「表現の乏しさ」が、言葉の世界を豊かにする?
先日、noteで踏み跡さんの記事を読んで以来、もやもやとした疑問にとりつかれています。そこで引用されていたのは『悪童日記』についての野崎歓さんの文章でした。
表現の貧しさによってこそもたらされる「翻訳の可能性」の拡張、増大とは? 小説の原文、その表現が貧しいとは、この場合、アゴタ・クリストフという作家が母語ではないフランス語で書くこと、不自由な言語でどうしても書きたいことをなんとか書く(簡潔に書かざるを得ない)ということから発生した「乏しさと貧しさ」を指しています。そこに威力がある、と。
title image: アゴタ・クリストフ『文盲』表紙(白水社)
ではアゴタ・クリストフの作品が、その文章が文学作品として本当に乏しく、貧しいのかと言うとそうではありません。『悪童日記』を読んだとき、わたしが受けた衝撃は何だったのかと言えば、作品のもつ強靭さ、直接性といったものでした。ストーリーの細部は忘れていても、文章の力強さ(手応え)は印象として残っています。
クリストフの母語はハンガリー語。フランス語は21歳のときスイスに移住してから、主として生活の中で学んだ言葉です。読み書きはのちに大学の夏季講座を受講して学んでいます。小説を書く言葉としてフランス語を選んだのは、それで生計をたてるためだったとされています。
話すことはできても、読むこと、書くことができなかった(文盲なんです、とクリストフは言っている)のが、勉強を始めて2年後に「優秀評価付きのフランス語修了証書を取得する」。以降、クリストフは再び読むことができるようになり、フランス語作家はもちろん、フォークナー、ヘミングウェイといった他の言語の本もフランス語で読むことができるようになった、と希望に胸をふくらませます。
フランス語は、クリストフが自ら選んだ言葉ではなく、運命や成り行きによって課せられたもの、この言葉で書くことを引き受けざるを得ないと書いています。
生きるために選んだ言葉で生活し、仕事をしているけれど、まだ完璧とはいえない、間違うし、辞書が手放せない。一方母語の方は、使わないうちに錆びつき、忘却の彼方へと去っていく。移民の人のエピソードとしてよく聞く話です。
30年間その言葉を話し、20年間その言葉で作品を書いていても、かつて母語で書いていたようには書けない、という現実。
この文を読んで思ったのは、クリストフは自分がフランス語を自由に扱えないことを、文学の別の側面から見たときプラスに働く、とはあまり考えていない(あるいは自覚していない)ように見えること。クリストフより一世代後に生まれた、そして自分の自由意志でドイツ語を小説の言葉の一つに選んだ多和田葉子とは、このあたりが違っている。多和田葉子の場合は、ドイツ語を母語としない人間が、外側からドイツ語を捉えることによって、他のドイツ語作家にはない視点を手にしているという自覚があります。母語話者ではないために起きる言語上の欠落を、むしろ面白いと感じ、プラスに転化しているわけです。多和田葉子は、このような視点を獲得しそれを自覚的に作品に表した、おそらく草分け的存在ではないかと。
文学作品にかぎらないのですが、文章の簡潔さ、言語としての容易さについてはときどき考えます。それはたとえば翻訳という「通路」をとおるとき、明らかになることがあります。生成AIによる翻訳ツールでは、簡潔な文章は、一般に原文どおりの翻訳ができることが多いです。入り組んだ構文の文章や、文学的なあいまいさを含むテキストは、つまり原文で読んだ場合すっと理解しにくいもの、あるいは複数の解釈が発生する可能性のあるものは、他の言語への変換もうまくいかないことがあります。
では翻訳のことも考慮して、文学作品は簡易な文章で書く方がいいのか、と言われれば、そうではないと思いますが。
ただ野崎歓さんの言う「おそらくはいかなる国の言葉にでも翻訳可能だろうと思わせるような」文章は、言語にとっての一つの理想かな、という風には感じます。片一方の端っこにある理想というか。もう一方の端は、特別な個性によって書かれた、それを理解できる人にとってはとてつもなく深い意味をもつ文章、でしょうか。
わたし自身は、あまり文学的な人間ではないので、簡潔さ明快さの方に惹かれることが多いです。難しい漢字、難しい言い回し、難しい表現方法、複雑な構成・構造、修辞的な技巧をもつ作品とはあまりなじみがありません。
