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時刻表は魔法の箱
紀行作家の宮脇俊三さんは著書「時刻表2万キロ」の冒頭、こう記している。
鉄道の「時刻表」にも愛読者がいる。
時刻表ほんらいの用途からすれば、愛読の対象となるべき書物ではないが、とにかくいる。しかも、その数は少なくないという。私もそのひとりである。
真底からの愛読者となると、旅行などいっさいしない。生まれ故郷から一歩も外に出なかったカントのような趣があるから、もっとも純粋な読者であろう。それにくらべると私など、時刻表を眺めていると汽車に乗りたくなってしまう質だから、純度は低い。しかし、毎月、新しい時刻表が発売になると、その晩は何時間も読み耽るから、愛読者にはちがいない。
そういうわけで、ときどき「時刻表に乗る」ための旅行に出かけていた。
毎年この時期になると、わたしは書店へ向かう。目的は一つ、新しい時刻表だ。毎月発行されているものの、3月号は特別。JR各社のダイヤ改正が掲載され、わたしの場合、この1冊があれば1年を通してだいたいの用途に対応できる。
それでも、周りの人たちからはよく「なんで時刻表なんて買うの?スマホでいいじゃん」と言われる。確かにその通り。だが、重たい一冊を手に取った瞬間の高揚感は、小さな画面では味わえない。
単なる時間の羅列ではない、無数の物語が眠る本といえば、言い過ぎだろうか。一ページ一ページに物語が潜んでいるように思うのだ。
たとえば、札幌6:52発のオホーツク1号は、終着の網走には12:17に着く(※)。この間の5時間25分には、どんな景色が流れ、どんな人々が乗り降りするのか。時刻表は黙っていてそれを教えてはくれないが、想像の余白を残してくれる。
実家の本棚には古い時刻表が今も並んでいる。すでに実際の旅には使えない過去の遺物。子どものわたしは、そのページをめくりながら、行ったこともない街の名前をつぶやいていた。
音威子府(おといねっぷ)、越中八尾(えっちゅうやつお)、日生(ひなせ)、夜明(よあけ)…。駅名の響きだけで、見たこともない景色が目の前に広がるような気がした。
旅の計画を立てているときが、実は一番楽しいという経験は誰にでもあるだろう。特急の指定席や航空券を予約し、ホテルを比べ、現地でのルートを考える。その過程で、まだ見ぬ景色や出会いを何度も想像する。実際に行ってしまえば、あっという間に思い出となるのに、計画している間は無限の可能性に満ちている。
時刻表は「まだ見ぬ旅」をいつでも取り出せる魔法の箱なのだ。疲れた金曜の夜、「このページの列車に乗れていたら、今頃は噴火湾沿いを走っているところだな」と思うだけで、心は少しだけ軽くなる。
宮脇さんが「時刻表2万キロ」で実践したように、時刻表に導かれるままに日本中を巡る旅。そのような旅への憧れを、わたしもずっと抱いている。
各駅停車で一駅一駅丁寧に進む旅もあれば、特急で景色を流して眺める旅もある。冬場なら日の出前に出発する列車、日付を越えて未明に到着する列車。それぞれのダイヤが、異なる旅の形を教えてくれる。
今年はどこかへ出かけられるだろうか。それとも時刻表の中の旅だけで終わるだろうか。どちらにせよ、大切なのは旅への思いを絶やさないことなのかもしれない。宮脇さんのように「時刻表に乗る」気持ちを持ち続けることで、日常に小さな冒険の種をまいていきたい。
※2025/03/15ダイヤ改正後の時刻
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