2月26日

 病んだ日々を過ごしてそろそろひと月半。明日のことは何もわからないのに、滞っていたことがひとつひとつ片付きつつある。
 休職は正式に退職となり、当初の予定が想定外に急遽変更されたことで、ひと月分の休職手当は入らないことになった。経済的ダメージは大きい。計算外なのでどうしよう!と慌てる。退職手続きにかかる時間を考えると、来月の受診は見送った方が良いのかも知れない。保険証が手元にないのに、しっくりこない診療にお金を払う余裕はない。週明けにはキャンセルの電話を入れなければ…。
 しかし一方ですっきりもしていた。何処かに所属していたことが安心や幸福に繋がっていた、“仕事を楽しんでいた”生活が、突如暗転したことが理由で、私は潰れたのだ。その原因を無かったことにすることが出来ないから、今の私が此処にいる。変えようのない事実のために、失ったものを嘆いている暇はない。そこにいつまでもしがみついていては、何もならない。わかっている。
 しかし昨日の今日だ。疲れてしまった。
 昨日はようやく戻り始めていた食欲も、久しぶりに無かった。夕食を食べ始める前から、胃が痛かった。自分が作ったカレーは、味がなかった。
「このカレー…味ない」と言ったのは母で、このところ、ようやく味付けが落ち着きつつあったカレーというメニューが不作に終わった理由を改めて思い返すと、美味しくするために入れた方が良いと最近気付いた材料を、入れていなかったことに気付いた。
 その夜、体重計に乗ったら、大台から降りていた。一年前、コロナ禍で仕事が決まらず、深夜のネットサーフィン(求職サイトと仕事占い)のお供となったスナック菓子のお陰で、成人してから変動がなかった体重が、プラス5キロという前代未聞の増加を遂げた。その後、一年間、仕事に就いたのに体重は減らず、年のせいかと諦めていたのだが、潰れたのがきっかけで食べられなくなり、そこからひと月でみるみるマイナス3キロとなった。そろそろ4キロ目に突入しそうな数字を見て、思う。
『なんや…悪いことばっかりでもないやんか…』
 良いことでもないと、内心は思う。食べられなくなって体重が減るなんて、健康的であるわけがない。しかし、いらないものがなくなったのは、私にとっては喜ぶべきことだ。
 新年度から新天地で働きたい。しかし、前途洋々でないことなど、普通に考えたらわかることだ。一年間、そうだったのだ。年齢がプラス1になったお陰で、当然の如く転職市場も厳しくなる。また同じことを繰り返すか、もっと大変になってもおかしくない。
 ではこのまま、悩み続けるか?
 潰れて仕事をやめたことを…。なかなか新しい仕事がみつからないことを…。眠れない時間を過ごして、体を壊して、家族を心配させて、何も出来ないまま、今、この時を生きている自分の貴重な人生の時間を捨ててしまうのだろうか…。
 明け方2時頃に眠り、5時頃には目覚めてゴロゴロし、犬と散歩に出かけて必要最低限の家事を終え、今日は手抜きの夕食で許してもらおうと、絶対必要な犬の野菜を用意した以外、インスタントで済ませることの了承は得た。
 浅い眠り3時間の不足を取り戻すために、その後昼までの2時間、犬と惰眠を貪った。
 今日は体を休める日。そう決めたから、自分で自分を急き立てるのを止めよと、自覚させるために、今、これを書いている。
 生きる道がないなんて思ったら、明日から生きてなどいけない。
 昨日、占いは上手に使うと決めたのだから、言われた良いこと、書かれた良いことを、根拠なく信用して、私は明日を生きる。

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