ちょっと話がずれるかもしれませんが、ごく最近、二つの日本語の小説を読みました。多和田葉子の新刊『白鶴亮翔(はっかくりょうし)』とヤン・ヨンヒの『朝鮮大学校物語*』です。『白鶴亮翔』は翻訳や言語に関する面白い考察がある、これぞ多和田葉子という作品で、ドイツに住む日本人翻訳家が主人公です。『朝鮮大学校物語』の方は、書かれている内容(朝鮮大学校について、在日の人の学生生活はといった)に興味があって選んだ小説で、著者は文芸作家というより映画監督として知られています。この二つの小説を並列的に読めてしまう自分、つまりわたしは文学性というものにあまりこだわらない読み手なのだと思います。
わたしがある文章が素晴らしい、と感じるときというのは、書かれている内容(テーマや動機)とその表し方(伝え方)の混合体に対してであり、文章そのものの美しさや華麗さ、鋭さなど、作家の文学的な表現能力ではないことが多いです。
そこに何が書かれているか、それをどう伝えようとしているか、この二つが本を読むときの中心的な関心事です。なので文章自体に多少の欠陥があったり、ぎこちなさがあっても、それほど気になりません。特にやむを得ずそうなったと思われる場合には。
野崎歓さんのいう「表現が乏しいために、翻訳の可能性が広がる」という指摘について、少し考えてみます。野崎さんは「いかなる国の言葉にでも翻訳可能だろうと思わせるような」と言っています。いかなる国の言葉、と言ったとき、どういう言葉を想像すればいいのか。
たとえば目的となる言語(目標言語)が、アフリカや南米、あるいはヨーロッパの小さな部族、民族の言葉だった場合、高度に発達した技術社会や経済思想を説明する言葉、あるいはポストフェミニズムやLGBTQにまつわる用語を翻訳しようとしたとき、当てはまる単語や対応する表現が見つからないことがあり得ます。しかし翻訳の元となる起点言語が乏しく貧しければ、基本的な(ある意味原始的で、古来からの)人間生活に必須の言葉のみで構成されていれば、どんな少数部族の言葉にも置き換えられる、そういうことを言っているように思います。
そしてそのような乏しい表現、簡潔さの極みのような言葉で紡がれた(一つのことを必死で伝えようとしている)作品というものがあったとしたら、その言葉の貧しさのせいで、作品がより輝きを放つということはあるのでは。
作家が何語で作品を書くか、という問題は、近現代になって発生したことと思われます。クリストフのように政治的な事情もあるだろうし、そうではなく自ら選んでというケースもあります。母語ではない言葉、完全には自由にならないかもしれない言葉で小説を書く場合、そこにはいくつかの理由が想定されます。
たとえば母語にまつわる思考の領域を超えていくため、自分にとっての母語から解放されるため、とか。日本語とドイツ語の両方で小説を書く多和田葉子さんには、言語の境界線を行ったり来たりすることで発見できることが、創作のアイディアの一つになっているように見えます。
ルーマニア語で書く小説家、済東鉄腸(さいとうてっちょう)さんは、ルーマニアのある映画と出会ったことがきっかけで、ルーマニア映画にはまり、そこから映画批評を書くようになって、それが現在の小説家への道を開いたそうです。その映画はルーマニア語そのものがテーマでもあったりして、この言語の独特なところに済東さんは惹かれて、ルーマニア語を学びはじめます。
そうやって学んだルーマニア語で、今はルーマニアの文芸誌に小説を書いて掲載していると、『千葉からほとんど出ない…』には書かれていました。済東さんは、結果としてルーマニア語で小説を書いているけれど、ルーマニア語という言語そのものが目的だったとも言っています。何か目的があってそのために言葉を学ぶ、というのではなく、「新しい言語を学ぶことそれ自体が楽しんだ!」と。
今の時代、普通に暮らしていても、母語以外の言葉に触れる機会は多くなっています。人の名前ひとつとっても、たとえば欧州サッカーを見ていれば、アフリカ諸国から南米、アジア、カリブ海、アラブ諸国、北欧諸国……数限りない国々からの選手がいて、それぞれその地域の言語特有の名前をもっていたりします。キンペンベ、ヒマライス、ハキミ、エンバペ、ギュンドアン……
