【エッセイ(ミニ)】『言葉』が効くまで
今日のnoteはちょっと弱音を書きます笑。
コロナが世界を席巻して3年近く。収束も見え始めてきました。この感染症で暮らしが一変した方も多いと思います。
実は私もその一人。あまり詳しくは言えませんが、私は約20年観光関連施設で働いていました。しかし残念ながらコロナのあおりを受け職場は廃業となりました。その仕事を離れてもうすぐ1年になるのですがその職場はそれまで4回ほどの転職を重ねながら出会えた仕事でした。
20年続いたのはやはり私とその仕事の相性がとても良かったからだと思います。そして何よりも上司や仲間に恵まれ、お客様にも恵まれていました。
詩やエッセイを書くこともずっと好きだったため、その仕事を続けながらも創作活動をしていました。
けれど、なんというか。
その仕事を離れて時がすぎた今、猛烈にロスが来ています。好きな仕事を失って空いていた心の穴はnoteを続けることで埋まったはずでしたが、ここ1、2か月でまた穴ができてしまいました。
『天職』とはいわないまでも、自分の好きだった仕事が突然無くなることがこんなにも寂しいとは。もしかしたら大切な人をなくしたりすることと同じくらいかも…という虚無感を抱いています。
そしてあらためて20年を振り返ると、私は好きな仕事をしながら好きな創作活動もするという『夢』の中にいたんだな、と思います。
落ち込んだ時は私はいつも『言葉』の力をかります。note内でも書いた
「彼女は大丈夫」や「彼女の場合は違った」などという言葉を自分で自分にかけて心を奮い立たせてきました。
でも今回は、、、なかなかこの『言葉』たちのパワーが効かない笑。そばにいたはずの私の『夢』もどこかで迷子になってしまっているようです。
けれどそれでもきっと、もう少ししたら『言葉』たちが私の肩を抱き、背中を押してくれる予感もします。
私は『夢』は人生になくてもいい、とも思います。『夢』のない人生は間違いではありません。かわいそうでもありません。
ただ、『夢』があると日々が色づくんですよね。行く道に灯りをともしてくれることもあります。
好きな映画の台詞に
「本当に人を愛した人は、大きな愛情を持っています。だからもしもその愛した人を失っても、持っているその大きな愛情でこれから会う人を包むことができます」(要約)
というものがありました。
好きな仕事はなくなったけれど、いつかまた心おどる「何か」にこれから会いたいと思っています。
『言葉』のパワーが効くまでもう少し。もう少しです。
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