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記事一覧

陽の結語

 おおくの言語を話すが
 伝わる言葉はひとつもない
 空き家になった隣家の窓に
 差し込む冬の陽が傾いていく

報復の高度

 ある地層めがけて落下した
 骨格と蛋白質の粘土は生涯を
 微笑みながら送り砕けた
 露わになった気管支にくすぶる
 火種が夜に蒔かれると
 夢の芽の群生する野辺は燃えていく
 不眠を抱えた頭が沼に沈むまで
 執拗に高度を測りながら

 

 輪郭を切り詰めていく
 野菜の代わりに塩を舐める
 同じ夜に起きて下を向く
 欲しいものはなくなり
 すべての価値と齟齬がある
 わたしは一本の松で
 曇りになると海岸で病人を見送る

ある欺瞞

 野辺にある死体を拾いに行く
 寝息を立てる新鮮なものを選んで
 認めてもらいたいから認める
 欺瞞に気がつくこともなく
 給料日は膝が痛んだ
 行方不明だった廃品回収の男が
 巣をつくっている通りは避け
 真夜中に穴を掘る ひたむきに
 何かの間違いを正すように

夢の篝火

 朝起きるとはじまる労働は
 情けない数字に変換される
 くたびれたからだをひきずる夜
 わたしはわたしの輪郭を耐えられない
 
 おなじまいにちをくりかえしているとわからなくなる。陽だまりが何かの模様をかたどり、曇り空から小魚が降ること。誰も住んでいないはずの向かいの家の窓に灯りが点り、電車の外を流れるビルの上にはおおきなくろいかたまりが浮かんでいる。あれが空亡という妖怪で、江戸時代の百鬼夜行絵

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遠い扉

 夜のプールサイド
 非常口の緑の光
 膨張した水面の現実 
 うずくまる背に隆起した骨のまるみ
 きつくとじられた瞼の震え
 塩素のにおいの染みた鳥肌

 冗談のように安い給料
 疲労に浮腫んだいくつかの脚
 目の裏を走りつづける快速急行
 結露した窓を覗く男
 潰された空き缶の長い影
 
 空の白む気配
 陽焼けしたレースのふくらみ
 怒りの残滓をとどめる寝顔
 遠い扉の解錠音
 すべてを覚え

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傷口とウィンカー

 

 あきらめたもののやさしさは
 なおらない傷口を土にして育つ
 日が暮れるまで並んで歩いたあと
 交わされた二、三の言葉をおもいだした
 ひとりになった電車のなかで
 左手にしみたすべらかな体液の
 さびしいにおいに気がつき あなたの
 くりかえし耐えてきた時間を知る
 おずおずと差しだされたウィンカーが
 光のすじを残して夕闇を遠ざかっていく

小石

 

 ふつうのひとみたいな顔をして
 列に並ぶとわからなくなる
 建前に埋もれた頭蓋骨の凹凸
 香水に殴られるまえのやわらかな息
 楽器のような肌色におおわれた
 わたしが溶けてなくなると
 無人のロータリーにひとつ
 小石が置かれる

落下点

 ぬるい夕陽に揺り起こされると
 緩慢な静止のさなかにある
 首すじにはりついた髪の束が
 地上への墜落をちからなくさそう一時
 わたしはうっとりとひとりきりでいられる
 浴室から流れる乳白色の滴に耳をよせると
 とうに絶えた余白をおもいだしてこわばる
 口元がある語句をひそかにかたどり
 窓の向こうから応えた唄声が
 遅すぎる訴えをしりぞける迷いなさで
 落下点をみちびいていく

子の記憶

 
 空き地は日だまりをつくり
 すべてはくまなく記録され
 わたしは声を聴いていた
 下草におおわれた底から笑いかける
 かつて子どもだったもの
 子どもにもなれなかったもの
 交合するざわめきのただなかにあって
 土は青く照り返っている
 過ぎていくものの誠実さをひととき
 あきらかにして

失語

 よく通過すればわたしは透明な筒であり
 からだの底から言葉がすくえない
 それはたしかに幸福なことで
 陽に満ちた小路に立ち尽くし
 こもれびをあおむいて涙を流すひと
 そのありようをいまとなっては信じるほかにない
 葉影がいっせいに飛び込んでくると
 帰るべきところも失せていくので
 土のやわらかさに身をよせて
 じっと目をみひらいている

 行き交うものの色彩
 めまぐるしい変化のあわれな豊

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化身

 ひくいこえが打ち明けた
 朝の地下鉄に敷き詰められたタイルの均一さ
 日々払うべき金額のまやかしのような激しさ
 世界を追い詰めるものの副作用を
 わたしは半身後ろに退きながら
 黙って耳をかたむけていた
 誰もいない夜の平原に
 一人用遊具が軋んでいる
 錆びたバネがにぶくひかり
 わたしたちの目は
 光の一点へ惹きつけられていく
 歪んだ背骨の隙間から
 白い煙を羽のように昇らせて

再会

 
 透明な並木道の先にあなたは待っている
 わたしはひとりで歩いたすこしの距離と
 永いかなしみの時をおもいだし
 そっと枯葉をふみしめる
 それをすべて知っていて
 あなたは手を振る
 冬の陽に照らされて
 ふっくらと笑って

懐かしい影

 向かいの席で詩集をよんでいたひとが
 ふと顔をあげ
 かすかにほほえんでからまたうつむく
 次の駅でいなくなってからも
 ほほえみは残る
 その影はわたしのうちに残り
 わたしは影でしかないのかもしれない