雲の上の谷川俊太郎
結婚して不満だったことがある。
私は若くして嫁いだこともあり、《結婚したらこうありたい》という、今考えれば気恥ずかしくなるような、みずみずしい希望を抱いていた。
両親が不仲だったので、自分がそういった希望を持つことはないだろうと思っていたが、いざ結婚が決まると、むくむくと夏の雲のようにそれは湧き出した。
結婚指環を作ったときの、はにかむような喜びを思い出すと、今でも照れくさい。指環の内側に入籍日と一緒に、二人が出会った場所のシンボルマークを刻印しようと決めたのは私で、夫はその希望に寄り添ってくれた。
出来上がった指環を眺めながら、私たち夫婦の左手薬指には一生涯、この指環が輝くものと思っていた。私はよほどのことがない限り、指環を外すまいと思っていたのだが、残念なことに夫は違っていた。
「えぇ! 人前で結婚指環をつけるなんて、そんなの恥ずかしいよ」
夫は心外だとでも言いたげに、声を張ったのである。拒絶の言葉は続く。
「俺の身内には結婚指環をしている人なんか一人もいないよ。そんなものをつけて人前に出たら笑われるよ。恥ずかしいよ。やだよ」
むくむく湧いていた私の希望はぺちゃんこになった。夏の雲が雨雲になり、夫婦の間に雨を降らせること多数。指環をつけるだのつけないだのという、他愛もない諍いは、思い出したように繰り返されたが、本人が嫌がるものを、無理矢理つけさせるわけにもいかない。
結局、私は不満を抱えつつも、夫に指環をつけてもらうことを断念した。そんなことが不満だったなんて、今にして思えば、私は本当に幸せ者なのだと思う。
私がそこまで結婚指輪にこだわったのには、ある詩との出会いがあったからだ。
谷川俊太郎の「祝婚断章」という作品の中に「指環」という小さな題が添えられた詩がある。
高校時代、私は随分とこの詩に心酔した。
結婚指環というものがどんな意図をもって身に着けるものかを、丸ごと理解したような気がして感動し、私は思わず鉛筆で線を引いた。
その日を境に、私の中で結婚指環が特別なものになった。
夫婦で離れた場所にいたとしても、薬指の指環が、お互いの代わりとなって傍にいる。
小さくて自由な枷を自ら望んではめるさまは、本当に、無実の罪人さながらだ。
私はこの詩のように、無実の罪人にはなってみたかったのだ。
夫にとっては迷惑だったかもしれないが、たった四行の言葉が胸に刺さり、私の若い心を陶酔へと走らせたのである。
この言葉を生んだ谷川俊太郎は、私にとって当然、雲の上のひとだ。
結婚する少し前のこと。
けやきが連なる大通りの歩道を歩いていると、私の前を、若い女性と小柄なおじいさんが歩いていた。女性に気遣われながら、おじいさんは道の真ん中を雲の上を渡るように、ふわんふわんと歩いている。
私の行く手を塞ぐ形になっていたのだが、その飄々とした歩みは、どこか仙人みたいで、愛嬌のようなものがあった。
女性が私に視線を向ける。
「ほら、先生、後ろの方の邪魔になってますよ」
と、女性はやさしく道の端へと《先生》をいざなう。
「あぁ」
少ししわがれた声が聞こえてきた。やはり仙人みたいだ。私の存在に、今やっと気づいたかのように《先生》と呼ばれたその人は道を開ける。
邪魔だなんて思っていませんよ。
というように私は微笑み、会釈をしてすれ違う。その次の瞬間、《先生》の横顔を見て息を呑んだ。
たっ! 谷川俊太郎!!!!!
動悸と動揺が同時発生した。
目の前の谷川俊太郎は、ほんものに違いないのに、頭の中の声が、
嘘! 嘘! 嘘!
と、真実を打ち消すように連呼する。その声は目の前の光景を搔き乱し、あまりのことに、頭がくらくらした。
こんな機会は滅多にない。
くるりと振り返って、声を掛けるべきかと思ったが、そもそも雲の上にいると思っているひとに、咄嗟に口がきけるものではない。
私は雲の上のひとの存在を、背中でひしひしと感じながら、泣く泣く歩を先へと進めた。
せっかくの機会を無駄にした気がして落ち込む。
雲の上のひとが、また下界に降りてきてくれることがあれば、そのときこそは声を掛けようと決心したわけなのだが、その機会は割と早く訪れた。
定かな記憶ではないが、「山藤章二のラクゴニメ」を映画館で観たときだったと思う。
映画館のロビーの椅子に腰かける谷川先生をお見かけした。
先生の周りにはすでに数人の人が列を作っており、先生もはにかみながら、ファンの思いにこたえている。サインを求める人もいた。
あのとき決心したのだから、迷わず列の最後尾に並べばいい。
だが、実際目の前に雲の上のひとがいるとなると、そう簡単にはいかない。
「詩集を持ってます!」
と言うのも恩着せがましいし、
「サインください!」
と言いたくとも、紙もなければペンもない。
心が萎えるとは、こういうことをいうのだろう。私はファンに囲まれた谷川先生を、ただ遠くから見つめるしかなかった。
2024年11月19日の今日、谷川俊太郎さんの訃報を聞いた。
亡くなったのは2024年11月13日。享年92歳。
ロビーで見かけたあの日から、すでに20年以上が経っている。ご高齢であることも重々承知していた。それでも、私の心は暴れ、おもちゃを買ってもらえない子どものようになった。
やだやだやだ。本当にやだ。本当にやだ!
駄々をこねる。
92歳の谷川先生に、「まだいかないで」とわがままをいう中年女は見苦しいこと、この上ない。
もうすでに雲の上にいるのだから、雲より上にのぼっていくことはないと、私は勝手に、思い込んでいたのかもしれない。
子ども返りしたせいか、小学一年生のとき、クラスで「ことばあそびうた」が大流行したことを思い出した。
私が今でもよく口ずさむ「うた」はこれだ。
昨今の、青菜の高騰。
無人の野菜の販売所で青菜を見かけると、喜び勇んでつい買い込んでしまう。夫婦ふたり暮らしなのに三束買うこともある。
帰宅して、買い物袋から「なっぱ」を取り出すとき、私は
「かっぱなっぱいっぱかった かってきってくった!」
河童でもないくせに、上機嫌で口ずさむ。小さい頃から親しんでいた言葉のリズム。口にする度、楽しい。
でも今は、その楽しさがどこか切ない。
雲の上のひとは本当に、雲の上にいってしまった。
「祝婚断章」は、こちらの文庫に収められています。