マガジンのカバー画像

オフィーリアの面影

20
美術・音楽・映画その他、感想評論ごった煮
運営しているクリエイター

#エッセイ

闇系彼氏に首ったけ-ちょっとした悲劇と美術試論-

恋は突然に20XX年1月8日、AM5:25。 画面が完全にブラックアウトしたノートパソコンの前で、私の頭は真っ白になっていた。 神様。 確かに私は、この『彼氏』様と、2年間別れたいと言い続けてきました。 歴史に名を残すメンヘラで、サイコパスで、クッッッッッソきまじめで、超病み系すぎる『彼氏』様と、別れたいと願ってきましたよ、ええ。ええ。そりゃあもうツイッターのタイムラインを毎日「もうむり」「つらい」「逃げたい」といったワードの連続で荒らしまわるくらい、切望してきましたとも

私を真夜中から連れ出すヨタカ

BOOTLEGのカバージャケットがエドワード・ホッパーみたいだと人に言われて、見てみたら確かにホッパーのようだと思い、ちょうどそのとき書いていたこの曲に米津は「Nighthawks」と名づけたらしい。シカゴ美術館に所蔵されているNighthawks(夜更かしする人々)はホッパーの最も有名な作品である。どこに建っているかも明らかではない夜のレストランPHILLIESで、一組の男女、一人の男、一人の店員が揃っている。 私は最初、米津がホッパーの作品からインスパイアされてNigh

青い日

ヨルシカのストリーミングライブ「前世」を観た。よかった。よかった、という安直な感想しか思いつかないくらい視聴後はわりと放心していて、それでも放心の中、感じたことを手繰り寄せた。「水、海、小宇宙、原初、全てが生まれる場所、だけど水槽は擬似的な空間でしかなく生まれるものなく私たちはどこへも行けない、それでも君といたい、眠るように、春を待って。パフォーミングアーツ、インスタレーション的な、ライブとは思えない芸銃的な作品」。アーカイブ配信があるのはわかっていたけれども、最初の感動はそ

菅田将暉と米津玄師の「まちがいさがし」のまちがいさがし

私は菅田将暉の歌う「まちがいさがし」が好きだ。どれくらいかというと、いっとき(おそらく2ヶ月ほどの間)、朝はこの曲しか聴かず、数日おきに行く一人カラオケで3時間ぶっ通し「まちがいさがし」しか歌っていなかったくらいである。 米津玄師「STRAY SHEEP」には、楽曲提供者である米津自身がセルフカバーしている「まちがいさがし」が収録されている。 インパクトの強いリード曲「カムパネルラ」から始まって、詞とリズムで捉えどころなくフラフラと舞い遊ぶ「Flamingo」、ドラマ主題

浜崎あゆみと私の孤独

「あゆが好きだ」と公言することは、「私は孤独だ」と告白することによく似ていて、私は、親しい友人にもほとんど話したことがない。 ▽▲▽ 2020年7月1日に放送された日本テレビ「今夜くらべてみました」で、社会学者の古市憲寿氏が「浜崎あゆみ」について熱弁しているのを見た。あゆが孤独に築き上げた一時代、その真っ只中で、彼女の音楽に救われて生きていた少女の一人だった私にとっては、氏の解釈には共感しかなかった。 「ayuの曲って、すごく暗くて孤独で、それがやっぱり、当時ウケたなっ

だから私は「馬と鹿」を聴く

これが愛じゃなければなんと呼ぶのか 僕は知らなかった 米津玄師『馬と鹿』は、夢をあきらめられない人の歌だ。 成功していない、勝利していない、どこにも辿り着いていない、だけど夢を捨てられずに、夢のために生きている人の歌だ。 夢追う人の歩みはけっして明るくない。前途洋々なんかじゃない。努力がかならず報われるわけじゃない。夢は、だいたいいつも、痛いことばっかりだ。叶わないことのほうがきっと多い。花はひらくか。ひらかないかもしれない。それでも「僕」は、あきらめきれずに追いかけてい

私とモネと、溺れる睡蓮

美術の勉強をしていた、と話すと、9割9分くらいの確率で「どんな絵を描くんですか」と訊かれる。私は、絵を描くのではないんですよ、美術史といって歴史の中で作品を解釈する研究をしていたんです、描くほうはさっぱりわかりません、と説明する。 そこからの会話はだいたい二分化される。作品評価に関心を持つ人と、私個人の好みやおすすめを尋ねる人である。前者は「どういう作品に高値がつくのか」というお金の話をしてくるタイプで、これに関してはむしろ私が教えてほしい。アート市場の本はどうも眠くなって

「障害者アート」、いつまでそう呼ぶ?

「障害者アートという言い方ってどうにかならないのかな」  職場で催される福祉イベントを眺めながら、同僚とそういう話になる。私は美術史を専門に学んできた人間としてそう思うし、同僚は一障害児の親として腑に落ちないものを抱えている。 感性と表現について、「健常」と「障害」の区分けは本当に必要なのか。 障がい福祉の現場において「障害者アート」と敢えて名乗ることで、障害への理解を促そうとしていることは理解している。けれども、そのように「障害者アート」という枠組みを自ら設けつづけるこ

オルソン・ハウスの物語

 毎日、形にならない言葉を山ほど積み上げている。文章とも呼べない代物だ。後日下書きを読み返して「なんの話だっけ」と考える。  悩みすぎて行き詰まったので、新潟市美術館で開催していた「アンドリュー・ワイエス展」へ行ってきた。  会期末が近づくにつれ、行きたいとは思いつつ、腰が上がらなかったのだけど、なにも考えたくないと休日の午前中をだらだらと過ごしたあと、シャワーを浴びているそのときに「いや、いま行こう」とひらめいた。  いまはもう遠い、クリスティーナとアルヴァロの生活を描

「少女漫画は顔だけ」の真髄

「少女漫画は顔だけ」とよく言われる。 確かに、俗に言う少年漫画に比べると、緻密な背景、身体描写や、怒濤の台詞回しはないし、やたらと瞳のアップが多い。雰囲気をさまざまなトーンで表現するのは定石だろう。そして、物語の展開よりは登場人物の関係性に重きが置かれるので、ナレーションのような第三者視点から見る語りより、内面の独白表現がきわめて大事なものになっている。 で、冒頭の言説は主に否定的なニュアンスで用いられることが多いけど、私からすると「え? それがいいんじゃん?? だめなの

あなたはどう鑑賞する?(導線編)

最近の美術館は、自由導線の傾向が高まってきているのかな? と思ったのでそのことの覚え書き。 PIXARのひみつ展で体験したスーパー自由導線新潟県立近代美術館で開催中の「PIXARのひみつ展 いのちを生みだすサイエンス」(~11/24)へ行ってきた。ざっくり言うと、PIXARのアニメーションがどうやってできあがっているのか、を、工程ごとにブースを作って体験型で見せていく展覧会だった。とても楽しかった。 最初に「PIXARとPIXARのアニメーションとは?」というプレゼンテー