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「なぜ君は総理大臣になれないのか」世界×人間のガチンコドキュメント

映画は結果的なアートだよなぁ。
このドキュメンタリーを観て、改めて強く感じた。監督すら意図しないものがうつり込み、強力に作用し、観ている人をスクリーンに映し出されている世界と違う次元へ運ぶことがある。
この映画はそれを達成していると思った。
※ネタバレレビューです。

2020年/日本
2021.6.2現在 Netflix視聴可


○さくっとこんな話

衆議院議員小川淳也氏の17年間を追ったドキュメンタリー。家族の猛反対を押し切り政治家になった小川氏の軌跡をたどる。
2017年、希望の党や民進党など新党が乱立する政局のなかむかえた、ドラマチックな選挙戦のリアルが描かれる。
無名の議員ドキュメンタリーとしては異例のヒットを記録。全国各地でロングラン上映されたり、政界外のタレントもレビューを寄せるなど反響の大きかった話題作。

○結果的にうつってしまったもの

ドキュメンタリーという特性もあって、具体的な事実の積み重ねで映画は進んでいく。それに目を奪われて、観終わった後政治の話や小川氏の話をしたくなる人が続出しているよう。
多くの人は「なぜ君は総理大臣になれないのか」というタイトルが小川氏ではなく、有権者である私達に向けられていると語るし、監督もそのメッセージを強く意識していることは間違いない。選挙戦のリアルが映画の大部分を占めていることからもそれは明らか。

でもこの映画はそれだけ(それだけでも大変意義深いことは言うまでもないのですが)で済ませられないものを秘めている。
事実、小川氏の政治思想は前面に描かれず、あくまで彼の人となりを紹介するものとしてサラッと説明されるにとどまる。監督もかなり意図的に、政治ドキュメンタリーを超えた人間ドキュメンタリーとしてなにかを映そうとしていたのではないかと邪推してしまう。

この映画にうつってしまったのは、
思想や意志をもった一個人が、大きなちから(時間、運命、人の群衆・組織のうねり)に立ち向かうということ。

○ 言葉の役割

観ているうちに心が芯からあつくなり、予期せぬタイミングで何度も泣いてしまった。涙が出てくるのはたいてい演説のシーンだった。人が大きなものに歯型を残そうと噛みつく手段のひとつして、身体を振るわせて絞り出す大きな声、そして言葉があるのだと知った。
言葉の正しい使い方がわかったような気がした。

一般的な使われ方をしている言葉(一個人同士のコミュニケーション)はおよそ役に立たないことが多い、ような気がしてならない。すれ違ったり誤解がうまれることばかりで、いつも正確に伝わらないし、仮に伝わったとてお互いの違いが浮き彫りになって溝は深くなるばかり。どんどん思い通りにいかなくなる。(ネガティブな場面の方が目につくだけかもしれないけど。)
そういう使い方よりも、時間に噛みついて解釈を与える、運命を叩いて少しずつ軌道を変えていく、群衆・組織に投げて作用していく、こちらの方がよっぽど向いているのでは。
この映画を観てそう思った。
言葉とは大きなちからの前に一人の人間が差し出せる対抗手段の一手なのだ。

そして小川氏は言葉をそのように使う。いつなんどきも。一個人同士のコミュニケーションの時ですら。目の前の人を見据え、その人の秘める大きなもの、抱える運命や時間の流れを見つめながらそれに向けて言葉を放つ。そのせいか彼の言葉は常に演説のようなエネルギーを帯びている。たわいない会話の中ですらそうで、すごく魅力的だった。

○ 時間に蝕まれる人間の物語として

あともうひとつ、このドキュメンタリーの主題として避けて通れないのは時間について。

17年もの月日はいろいろなことを変える。それをたった2時間でむざむざと見せられる。時の流れに人間はどう関係していくのか。

監督がカメラを回しはじめた2003年。小川氏が32歳だった頃、彼は断言する。「人間のピークは40歳から50歳。そこを過ぎたら下降していくのみ。50を過ぎたら政界から去るつもりでいる。」当時の彼はエネルギーや叡智に満ち溢れており、監督の「総理大臣になりたいですか?」の問いに謙遜しつつもイエスの意で即答する。
ドキュメンタリーはどんどん時を進め、彼の言っていた限りなく「ピーク」に近い39歳の彼も映している。そこで監督は同じように問う。「あと何年くらいで総理大臣になれそうですか。」謙虚な姿勢を崩さないまま、「妄想では5年以内に」とやはり、すぐ答える。つまり32の時予言していた「ピーク」のタイミングで総理大臣になると言うのである。その頃の彼は着実に駒を進めていたし、監督から見ても長い付き合いのなかで一番勢いがあったという。10年たっても変わらない冴え渡る叡智と溢れるエネルギー、そして10年かけて築き上げた関係や積んできた仕事、経験。彼を取り巻くオーラはカメラを通してでも伝わってきた。たしかにこれから彼は「ピーク」を向かえるのだと納得させられる。
賢い彼は10年も前にそれを予言していたし、本当にその通りになったのだ。本物の秀才である。若干32歳でその真実を悟っていたのだ。

もう一度言う。
彼は予言をし、それはあたっていた。

このドキュメンタリーはなぜこのタイミングでの公開になったのか?監督は「映画化を決意したのは2016年。それから統計王子として彼が表舞台に出てきた2019年に本格的に編集に着手し、撮影シーンを足しながら、完成したのが2020年だった」と言う。

そしてそれははからずしも小川氏が49歳のタイミングだった。

最後のシーン。49歳になった小川氏に監督は同じことを問う。「総理大臣になれますか。」
歯切れの悪い小川氏。すぐにイエスと言わない。周りくどいギリギリのイエスと、補足の説明は誠実で納得のできるものだった。しかし同じ質問を投げかけられた30代、40代の彼、イエスと即答していたあの頃の小川氏はもういない。
彼の予言は本当に、悲しいくらい正確だったのだ。

こんなに残酷なドキュメンタリーがあって良いだろうか。「50までがピークでその後は下降するのみ」と言い放った青年の、50歳までを追いかけるなんて。そして叡智に満ち溢れた秀才の予言は、彼の言う通り、あたってしまったのだ…。

○ 片方の手に花束、もう一方の手にナイフ


大島監督がドキュメンタリー作家として大切にしている精神として、「片方の手に花束、もう一方の手にナイフ」というのがあるのだそう。作中に監督が小川氏に投げかける問いや、彼の映し方にそれは如実に表れている。終始味方の立ち位置で撮影しているかと思えば、聞きづらいことを聞いたり、言いづらいことをズバッと伝えてみたり。
そしてそれは、もはや技巧の話にとどまらない。この映画一本まるまる存在そのものが、そうだと思う。この映画は小川氏をナイフでを滅多裂きにしながら、それでも彼に手渡される花束(プレゼント)なのだ。

目標を達成し得ないままピークを過ぎてしまった小川氏に捧げられる物語。実際、多くの人の胸をうったこの映画は、全国を駆け巡り小川氏を世に引っ張り出してくれた。
彼自身がかつて見限った、あとは去るだけしかない50歳の彼に、差し出される花束。否、華やかなだけでないこのプレゼントは、ここでは武器といった方が正確かもしれない。
時間のせいで失ったものは多いようだけど、丸腰じゃない。残酷な時間の流れに対し、人間が作り出した芸術という花束、武器を持って、小川氏はまだまだ真ん中で戦っていくはず。
そう願ってやまない。


ちなみに個人的には50歳ピーク終了説は賛同しかねる。政界ではそうなのかもしれないけれど、わたしの周りにはそうじゃない人があふれているから。

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