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休職明け。その後。
約1年の休職を経て、時短ながらも仕事に戻り、1ヶ月半経った。
わかってはいたけれど、皆バリバリ仕事していて、いろんなことがたくさん進んでいて、すごく取り残された感覚を覚える。
自分がかつてやっていたこと、これからもやっていきたいと思っていたことが、ぜんぶ他の人が適任に思えた。
仕事以外の部分でも、周りではいろいろなことが進んでいく。
個人的な目標も、今の状態では厳しいと指摘される。
「自分がやりたいようにやればいい」という言葉をかけてくれた人もいて、その言葉には温かさを感じた。けれど、今は悔しさをバネにできる余力はない。
焦りや悲しさ、劣等感や嫉妬心、諦めでごちゃ混ぜになる。
ぶつけたい怒りや湧いてくる悲しみが止まりますように。
わかってほしいと思ってしまう気持ちが抑まりますように。
日々日々、夜な夜な、ずっと祈り続けた。
そしていま。
なかなかうまくいかない分、すべてのことの尊さや奇跡の重みを感じられるようになった気がする。
毎日の「いま、ここ」の幸せを見つけようと、地面に足がついた気がする。裸足で自然に立った瞬間のような安心感にも似ていて、地に足がついてみると、「あぁ、今まで自分は宙ぶらりんだったなぁ」と気づく。
いま何かを逃しても、別のluckが来るのだろうと、そんな気がする。
この1か月半は、他の人との比較が染み付いている自分と向き合う時間だった。
そんな自分が抱えていたものを、いったん全部放り投げてみることにする。
痛みもあったけれど、同じくらい、安心感や楽しさを感じる機会もあった。
きっとまた、苦しい気持ちになるし、ぞわぞわするだろう。
でも、トゲトゲだったりドロドロだったりする感情を、自分を痛めつけないことばに変えていく。
痛みを無視せず、それをやさしく包み込める言葉がかけられますように。
辛い感情を感じないようにして、自分の機嫌をとることが大人になるということではないはず。
自分の痛みを感じないようにするのではなく、感じて受け入れられるようになれればと、今日も祈る。
(写真:2023年8月初旬、朝の青木湖にて。)