華まる闘病日記③
私が前回の記事で言いたかったこと。
それは自分や他者に過剰な期待をしない方が楽だと言うことです。
高い目標・GOALに向かってひたむきに努力する。
日本の学校が教育して私たちに施した美談・ある意味呪縛だと思っています。
確かに努力が成功すれば、報われれば、誰もが賞賛し評価をするかもしれません。
でも、そもそも私たちは、誰かに評価をされるために生きているのでしょうか?
未来のための目標というのは「今」の自分に向き合って生きてはいない。
ということでもあると私は感じています。
その時の苦しみ・辛さが報われなかった時、人の心は簡単に壊れます。
人の心は様々なコップだと思っています。
形・お水の入る容量・耐久性など様々です。
自分に合った生き方をしないと、いずれコップにヒビが入り割れて、
中のお水(感情)が溢れて中々元の器には戻らなくなるのです。
努力が悪いと言いたい訳ではなくて、
自分に合っていない過度な努力や、
抽象的な目標設定は確実に成功に繋がるわけではないのです。
自分ではどうしようもない、運・タイミング・他人の好感度という、
全く努力のしようのない要素で
自分が描いていた未来が簡単に覆されることがあります。
自分に合わない努力をすることで人は少なからず期待をしてしまうのです。
期待をすることで執着し、依存し、固執し、叶わなかった時、絶望します。
じゃどうすればいいのか??
私は2つの意識が必要だと考えています。
1つは今を生きるために、今の自分に向き合うために目標をあえて設けないこと。
ただ生きること。そのために必要なタスクだけを、最小限だけをこなすこと。
自分に何も課していないので、できなかった自分を責めることが無いのです。(ブッダや僧侶みたいな感じなのかなぁ)
私は結構これを意識して今を生きています。
もう一つは、無理のない具体的な目標設定をして逆算すること。
例えば、私は
「コールセンター営業に精神的限界を感じ始めてきたからマネジメント職に昇級したい」
「結婚を必ずする」
「30歳になるまでに死ぬまで働けそうな会社を見つける」
などの抽象的すぎてふわふわした謎の目標がありましたよね?笑
その時は超大真面目に作った壮大な私の人生の目標のつもりでしたが笑笑
叶うかどうか誰にもわからないですし、叶わない確率の方が正直高いです。
なぜなら具体的に説明できていないから。
自分の無理のない範囲でもっと数字の具体化をするしかないのです。
例えば、
「コールセンター営業に精神的限界を感じ始めてきたからマネジメント職に昇級する」→
いつまでにマネジメント職に昇級しないと私は壊れるの?→
2年半でメンタルが壊れそう。(実際に壊れたからこれは結果論でもあるかもしれないです。)→
では、2年の時の人事評価の結果を受け、はぐらかされたらマネジメント職を諦めよう。どうする?→
今の所、職務の異動の交渉も何回かして全部はぐらかされている→
じゃ、もう転職活動は開始した方がいいよね。 であったり、
「結婚を必ずする」→
何歳までに?→
子供はいらないけれど、30歳までにできればいいや→
その間どのぐらいのペースで男性とデートできる?→
仕事もあるから毎週デートは無理。2週間に1回のペースで男性とデートをして、交際費は毎月1万円ぐらいなら許容できるかな。→
タイムリミットまで⚪︎年あるから一回それでやってみて、27歳か28歳の時に男性との交際が上手くいっていなければそのスケジュールは見直そうか。とか。
「30歳になるまでに死ぬまで働けそうな会社を見つける」→
どんな仕事なら死ぬまで私は働けそうなの?
週に何時間労働するのが私のベスト??
月給がいくらで年収がいくらなら私は生活できるの?満足できるの??
どんな人間と働きたいと考えるの??とか。
生きれば生きるほど、自分の経験則というのが蓄積されて勘が働くようになります。
この会社はやばそうだな。とか、こういう性格の人間は私は好きじゃないなとか。
その直感を言語化してみてください。
なぜこの会社はやばいと思うのか。
なぜこの性格は好きにはなれないのか。
自分の勘や五感を言語化できれば、今の私に向き合えていると私は感じます。