卵雑炊の味
酔いが覚めやらぬ12月のある朝。楽しかった忘年会の余韻とともに、何か温かいものが欲しくなりました。冷蔵庫を開けると、丸い卵がわたしを見つめているように見える。卵を使ってなにか作ろうか。気が付くと、小学生のころを思い出していました。
両親は休日になると、よく外出しました。「パチンコに行く」という二人を、いつも複雑な気持ちで見送ったものです。夜が更けても帰らないとき、わたしは決まって卵雑炊を作りました。ガス釜に残った冷やご飯に、社宅の庭に自生していたミツバ、冷蔵庫の余りものを入れて。最後に卵を落とし、コンソメとしょうゆで味を整えます。プラスチックのレンゲですくい上げる雑炊は、不安を包み込んでくれるようで、食べ終わるころには、少しだけ心が落ち着きました。
小学5年の見学旅行のこと。バスでの移動中、好きな食べ物を尋ねるゲームがあり、わたしは迷った末、「卵雑炊」と答えました。クラスメートは笑い、先生までもが「渋いねぇ」。ハンバーグやカレーライスを挙げる友達の中で、なぜ地味な答えを選んだのか。本当のことは言えずに、笑って誤魔化したように思います。あの味は、さびしさの味だったのだと。いま思えば、先生は何かを察していたのかもしれません。
時は流れ、いま、わたしの部屋には自動調理鍋のホットクックがあります。文明の利器で作る雑炊は、昔とは少し違う味。チーズを加えると、すっかりリゾットめいた仕上がりになってしまいました。それでも、具材を切る包丁の音、湯気の立ち上る匂い、最後に落とす卵が白く広がる様子は変わりません。
自由気ままなひとり暮らし。一度は確かな幸せを手にしたはずなのに、手当てをしなければ減ってしまう。そのことに気付かぬまま、年の瀬まで来てしまいました。不意にくるさびしさはどうしようもなく、遠くを見つめたり、ため息が出てしまいます。
夕暮れどきに、ふと覚える寂寥感。そんなときに作る卵雑炊は、いつだってわたしをはげましてくれます。小学生だったわたしも、いまのわたしも、この味とともにある。鍋底に残った最後の一さじをすくい上げながら思うのです。明日もきっと、大丈夫。