また英語という広く使われている言語も一つに統合されているというわけではなく、米国、英国以外の英語がたくさんあります。Macintoshの音声入力の言語設定を見れば、英語を選ぶ場合も、アラブ首長国連邦、インドネシア、サウジアラビア、シンガポール、南アフリカなど13の地域英語の中からということになります。認定されるほどはっきりと地域色のある英語ということなのか。その中に「日本」がなかったのは残念です。日本訛りの英語だってありますから。
久々にアゴタ・クリストフの文章に触れたので、『悪童日記』がどんなだったか、確かめるため再読してみようと思いました。書棚に本はあるのですが、ふとAudibleで聞いてみる気になりました。Audibleには三部作が揃っていました。この作品に「表現の乏しさ、貧しさ」による言葉の世界への恩恵があるとしたら、それはどんな風に耳には響くのでしょう。
ただしわたしが聞いているのは、日本語訳されたもの。フランス語原文よりなめらかで自然な言葉に置き換えられていることも考えられます。翻訳を通すと原文の手触りが変化する、というとき普通想定されるのは、原文のもつ味わいが消えてしまうなど優れたものが劣化することだったりしますが、「乏しく貧しい」原文が翻訳によって「美化される」こともあり得るんだ、ということに気づかされます。
一般に翻訳は、目標言語に変換するとき、原文に書かれている意味を汲み取った上で、読み手がよりよく理解できるように文章を組み立てます。そのため原文では意味がつかみにくい文章も、理解可能な文になって表現されることがあります。『悪童日記』の原題は「Le Grand Cahier(大きなノート)」ですが、日本語の題名は作品の内容と意味合いを汲んだものになっています。
余談①:
『悪童日記』は聞いたり、読んだりを交互にしています。読んでいるときにたまたま『恐るべき子供たち』と題されたフィリップ・グラスの音楽を聴いていました。そしてその相性の良さ、ハマり具合にびっくりしました。
『恐るべき子供たち』はジャン・コクトーの小説をモチーフにした歌劇で、そのとき聴いていたのはラベック姉妹によるピアノ連弾版でした。この二つは時代もテーマもまったく違う作品ですが、恐るべき子どもたちを描いているという点では一致しています。
余談②:
わたしの聞いているAudible版は、『悪童日記』第13版(1993年)のテキストとはかなり違いがあります。訳者の堀茂樹さんが何度も手を加えたのでしょう。気になる表現を直したようにも見えますが、ときに変更の意図を推測してみることもあります。たとえば、
そしてもし何か分捕れるものが残っていれば、もちろん頂戴する。
という文が、Audible版では
そしてもし何か分捕れるものが残っていれば、もちろん分捕る。
となっていました。
*これは原文が同じ「分捕る」という動詞を繰り返していたのかも、と。当初は同じ語を繰り返すのは日本語にしたとき稚拙に見える、という判断だったのかもしれず。しかし後になって、同じ語を繰り返すところにこそ良さがある、として直したのか。全くの想像ですが。わたし自身、後者のほうがずっといいと思います。
「気違い」は「気狂い」に、「気でも違ったの?」は「気でも狂ったの?」に変更されていました。これは「気違い」は差別用語(放送禁止用語)ということから来ているのか(編集部からの提案かもしれないが)。でも「気狂い」の方が「気違い」よりまし、とも思えませんけど。
*なぜ日本語の「気違い」が使えなくなったかの経緯については、こちらに以前書いたことがあります。
*『朝鮮大学校物語』(2018年刊):この小説は時代的にいうと、キム・イルソン(金日成)の北朝鮮が背景にあり、また当時の日本に暮らす在日朝鮮人および学校の状況の話です。1983年(1年の春)から1987年(4年の冬)までの、主人公の大学生活が舞台となっていて、その年度が章のタイトルになってもいます。
Amazonや版元の角川の本の紹介欄には、いつの時代の話かについては触れられていなかったので、読みはじめるまで分かりませんでした。時代の選択は、著者の実体験がベースになっていると思われます。40年近く前の話なので、小説で描かれている朝鮮大学校の状況も、そこで暮らす在日の学生たちのあり様も、現在とはかなり違うかもしれないな、と思いました。(巻末の岸政彦氏の解説で、そのことに触れられていなかったのはやや不思議な感じがしました)