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数年間引きこもりだった私が、また白杖を持って一人で歩けるようになるとは思わなかった~1年半の自立訓練を終えて~

 今年の9月末で大阪の某訓練施設を退所して一人暮らしを始めてからもうすぐ2か月になろうとしている。
 今回は #想像していなかった未来  というお題コンテスト企画への参加も兼ねて、訓練施設での1年半をざっくりとではあるが振り返ってみたいと思う。

 地元浜松を離れて、大阪の某訓練施設に入所したのは昨年の3月。
 それまでの数年間は、適応障害と過敏性腸症候群での自宅療養という名の引きこもり生活をしていた。その間パワハラを受けて退職した作業所の関係者など、自分を知っている人に会ってしまうんじゃないかという不安と、コロナ禍のギスギスした環境も重なって、一人で外出することが怖くてできなくなっていた。

 実は自立訓練を受けたのは今回が初めてではなかった。知人から勧められ、2011年の11月から半年間、所沢の某国立のでっかい施設で訓練を受けたのが最初だった。
 そうそう書き忘れていたが、視覚障害者の場合の自立訓練というのは、白杖を使っての歩行や、音声パソコンの操作の仕方や調理など、視覚に障害があっても、自立した生活をおくれるようになるためのものである。
 しかしその時は退所後の進路が決まり切る前に訓練期間が終了してしまったので、結局地元に戻ることになった。
 その後の数年はいろいろな作業所を点々としていたのだが、どこも長くは続かず、そのうちに心身に不調をきたすようになり、2017年の春頃から本格的に引きこもるようになった。
 しかしそれが一昨年ぐらいから少しずつ体調が落ち着いてきたのもあって、これからのことを考えられるようになった時、関西に住む友人の勧めもあって、もう1度自立訓練を受けなおして、そのまま思い切って生活拠点を大阪に移して新たな新天地で社会復帰する方が精神的にも良いのではないかということで、昨年の3月から施設に入所したというわけだ。

 施設に入所して最初に苦労したのは朝7時に起きることだった。
 それまでは精神だけではなく生活もかなり荒れていたので、朝も9時10時に起きるような生活をしていた。そんな自分にとって、朝7時という時間は早朝に近い感覚だった。
 それでも毎朝7時15分頃に点呼に回ってくる職員さんに起してもらったりしているうちに、朝の起床にも少しずつ慣れていった。

 入所当初は私も親もどうせここでも周りに馴染めなくて3か月でやめるだろうと思っていた。
 しかし入所者同氏の良い意味で付かず離れずの距離感が保てる関係性が自分にはかなり合っていたようだ。これも1年半なんとか続けることができた理由の一つだと思う。
 施設を退所した今でも、連絡を取り合ったり食事に行ったりと、良い関係が続いている仲間も何人かいる。新たな人との繋がりにも恵まれた1年半だったと思う。

 それまで引きこもり状態だった自分が、外に出て他人と関われる自信がついたきっかけの一つに、銭湯に行くようになったことがある。
 施設では訓練の一環で、入浴は銭湯に行くことが推奨されていた。
 入所する前から銭湯に行くことがものすごく嫌だった。それまで家族やヘルパーさん以外の人間との関わりを避けていた生活をしてきたので、銭湯で見知らぬ他人と一緒になるのがものすごく憂鬱だったし、不安や恐怖を抱いていた。
 しかし担当のケースワーカーさんの「とりあえず行くだけ行ってみて、もしどうしても嫌やったら館内浴にすればいいから」という言葉に説得されて仕方なく行き始めてみたら、いつしか銭湯にドはまりしてしまっていた。
 銭湯のお湯が思いのほか気持ち良かったからというのももちろんある。だがそれよりも、周りのお客さんたちがいつも優しく話しかけてくれたり、空いているシャワーの場所や、入浴後に自分の洗面器が分からなくなった時などに親切に教えてくださることに、「あー、ここならだいじょうぶそうかもしれない」と、銭湯に行くことが、外に出て他人と関わることへの自信をつけさせてくれた第1歩になったと思う。

 もちろん生活のメインであるプログラム(訓練)でも様々な学びや自信を得ることができた。
 久しぶりに受けた白杖を使っての歩行訓練。この辺りの道は、交差点が真っすぐではないような感じだったりと、歩きにくいところが多く、それまで受けてきた歩行訓練の中で1番難しかったかもしれない。正直大阪に移住したいという気持ちがなければ途中で挫折していたと思う。移住という明確な目標があったからこそがんばれたのかもしれない。
 そのかいあって、コンビニ、郵便局、ドラックストア、スーパー、最寄り駅と、行けるところが増えていくのはやはり嬉しかった。また行きつけの喫茶店ができたのも嬉しかった。
 その他にもタイピングやワード、文字起しといったパソコン関係のプログラムでは、漢字変換の知識や文章校正などの基礎を学ぶことができたのは、noterとしての活動にも生かせそうなことも多かった。

 だがプログラム以上にこの1年半で1番刺激的だったのは、昨年の11月から始まった施設の大規模修繕工事だった。
 いろいろなところからの騒音が続いたり、自室が何度もお引越ししたり、上の階の生活介護事業所の重度障害者の人たちと同じ階で約2か月生活することになったりと、数カ月間様々な環境の変化があった。それにより再び適応障害が悪化するのではないかと不安だった。
 しかしケースワーカーさんの理解があったおかげで、長かった工事期間をどうにか乗り切ることができた。むしろこの修繕工事おかげで、それまで苦手とされてきた急な環境の変化に対して適応力がついたような気がする。

 そんなこんなで当初の予定通り9月末で訓練施設を退所した。10月からは訓練施設と同じ系列の生活介護事業所の機能を持った作業所に通いながら、アパートで一人暮らしをしている。
 今では買い物はもちろん、作業所にも毎日歩いて通っている。まだバスや電車などの公共交通機関を使っての外出は、ヘルパーさんなど誰かが一緒じゃないとできないけれど、それでもアパートの周りや最寄り駅周辺を、白杖を持って一人で歩けるようになっただけでも、大阪に出てくる前のことを思えばすごいことだと思う。
 数年間引きこもっていた私が、1年半の自立訓練を受けて、まさかここまでできるようになるとは思わなかった。改めて訓練施設に入所してよかったと思う。
 今後は作業所で賃金を得つつ、生活介護事業所のプログラムにも参加しながら、いろんな人と関われるようになることを目標に、少しずつ社会復帰できたらと考えている。私の自立訓練は第2段階に入ったところである。

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