、私の読みが悪いのかもしれないと思ってしまった。
批評も見れる範囲でなるたけ追ってみたけれど、肯定的に捉えているもしくは、いいかわるいかの議論を避けているものがだいたいの印象だった。
そんななか、ある人だけがはっきりとこれをみとめて言っていたのに少し救われたのだった。
そっといいねを押した。本当にその時は、1人しかいなかった。
SF創作講座の最終選考で、作家はバツだったけど編集者がマルだったという話を聞いて、へーともなった。
受賞後の短編は、どうやら『文藝』2024年冬号に書かれた方が先らしい。デビューしてからすぐ文藝で書いていたとは全然知らなかった。
プルーフでもまるで純文学というコピーで宣伝されていた気がしたんだけど、ポストが無くなっているのか、ただの記憶違いか?
別に純文学だから、アルジャーノンみたいだから読んでるわけじゃない。世代に共感されるというボカロの歌?を全員が知ってるわけでもないし。
小説新潮で「鵺の皮」が読めると知って、さっそく買って読んだ。もともと文章がとてつもなくうまい人なのだろう。
今回も「家族」だが、母と娘である。
母と娘の噛み合わない会話を、技巧的に混ざり合わせ、どちらが発言しているのか迷いつつも掴めるバランスはさすがだ。
母と娘の同一化を図る、母の大いなる言葉から(いわゆるお前は私が産んであげた)、必死にそれこそ命をかけて娘が抵抗し、母を否定し続ける話だった。
間宮改衣は、真摯にこの生きづらさを見つめつつも、何をしてでも未来の可能性を捨てきれないという「後ろ向きで歩く」SFを書く人なのかもしれない。
『ここはすべての夜明け前』でも、主人公は父親に溺愛され、搾取されて育ち、不自由な肉体から抜けつつて生きながら得て、周囲の人を利用し、最終的には贖罪をすることなく、自分の意思で未来へ向かっていった。
弱々しい存在が時には他者を傷つけ、奪い奪われても、自分の未来を探しつづける。
その様が、「鵺の皮」にも描かれている気がした。
母と娘、娘と母の問題は根深い。
自分の一部であり、そして全くの他人である存在からの自己否定に、相手も自分も身をすり減らす。同一化するか、それとも否定をするかしかしのぐ術はないのだ。
デビュー作ではまっすぐ向かっていったラストに対して、今作は自分の片割れをなくしてしまったようにうろうろと彷徨ってばかりである。なくしたのが自分であるならば、当然と言えば当然だ。
ラストはもう準備されているはずなのに、そこに踏み込むよりも、もっと「後ろ向きで歩く」未来がここにある。
似てるなーと思うのは「ちいかわ」だ。
弱々しくて小さくてかわいい「ちいかわ」たちは、ときに現れる怪物?たちに食べられそうになったりいじめられたりする。
それでも健気に「ちいかわ」たちは戦う。
怪物の存在はイマイチよくわかってない。わかっているのは、彼らは「ちいかわ」たちになりたいのだ。
ある小さくて可愛い生き物の中身は、実は怪物であって、その元の怪物の中身には可愛い生き物の魂が入っている。
「ちいかわ」はそんな世界を、「前向きに歩く」SFだと思う。前向きというのは、マイペースに鈍感に、ゆるく楽しくという、のんびりとした積極性だろうか?
「鵺の皮」では、娘は二重に皮をかぶって母と対峙しなければならなかった。
母が否定する容姿を捨て、鵺の皮を被らねば、母と会うことさえできなかった。
母は他者であり、敵でもあるのだ。そして、逆も叱り。
桜庭一樹のnoteにも、そんなことが書かれていた。ちょうど今日読んだばかりである。
https://note.com/sakurabakazuki/n/n45c9a157b66d?sub_rt=share_b
身近な他者、敵とどう戦って生きていくべきなのか? 間宮改衣が提示するのは、償わない、断罪されないなかでも、迷い歩くという「後ろ向き」の処世術だ。
それは、大声で言うことは許されない。大いなる言葉が邪魔をして、息をすることもできない。
けれど、不思議と小説だと許される。感動したと言える、泣けてスッキリすることができる。
それにしても最近、皮を被る話、服を被る話が多いな〜という印象だ。
自分という皮から抜けだして、自由にやりたい放題やらかしたい気持ちがそうさせるのかもしれない。
「後ろ向きで歩く」SFが、続くかどうかわからない。でもまた読んでみたいなと思う。
また、母と娘ものを間宮改衣は描くのではないか。
他者であり、敵であり、そして自分でもある存在との対峙で、次はもっと激しく、とことん後ろ向きに、未来に向かってて描いたのが読みたい!!!
終わりです。
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