気が合わない人全員発達障害の謎

 もしかして発達障害かも?
 何となく察するのは、過去の職業病を今も患っているからだと自覚している。しかし相手は子どもに限り、大人のそれに私は気付けない。
 子どもも色々いるが、大人も色々いる。今の職場に来て、特にそう思う。   身体のいずれかに障害を抱えている人が、今まで働いて来た現場に比べて圧倒的に多い。だからそう感じたのかと、最初は思った。しかし気付く。障害があるから“色々”なのではない。むしろ健常に見える人々の個性の方が、きついのだ。
 入職して最初に話せるようになった同職種の人は、私の妹と同い年のとてもしっかりした、賢い女性であった。言葉の選択肢が幅広く、知識も豊富で、私が気付かないことにすぐ気付ける。あまりにしっかりしているので、年下だとは思えなかった。
 人間関係の情報をくれたのも、大方彼女だ。一年早く入職しただけなのに、物凄くよく知っている。部署が今の部署ではなく、大きいところだったからだと彼女は謙遜するが、それだけだろうか…。大きい部署に居ても、関わる人は関わるが、関わらない人はまるで関わらない…それが私の過去の経験だが、彼女は違うのかも知れない。
 しょっちゅう話していて、ある日気付いた。
「あの人、発達やからね!」
 気の合わない人、話の合わない人、謎や不思議の多い人…そんな個性派について説明するとき、彼女は必ずそう言う。そのうち私は、“発達”とは、彼女が好きではない人のことではないだろうかと考えるようになってしまった。
 私の目に映る彼らは“個性派”だが、彼女にとっては“発達”である。捨て台詞のように言い放つ言葉尻からも、彼女にとっては好ましい存在ではないのだろうと感じてしまう。そんな彼女も、私とは違うある種の職業病を患っていて、自信を持って見極めているのだから変に否定できない。
 発達障害が多かれ少なかれ社会生活上、何らかのリスクと生き辛さを抱えるものであることは理解出来る。抱えずに気楽に生きている人も中にはいるかも知れないが、それはそれで気付けていない現実に周りが振り回されている可能性がないとも言えない。
 それにしてもしかし…
 賢く、尊敬するところの多い彼女から発せられる最後の一言に、最近絶句するか、「出たっ!」とつい口に出てしまう私。思わず尋ねてしまった。
「もしかしたら私も、発達ですか?」
 一瞬押し黙って苦笑いした彼女を見て、何に危機感を抱いたら良いのか、一瞬戸惑った。


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