想像していなかった未来 フローリストになった私
私は今現在フローリストとして働いている。
でも、これは私自身が望んだ形ではなく、自然とそうなった、もしくは目に見えぬ何かに突き動かされた結果なのかも知れない。
私は花が嫌いです。
若い頃の私はそう思ってた。
なんで嫌いなのか?それは綺麗と思えなかったから。
両親が花屋を営んでおり、私は小さい頃から花になれ親しんできた。
当たり前の様に花があり、それが普通だった。
かすみそうやガーベラなどを使ったアレンジ。
バラや色とりどりのカーネーション。
どれも普通でどこの花屋にもそれはある。
そんな 花 物のどこかいいのか?
疑問であり花屋と言う生業をも疑った。
それと同時に花に未来が見えなかった。
それは花屋として働いている両親を見てきたからなのかも知れない。
両親は花は好きだと思う。
しかし、商売としての才能があるかと言えばそうとも言えない。
両親の苦労している姿を嫌というほど見てきた私は花に嫌悪感すら覚えてしまっていた。
それじゃ私は何になろう?
その時は音楽の仕事がしたいと思っていた私はバンドを組んでみたり、海が好きだった為ダイビングのインストラクターの資格を取ろうとしていた。
仕事で大変な両親を横目に好きな事ばかりをしていた。
ある時、お店に花の先生が来られていた。
その先生は時々お店に来られてはレッスンで使う花を選ばれていた。
私はどちらかというとその先生は苦手であった。
私が花屋になる事は当たり前でありその道を選ばないであろう私に対して不満そうな異議を唱える事もあった。
それに対してその先生の生ける花には少し好意を持っていた。
明らかに周りの花の先生と比べると素人ながらに花の色気が違った。
色気というのは花の生命力であり花の奥ゆかしさである。
私を見て!という花ではなくはんなりしたそれでいて謙虚な、無口な花である。
着物を着た日本女性の様なというのがそれにあたるかもしれない。
その花を見た時に少し私の心が動いた。
「綺麗だな」
不思議な感情だった。
今まで花というのは物であり感情もなければ生命力もない。花が枯れば捨てるだけ。
私は以前に一度だけ花をもらった事がある。
その時の感想はこの人はなんで花屋の私に花を贈るのだろう?
特に感動もしなかった。
今考えればなんて未熟で幼稚な感情だったのだろうか。
子供でさえ野の花を摘みお母さんにプレゼントする。
それは大好きだと心を伝えたいから。
その心が自分には欠けている。
そんな人は花屋になる資格もない。
ある時、その先生から一枚の写真を見せてもらった。
そこに写っていたのはある海外のアーティストの作ったブライダルブーケだった。
それはいわゆる一般的なブーケとは違い男性的で黒のドレスを着たスーパーモデルでないと似合わなそうな雰囲気を出していた。
なんだろう、これは。
美しい
カミナリに打たれたようなとよく言うがまさにそれにあたる感覚だった。
こんな花を作ってみたい。この人に学んでみたい。
花というのはそれだけで完成された自然の美がある。
対してアレンジメントや花束というのは人の手が加わる為、人工的な美しさである。
そのデザイナーの作る花には人工的な中に人の手の加わってないような美しさがある。
それはアレンジメントや花束を作る上で最も難しく自然の美しさを分かっていなければ到底つくる事ができない造形である。
それゆえにその花に惹かれたのかもしれない。
しかしその方は世界的に有名なデザイナーであり私なんかが手の届くような人ではなかった。
私は無謀にもその方の所に行こうと決めていた。
ただ勝手にそう思い込んでいただけである。
運命とはわからないもので不思議な力に引っ張られるように周りの方々に押しあげてもらいその有名なデザイナーさんに会う機会を作ってもらった。
あんなに花が嫌いだった私が勉強したい旨を情熱だけで伝えた。
初めは英語もできない私を受け入れられないという事だったが段々状況は良くなり、次第に受け入れても良いという話になってきた。
話はトントン拍子に進み勉強の為にドイツへ来ても良いと言ってくださった。
私は信じられなかった。
ドイツでの日々というのは書き始めると膨大な量になるので割愛するが
花を習うというのは基本的にはなくその場に自分を置いた時に自分自身がどこに着眼点を置いているかだった。
日々の業務をこなしてるだけだとただ仕事をしてるだけ。
その中に自分自身がどこにフォーカスしているかである。
それによって見え方が変わるし、どうあるべきかも変わってくる。
そこで自分に与えられた時間には限りがありこの一瞬一瞬を逃さぬ様に神経を尖らせた。
沢山の事を師から学び仲間に助けられた。
帰国してから本格的にフローリストとしてのスタートを切り日本で花屋をやる為に色々学び直した
経営や人を育てる事、お客様への対応。
まだまだ未熟な私は沢山の事をお店をしながらお客様に育ててもらっている。
花が嫌いだった私が今では花に魅了され花を好きになっている。
これは私自身が想像していなかった未来であり想像できなかった未来である。
花というのは四季があり、生産者の努力により新しい花が生み出され続けている。
季節の変化を感じながら花の魅力を語る職業はこれ以上ない至福の職業なのかもしれない。
最後に私を変えてくださった先生方に感謝を込めて。