オーバーストーリー リチャード・パワーズ
「あなたに歌って聞かせよう、人が他のものに変身する物語を。」
分厚いよね?
「樹」の名前にあやかった9人の赤の他人の幼少期から老いるまでの物語。それぞれの「根」の章から始まり、それぞれの「種」を作って終わる物語。
彼らの物語を結ぶのは「樹」だ。
この9人の登場人物はこの本を手にとるような者なら誰でも自分のことのようだと共感しそうなストーリーがある。
科学あり、心理学あり、芸術あり、戦争あり、ゲームあり、スピリチュアルありだ。
この本を手にとるような読者ならこの中の誰かに共感し物語にのめり込むんだろう。
ぼくも前半、すげー面白いなッ!って怒涛の勢いで読んださ。
ぼくが好きなのは、パトリシア・ウェスターフォード、「ブナ」だ。
「ブナ」という樹をもちろんぼくはよく知らない。
「木が共同体を形成していると考える以外に、個々の木の生化学的振る舞いを合理的に説明する方法はないだろう。」
彼女は「木と木がおしゃべり」論文を発表して学会から弾き出された森林学者だ。世間の笑い物にされた彼女は「世捨て人」となって森で暮らし世間から姿を消す、けれど、彼女はその研究を独りでやり遂げる、ほとんど野生化し、たった独りで、諦めることなく。
「ブナ」、「森の女王」。
ブナは日本にも原生林として群生していたけれど、植林によって減ってしまったらしい。
ブナ群生林は菌で地下ネットワークを広げ、落ち葉で微生物を増やし肥沃な土壌を作る、実で動物たちを養い、さらにはその土壌を通過した「おいしい水」を作る、要するに「地球」を作っているらしい、「アバター」みたいにだ。地面の下に巨大な「脳」を形成しているんだ。
「世俗的な仕事は他の木にやらせておけばいい。ブナはただそこに立ち、じっと地面をつかんでいるだけでいい……。」
何となくスザンヌ・シマードさんに似ているな、と勝手に思った。
彼女の著作「マザーツリー」も面白そうだ。
ぼくは天才の話が好きだ。
ここにもたくさんの天才が登場する。
パワーズさんの本がアメリカで受けるのも、問題意識に対する取り組みがすごくアメリカっぽいな思ったね。
日本人のぼくは正直、行き過ぎたエコ活動や、反対運動、テロとかあんまりピンとこない、差別じゃないけど、日本人は「事なかれ主義」じゃないか?
人はどうして「正義」の名の下に「戦う」のかがわからない。
テロ側にしろ、政府側にしろ「血気盛んで面倒臭い奴らだな」とも思ってしまう、けれどその「血気盛ん」が「若さ」らしい。
「樹上占拠」はどうも実際にあった反対運動を元にしているみたいだけど「ちょっと愉しそう」と思う。
けれど、いつも考える、「ぼくだったらどうする?」。
まあそもそもぼくだったら反対運動にもテロにも参加しないけど、もし樹上占拠しちゃったのなら、樹上占拠したまま切り倒されて死のうか、と思う。
なんかそこまでやっちまったらオズオズ降りてきて「世間」に溶け込んで「普通に」生きるなんてどうにも嫌んなっちゃう気さえする。
森の中に引っ込んだパトリシアが勇気を奮って公演した時、植物の毒による「公開自殺」を目論むけど、なるほどね、潔いや、とも思ってしまった。
何はともあれ、すごくメッセージ性の強い本だなと感じる。
いつも思うけれど、パワーズさんの太文字はなんだろう?
「ここ重要!」ということなのか?
ね?伝えたいことバリバリ強調するよな!
多くの人に人間と人間以外の生物に対する問題意識をもっと感じてほしいという願いからなのか、なにしろ分厚すぎるから、本来なら知ってほしいであろう「群衆」にはまるで広まらないであろう一冊だと思ってしまうよ。
パワーズさんのファンくらいしか手にとらないのじゃないかな?
前回「惑う星」の時も感じたけれど、何となく彼の世界観がぼくにはしっくりこないような。
とはいえ、「今」の地球は待ったなしの崖っぷちだから「気づき」のために読んでみて損はないし、豆知識が盛りだくさんで非常に楽しめる本ではあるのじゃないかな。
個人的にはバラバラの登場人物が集結して戦うって感じがスティーブン・キングの「ザ・スタンド」みたいだなと思ってしまった、いや、もちろんもっと科学的、社会的なんだけどね。
とにかくぼくは、「樹」を植えたくなったってもんだ。
「明日の世界のために人ができる唯一最善のことは何か?」