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カルボナーラを探してあるく
営業先の飲食店の店主がちゃらかった。
若く見えるけど、年齢を聞くと私より10歳年上だという。
いい年してちゃらちゃらしてんな、という感想を飲み下して、相手のテンションに合わせて、自分の感情のチューニングを合わせる。
どうやら私は相手に合わせることが得意らしい、ということは営業の仕事を始めて気が付いた。思い返せば昔からそうだったかもしれない。
『相手が自分に望む姿』『相手が求める発言』を感じ取って、それに合わせて振舞うことができる。
ずっとやっているわけではない。ある種のスイッチがあって、それをいれると、私はうまく振舞える。だから、営業の仕事は私に向いている。
「まぁまずはご飯食べにきてよ~」
首を軽く振って長い前髪をよけながら店主がいう。「ぜひ~!」と笑顔で返し、オススメのメニューを聞く。
「そうだな、一番自信あるのはカルボナーラ、かな」
「カルボナーラ!大好きなんです!」
笑顔で答える。妙な間がうざいな、と思いながら。店主はまんざらでもなさそうに、絶対食べに来てよ、と念押しをする。
笑顔を張り付けながら店を後にする。くるりと店に背を向けた瞬間、唇の端から零れ落ちる本音。
「あー疲れた」
翌週、昼休みを使ってもう一度お店を訪れた。
行きますといった手前、ばっくれることはできない。予定通りカルボナーラをオーダー。
「ほんとに来てくれた!」
と喜ぶ店主は、厨房でカルボナーラを作る。
「お待たせしました」
カウンターにすわる私の前に出されたのは、ごく普通のカルボナーラ。クリーム色でうっすいベーコンが少し入っている。1.6mmくらいの普通のスパゲッティーニ。
一口たべる。
「美味し~!」
顔を輝かせる私に、店長は「でしょ?」と得意顔。
美味しい、美味しいと食べ進める。時折笑顔でうなずきながら。でも心で泣いていた。
だってあまりにも普通だったんだ。
それは本当に普通のカルボナーラで、素材にこだわったわけでもなければ、腕がいいわけでもない普通のカルボナーラ。いってしまえば家で食べられそうな一品。
それを、相手の顔色をみながら、「美味しい、美味しい」と食べる自分が悲しかった。
そのとき私の心を占めていたのは、夫のカルボナーラだ。
彼は機嫌がいいとき、パスタを作ってくれた。パスタは腕のいい料理人だった彼の、特に得意な料理だった。
「何がいい?」と聞かれると、私は決まって「カルボナーラ」と答えた。
普通の卵と、普通の牛乳と、普通のチーズで飛び切り美味しいカルボナーラを夫は作れた。
ベーコンは常備している自家製のもので。麺は少し太めのスパゲッティ。とろっとろのソースと、燻製の香りがしっかりするごろごろとしたベーコン、もちもちの麺。
あれが、私が今までの人生で食べる最もおいしいカルボナーラだった。
付き合い始めたころ、自分のためにそれを作ってくれるのが幸せで仕方なかった。一緒に暮らしていた最後の時期でも、機嫌よく私の好物を作ってくれたとき、そしてそれを頬張る瞬間だけは、大丈夫なんじゃないかとおもえた。こんなに美味しい料理を、こんなに優しい味を作れる人なんだから、きっと大丈夫、と。結局それは幻想だったんだけど。だけど、彼のカルボナーラを超えるカルボナーラに、私は出会っていない。
目の前のカルボナーラを口に運ぶ。普通だな、と思いながら。「めっちゃ美味しいです!」といいながら。
めちゃくちゃ美味しいカルボナーラが食べたい、と思う。
人生で最高っていうカルボナーラに出会いたい。最後の一口を食べることをためらってしまうような、空になったお皿のソースを一生懸命かき集めてしまうようなカルボナーラに。
それまでは、中途半端なカルボナーラに「美味しい」なんて言いたくないんだ。だって私の美味しいには、夫のカルボナーラが心の傷とともに鎮座している。
これからはひとりでカルボナーラを食べよう、と心に決めた。
美味しいカルボナーラを探して人生を歩こう。食べて、食べて、何度がっかりしても食べて、そしてついに出会えたら、そのときは、一緒に「美味しいね」と笑える人と、それを食べたい。