見出し画像

みんなが君の未来を心配しているのだ~ゆたぼんについて思うこと~

 ついにゆたぼんのユーチューブチャンネルの登録を解除してしまった。
 先に書いておくが、私はこの記事でゆたぼんを否定したいわけではない。かと言って肯定したいわけでもない。どちらにしても、私が持ち合わせている情報だけでは何の根拠も無いし、何が真実なのかもよく分からないからだ。ただ盲学校という生徒数が少ない特殊な環境でずっと学生時代を過ごしてきたため、高校生になるまで同級生が居なかった身としては、ゆたぼんに対していろいろと思うことがあるのだ。

 私がゆたぼんの存在を知ったのはヤフーニュースだったと思う。
 学校に行かないことを表明している中学生が居るとはすごいなあ。何手かっこ良いんだろうと思った。
 それまでユーチューバーにはあまり興味がなかったのだが、学校という場所も、先生の存在も大嫌いだった私は、少なからず彼に興味を持ち、思わずチャンネル登録をしてしまったのだ。

 まだ変声期前の子供らしい声で、教員による生徒へのセクハラや、ブラック校則などについてのニュースを取り上げながら、時には大人たちに怒りをぶちまけ、時には同世代の子供たちに「もっと自由になっていいんやで」と伝える動画を見て、自分の意見をしっかりと持った賢い子だなあと関心した。
 ヤフーニュースの記事によると、ゆたぼんは小学3年生の時に算数の宿題ができなかった(いややらなかったんだっけ?)ことを先生から強く叱責された出来事がきっかけで、学校に行かないことを決意したのだとか。
 私も学校や先生、さらには教育という物に反発心を抱くようになったのは、ゆたぼんと同じ小学3年生の頃だった。
 特に何があったってわけではないのだが、ある時突然思ったのだ。
 (学校の勉強って偉い大人たちのエゴじゃん)
 今ではそうはっきりと言語化できるが、当時はとつじょ覚えた切れそうなぐらいに尖り切った思いを言葉にできるほどの語彙力は備わっていなかった。
 だからなのか、「教室に居る同級生たちがみんなロボットみたいに見えた」というような彼の発言にはとても共感できる。
 学校には自由が無い。いつも先生たちの言う通りに行動しなければ厳しく罰せられる。
 さらに生徒が発する言葉にも制限がかけられている。少しでも先生たちの考えにそぐわないことを言えばすぐに否定される。そのことを恐れて子供たちはいつしか何も言えなくなってしまうのだ。
 そんな学校が私は息苦しくて本当に嫌だった。どうして毎日学校に行かなきゃならないんだろう。勉強しなきゃならないんだろう。大人たちに操られてばかりの毎日なんて嫌だ。早くこの環境から抜け出したいと私はいつも思っていた。でもその頃の私に逃げ出せるほどの勇気は無かった。

 もしも今私がユーチューブをよく見ているような小中学生だったら、確実にゆたぼんの信者になっていたと思う。
「学校になんか行かなくてもいいんやで」
 そんな彼の言葉にどれほどの勇気と希望をもらったことだろう。

 だがしかしである。
 クラウドファンディングをして日本一周をするようになった辺りからだろうか。ゆたぼんが壊れ始めていると感じるようになったのは。

 ここ最近の彼の言動を見聞きしていると、何手言うかこう、見ていられなくなったのだ。
 ヤフコメでもいろんな人が書いているように、連日メディアを騒がせている話題は、炎上を狙ってあえてやっているのではないかと不信感を覚える。
 さらにここ最近のユーチューブ動画やSNSでの彼の言動は、本当は自分の意思なんかではなくて、お金や話題作りのために親や周りの大人たちに利用されているのではないかと心配になってくる。もしそうだとしたら、今のゆたぼんが痛々しくてかわいそうに思う。

