【読書】現代アートを続けていたら、いつのまにかマタギの嫁になっていた
もう、なんて面白そうなタイトルでしょうか。
『現代アートを続けていたら、いつのまにかマタギの嫁になっていた』
そもそも「マタギと飲み会をやるから行かないか」なんて誘いはレアでしょう。マタギなんて本当にいるの?と半信半疑の思いもあって参加した飲み会の時、著者の大滝ジュンコさんはテニスのし過ぎで両足を捻挫していたそうな(わかります~←昔テニスをやっていた靭帯がゆるいヒト)。
飲み会の前に「4歳児でも登れる山」に登ることになり、その足では辛かったと思うのですが、見かねた地元の人が道から外れて山の若木を切り、ササッと杖を作ってくれたのだとか。キュン💕(とは書いていなかったですが)
ここを読んだ時、たかのてるこさんの南国の話を思い出しました。地元の若者がヤシの木にするすると登って実を採ってきて、実の上部を手際よく落として「はい、どうぞ」と笑顔で差し出した、という話を。これは惚れたとおっしゃっていましたね。
どの時点でマタギの嫁になったのかは、読んでのお楽しみとしましょう。
話をもどすと、そのマタギの集落は新潟県最北部の山形県との境にある、村上市山熊田。山と熊と田、ですか。巻頭のカラー写真にも釘付けです。
山に暮らし、熊を狩り、田で稲を作る人たち。山の斜面の焼き畑にはカブを育てて漬物にしたり、ワラビやゼンマイ、自然薯やキノコを採ったり。熊は狩りますが「熊を授かる」と言うのですね。
熊は、狩りに参加した男たちで均等に分けます。狩猟民族だぁと思うと同時に、稲作が始まって貯蔵できるようになったことから、貧富の差が生まれたことも思い出します。
夏には「私も鮎かきしたい」と本気で駄々をこねた、というのが可愛いです。山も川も一人で行っちゃダメ、というのもよくわかりますけれど。
キノコ採りもそう。舞茸を見つけて舞いたくなる気分は一度味わってみたいものです。
厳しい山の暮らしや風習を面白がって、途絶えたら嫌だと移住して嫁入りまでしてしまう──しかもマタギの頭領のお家だとやることも多そうです。ジュンコさんのバイタリティと、文化や爺婆リスペクトに乾杯。
産業の一つが羽越しな布。シナノキなどの樹皮を剥いで(しな剥ぎ)細く裂いて、撚って糸にして織るのですが、まず原料を山へ採りに行きます。樹皮を剥ぐのも、表皮を取り除くのも一苦労。それを糸にするのもまた……織る前にもいくつも工程があります。
織り手が減ってきた昨今、これを廃れさせてはいけないと奮起したジュンコさんは現代アートのアーティスト、町おこし等で波佐見や富山の氷見にもいらしたそうです。今は羽越しな布を織り、後継者も育てています。
確かに、町おこしで現代アートの〇〇ビエンナーレ、トリエンナーレをよく耳にした時期がありました。失われそうな工芸を継承させるのかと思ったら無賃の労働者として搾取させる仕組みだったとか、補助金目当ての活動だったとか、失敗例も見てきたからこそ、後継者を育てるにはそれじゃいかんと思われたそうです。
興味を持って移住した若者がいたり、村の婆のお孫さんとその友人が興味を持って「婆ちゃんの後を継ぐ!」と決意したり、ジュンコさんの本気の熱意が伝わったのでしょう。
文章もとても面白く、方言も実際聞いたら可愛いんだろうなという書き方です。何せジュンコさんが「ジョンコ」と呼ばれてしまう、母音の曖昧さ。そんな可愛らしさも、山の厳しさと四季の楽しみがまるまる楽しめる本でした。