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複業と二拠点生活に片足を突っ込んで見えること

私は東京に住んで東京の会社の仕事を受けつつ、東京の自宅から2時間くらい移動して到着する地域の仕事をしている。

メインの2つの仕事のほかも細々と単発の仕事があるけれど、働く場所の縛りが比較的ゆるめなので用事に合わせて東京にいたり、仕事先の町にいたり。

私はそんなこんなで、たぶん、2.7業、1.3拠点生活ぐらいをここ8か月ほど続けている。

移動は楽しい

目的にはしないで手段にしといたほうがいい

複業は、複数の仕事を持つこと。(特に、本業が2つ以上あるイメージ)
そして、二拠点生活は、生活の拠点を二か所持つこと。

コロナ禍を機に随分と一般化し、最近ちょっとまたテレワーク機運が下がってるので落ち着いているけれど、
「二拠点居住」「複業」と聞くと漠然と、自由でクリエイティブな暮らし、みたいなイメージを抱き、やってみたいと思う人はいるんだろうなと感じる。

私は複業、多拠点生活を狙ったわけではなく、たまたまこうなったから言えるけど、
実際やってみて思うのは「二拠点居住」や「複業」を目的にするのはけっこうしんどいだろうな、と。



なんでそんな暮らしなの?と絶対聞かれるようになるから、「二拠点居住してる私」や「複業してる私」の理由を常に問われることになる。
普通の暮らしでは答える必要のない問いの答えを常に求められ、ある意味ではそれで人に評価されるようになる。

誰もがイメージしやすい暮らしをしていることで守られていた部分はけっこうあったな、と。
私の周りでは複業も多拠点の暮らしも普通だけど、世間ではそんなことはない。

私が個人事業主であることも関係するが、自分を支える仕事や暮らしのアイデンティティが複雑になった。時々不安定な気持ちにもなるし、何より、自己紹介が面倒くさい。

誰も私の暮らしを端的に形容する言葉を持っていないからだ。私自身でさえも持っていない。

車窓から富士山を撮りたかった日

もちろん、そんな私のことを理解しようとしてくれる人と出会えることはとても幸せだし、
人によってこの「よくわからない私」の受け止め方が違うので、それも楽しかったりもする。

たくさんの種類の人やモノや場所に出会いたいので、自分の動ける範囲が広がっていくことが嬉しくてしょうがないから、私は今の暮らしをけっこう気に入っている。

体力と健康な肉体があり、自己開示が嫌でなければ楽しめるのかもしれない。



精神的と物質的ミニマリズムが加速した

別の視点から変わったことといえば、
結果的に、身軽に動けるように自分が必要とするモノを減らしていったことだ。

前髪はこの角度じゃなきゃいけない、とか
この枕じゃないと寝られない、とか
そういうモノへの依存が増えると不安も増してしまうから、それだったらない方が楽になれると思った。

依存に関しては場所やコミュニティに対しても同じで、
自分を主語にして語れるものが増えたけれど、
でも、それを自分の所有物だと思い込まないようにした。
どれにも責任があるけれど、全てを尊重するなら自分の範囲はおのずと有限になる。

持ちながら捨てている。

ひとりで船にも飛行機にも乗る楽しさ



心はミニマリズムが進んだけれど、大切なものは増えた。

私は世界のほとんどすべてのことが好きだった。でも、それだと立ち行かないから、ちょっと欲しいものを欲しがるのをやめるしかなくなった。
大切なものを見るようになった。

どれだけ変なこだわりで身を守っていたかわかったからこそ、大切なものが見えたのかもしれない。

もちろん、変なこだわりを持っていることは人の魅力の一つだけれど、今のところ、私は今の私を気に入っている。



二拠点居住や複業は、人の周りの環境をかき混ぜることで自分を見つける装置のひとつなのかもしれない。

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