 と、ここまで書いてきて改めて思った。学校に行かずに自分がやりたいことをして、自由に生きることを選択したはずのゆたぼんだったが、じつは全く自由を与えてもらえていないのではないだろうか。大人たちに操られている現状は、ユーチューバーとして活動している今でも同じ、いやもしかしたら学校に行っている子たちよりもその抑圧は苦しいかもしれないと。
 もちろんこれは私の勝手な推測である。
 だがもしもそうなのだとしたらゆたぼん、そろそろ目を覚まして考え直した方がいい。
 そりゃあ確かに学校には自由が無くて息苦しいと思う。先生たちの言動は理不尽なことばかりだ。友達との関係だってめんどくさいことの連続だと思う。だけど今君を取り巻く大人たちの方が、もしかしたら先生たちよりももっと理不尽かもしれない。友達との関係よりももっと傷つくことが多いかもしれない。将来的にそう思う時が来るような気がする。

 そりゃあ確かに君が言うようにアンチはウンチかもしれない。そのような人たちは学校に行かずにすきなことをして自由に生きている君が羨ましくて嫉妬しているのも事実だと思う。
 私はべつにアンチではないが、それでも君のことがちょっとだけ羨ましいと思っている。まだ中学生なのに、学校に行かなくてもユーチューバーとして活動ができて、いろんな人たちから資金を出してもらって日本一周だってできるんだから(ちなみに私も詩集出版時にクラウドファンディングをしたが、結果が芳しくなくてきついだけだったのに、それを君は最後の最後にどんでん返しで目標金額を軽々と超えてしまったことも若干羨ましかったりもする)。
 同級生も居ないし、信用できる大人も居ない。あんなにも寂しい中学時代を過ごすぐらいなら、君のようにユーチューバーになって日本一周とかしてみたかった。自分がやりたいことをして、もっと自由に生きてみたかったよ。

 まあ私のことはどうでもいいのだ。
 でもだからと言ってゆたぼん、まじめに学校に行って勉強しろとは私は言わない。ただ中学生の今だからこそできる経験を、特に同世代の子たちと関わることは、できるうちにしておいた方が良いと思う。
 私はそれがしたくても、盲学校という環境が特殊だったのでできなかった。でも今の君ならその気にさえなればいまからでも充分できるはずだ。
 自分と同じ同世代の子たちと関わる経験が少ないままでは、大人になってからものすごく後悔すると思う。
 というのは私がそうだったからだ。

 高校まで同級生が居なかった私は、思春期という1番多感な時期をたった一人で過ごしてきた。悩みがあっても相談できるクラスメートはもちろん居なかったし、先生にも当然言えなかった。それどころか日々を過ごす上で、周りに手本となるような人が居ないので、物理的にも精神的にも何か起きた時はいつもどうしたらいいのか分からず、その都度自分一人でどうにか対処するしかなかった。大人たちは否定するばかりで、誰もその術を教えてくれなかったから。
 このことは大人になった今でも大きく影響していると思う。

 また同世代の人たちと関わった経験が乏しいと、社会に出た時に周りの人とどう話したらいいのか分からないのだ。
 それと友達と喧嘩をするといった経験が少ないので、自分の意見や感情をどういう場合には思いっきり伝えて、どういった時には控えた方が良いのか、その加減が分からなくていつもものすごく悩む。だから今でも他人とどう関わったらいいのか分からずにいる。
 でもそのようなことは大人になるとさらに誰も教えてくれなくなるのだ。やはり大人たちは理不尽だから。

 盲学校を出てから20代の間はそれなりに何とか仕事に出られていたが、そのようなことが積み重なった結果、過敏性腸症候群や適応障害になり、今でもまともに働きたくても働けずに半ひきこもり状態にある。
 だが幸いにも詩を書くという表現法を持っていたおかげで、それが今の生きる糧になっている。視覚障碍者に限らず、私のようなことで苦しむ人間をこれ以上増やしたくないという思いもあって、曲がりなりにも詩人としての活動をがんばっているつもりではいるのだが…。

 何が言いたいのか分からなくなってきたが、まあとにかくゆたぼん、私だけではない。みんなが君の未来を心配しているのだ。
 ユーチューブのチャンネル登録は解除してしまったけれど、今後のゆたぼんの同行には良くも悪くも期待している。本当の意味で不登校の子供たちに元気と勇気を与えられるような存在になってくれることを、売れない全盲のロック詩人の私は陰ながら願っている。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?